第24章 3月15日

第1話 彼女になった後輩に起こされる日常

「……んぱい、起きてください。先輩」


「ん、んん……」


優しく揺すられる感覚に、意識がゆっくりと浮上してくる。


「おはようございます。またお昼ですよ、先輩」


「……おはよう」


うっすらと開いた目蓋の隙間から視界に入るのは、大きな瞳に、すらっとした鼻立ち。そして、肩ほどまでの茶色がかった髪を揺らす美少女。


俺の後輩──にして、彼女。雨空蒼衣だ。


……そうか、彼女か。


ぼんやりとした頭で、雨空が彼女になったんだな、と思いながら体を起こす。


すると、雨空はにやり、と口角を上げながら、


「どうですか? 彼女から起こされるのは」


「……新鮮味はなかった」


「ないんですか!?」


「けどまあ、いいものだなあ、とは思う」


「……それはよかったですけど」


微妙に不服そうな雨空に思わず苦笑しながら、俺はさっきの問いを投げ返す。


「で、不満そうな雨空はどうだったんだ?」


「何がですか?」


軽く首を傾げる雨空に、一瞬言うのを躊躇しながら、俺は言葉を返した。


「いや、彼氏を起こすの」


……自分で彼氏っていうの、ちょっと恥ずかしいな……。


そんなことを思っていると、雨空は、うーん、と考えるそぶりを見せて、こちらを見る。


「新鮮味はなかったですね」


「お前もなかったんじゃねえか……」


「でも、こう、何か工夫しようかなあ、とかは思いましたよ」


「工夫? ……例えば?」


なんだか嫌な予感がするな……。


その予感は、微妙に的中していたらしい。雨空が指を1本ずつ立てながら、それぞれ説明をはじめる。


「例えば、布団に潜り込んでみようかな、とか」


「それ、起こせてねえな」


この方法は、起こしに来た本人も寝るパターンだ。


「いや、しっかり起こしますよ。ただ、起きた瞬間に隣にわたしがいたら驚くかな、と」


「それはまあ、驚きはするが……。心臓に悪そうなのと、多分雨空がそのまま寝てどっちも起きない流れだからそれはやめろ」


確信を持ってそう言った俺に、雨空は何故か目を輝かせながら頷いて、こう言った。


「いつかやります」


「いや、だからやめろって……。で、他は?」


諦めた俺は、次の方法を聞くことにする。


「キスして起こす、です」


「……俺は眠り姫か何かなのか?」


一瞬フリーズした思考を再起動して、なんとかツッコミを入れる。


この状況でこのツッコミを言えたことを、自分で自分を褒めたいくらいだ。


「先輩、姫って感じはしませんよ。……まあ、眠りを解く王子様って感じでもないですけど」


「それは俺も思うが。……で、何故そんな起こし方を思いついたんだ?」


「……それは、まあ、アレです。内緒です」


「……怪しいな。何を隠してるんだ?」


すすす、と目線を逸らす雨空に、俺は思わず口角を上げる。


「な、何もないです。本当です。この話は終わりです!」


ぷい、と後ろを向いた雨空は、話は打ち止めだ、とばかりに耳を塞ぐ。


「……仕方ないか。で、他は?」


「この話終わりって言ったじゃないですか……。ええと、耳元でささやきながら起こす、とかですね」


ぷく、と頬を膨らませながら、元の位置に戻った雨空はそう言った。


「……よし、それは絶対にやめろ」


「おや? さっきよりもずいぶんとキツめのやめろですね。なんでですか?」


普通に起こすのと大差無いと思うんですけど、と首を傾げる雨空。そんなわけないだろ。


「普通に考えて、揺さぶられてはじめて起きる俺がささやき声で起きれると思うか?」


「……たしかにそうですね」


俺のもっともな意見に納得した雨空は、首を縦に振りながら、ぽん、と手を打っている。


……どうやら、俺の真意は隠せたらしい。


ひとまず安心、なんて思い、気づかれない程度に息を小さく吐いた。


──その瞬間。


「で、本当はどういう理由ですか?」


目を細め、にやりと笑う雨空は俺を覗き込む。


「……本当もなにも、今言った通りだが」


相変わらず察しのいい雨空は、どうやら俺が真意を隠していることに気づいたらしい。


「さっきの否定の感じ、普段とは全然違うので、絶対に何か隠してることはわかってるんですよ?」


言外に、諦めろ早く言え、と含ませてくる雨空。


さっきの仕返しのつもりか……!


彼女になった雨空には、別に隠す必要もないのだろうが、言うのはちょっと……というものもあるのだ。


主に俺が恥ずかしいから、ではあるが。


「何も隠してねえよ」


すっ、と目を逸らしながらそう言うと、雨空はその視界へと回り込んで。


「……そうですか。では今度実際にやって、先輩の反応を見て答え合わせします」


「……やめていただけると」


「絶対やりますね」


笑顔でそう言う雨空を見て、俺はため息をひとつ吐いた。


やらないでほしい理由は単純。朝からそんなことをされては俺が色々と大変だからなのだが……。


どうやら、耐えるしかないらしい。


明日以降の朝を考えると、俺は不安になるのだった。


……というか、俺は問い詰めなかったんだから、そこは俺のもなかったことにしてくれよ。……とは、楽しそうな雨空を見ては言えない俺だった。

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