第5話 込められた想い

コンビニの肉まんをちょうど食べ終わった頃、俺たちはアパートの前へと到着した。


ぎしぎしと音を鳴らす、どこか心配になるボロさの階段を上がり、扉へと鍵を差し込み、回す。


ガチャリ、と音が鳴り、鍵が開いたのを確認してから扉を開ける。


「先輩、エビ預かりますね」


「おう」


台所へと向かう雨空へとエビの入った袋を渡し、俺は手を洗ってからリビングへ。


ベッドへと腰掛けながら、部屋の端に置かれた袋をちらりと見る。


ぼすり、というベッドが沈む音を聞きながら、袋を見て考える。


……渡すベストタイミングはいつなのか、と。


またこの話か、と思われるかもしれないが、これを渡すまで今日の俺は気を抜けないのだ。


顎に手を当てながら考えていると、雨空が台所から部屋へと移動してくる。


「よしょ、と」


そして、定位置に座り、スマホを片手に持って、こちらを見る。


「どうしたんですか? なにか考え事でも?」


こてん、と首を傾げた雨空から、俺は目を逸らしながら返事をする。……言えるわけねえ。


「……いや、まあ、そんなところだな」


「珍しいですね。先輩がそんなに真面目に考えているなんて」


「いや、そんなことないだろ。俺だって普段から色々考えてるだろ」


「本当ですかー? ……例えば?」


「……今日は何しようかな、とか」


何も思い浮かばず、苦し紛れにそんなことを言った俺に、雨空はじとり、と視線を浴びせる。


「ちなみに続きは」


「何かするには面倒だな。よし寝るか」


「いつも同じ結論で、しかも何もしてませんよね……」


「いや、何もしてなくはないな。寝てる」


「何もしてないようなものじゃないですか……」


はあ、と小さくため息を吐きながら苦笑する雨空は、こう続けた。


「それで、結局何を考えているんです?」


「……あー」


さすがに相談するのはどうかとも思うし、言えるわけがないことだ、と思っていたが、このタイミングでいっそのこと言ってしまって、お返しを渡すのが最善かもしれない。基本的に俺は、期限ギリギリまで延ばしてしまったり、期限がなければずっと出来ないタイプなのだ。


俺にとって、なにかをするのに大切なことは、勢いなのだ。


無理矢理にでも、自分を追い込んで、勢いでやってしまうしかない。


「まあ、その、だな」


「はい」


「これを、どのタイミングで渡そうかな、と思って考えていた」


そう言って、俺は部屋の端に置いておいた袋をそのまま渡す。


「これは……?」


「ホワイトデーのお返し、だ。ありがとな」


「ぁ……。ありがとうございます。……これ、お菓子ですか?」


少し驚いた表情を見せた後、雨空が、袋を覗き込みながら言う。


「おう。正直、何を返したらいいかわからなかったからな……」


バレンタインにチョコを貰ったのがはじめてならば、もちろんホワイトデーに何かを返すのもはじめてなのだ。


そんなわけで、あれやこれやと調べに調べてわからなかった結果──


「美味しそうなお菓子にしようかと思って」


頬をかきながらそう言う俺を見て、雨空が笑う。


「先輩らしいですね」


「……やっぱり、間違ってるか?」


「そんなことないと思いますよ。……少なくとも、貰ったわたしが嬉しいので、正解です。ありがとうございます」


「……なら、よかった」


……いや、本当によかった……。


柔らかく笑う雨空に、ずっと入っていた力が抜ける感覚があった。


緊張から解き放たれて、少し脱力していると、雨空がちらり、とこちらを見ながらこんなことを言う。


「ちなみに、ホワイトデーにお返しとして渡すものによって、意味があるの知ってました?」


「……いや、知らないな」


「例えば……」


ごそごそと袋の中から雨空が取り出したのは、貝殻のような見た目をした焼き菓子──マドレーヌだったか──だ。


雨空は、片手に持ったスマホの画面を見て、


「マドレーヌには、『あなたともっと親密になりたい』みたいな意味があるらしいです」


と、どこかのサイトに書いてあるのだろう、マドレーヌの意味を読み上げる。


「先輩、わたしともっと親密になりたいんですか?」


にやり、と口角を上げながら聞く雨空から目を逸らして、俺は返事をする。


「……まあ」


「そ、そうですか……。あの、食べてもいいですか?」


その返事が予想外だったのか、雨空は頬を染めながら話題を逸らす。自爆するなら言わなきゃいいのにな……。


「もちろん」


「じゃあ、いただきます。……ん、あま、美味しい……!」


「それはよかった」


「……さて、それでですね」


マドレーヌをひとつ食べた雨空は、何事もなかったかのように話を続ける。


「他にも、これとかですね」


「この話まだ続けるのか……」


だから、自爆するならやめとけと言うのに。


そんな俺の心の声での忠告は、伝わるはずもなく、雨空が取り出したのは色とりどりの丸くて小さい、一口大の焼き菓子──マカロンだ。


「マカロンには、『あなたは特別な人です』っていう意味があるみたいです。……これは、その……」


「……なんだ?」


意味を読み上げた後、雨空はしきりに綺麗な茶色がかった髪を触る。そのたびに揺れる髪が、ふわり、と柔らかく舞う。


「いえ、その、嬉しいな、と……えへへ」


先ほどとは違う照れ方をする雨空に、どきり、と心臓が跳ねた。


「そ、そうか……」


特別な人だと言われて嬉しい、なんて言われて、その上この表情は反則級だ。……本当に、可愛い。


ダメージを受ける俺とは違い、雨空は少し嬉しそうに話を続ける。


「それで、あとは……わ、これバームクーヘンにキャラメルがかかってるんですね。すごい、美味しそうです」


袋から取り出して、すぐに目をキラキラさせる雨空に、俺は首を縦に振りながら、少し得意げに話をする。


「そうだろ? 偶然見つけたんだけど、すごい見た目に惹かれた」


キャラメルバームクーヘンは、普通のバームクーヘンにその名の通り、キャラメルがかけられている。その様子があまりにも美味そうで買ってみたのだが、雨空も同意見みたいで何よりだ。


「ちなみに、バームクーヘンは『幸せが長く続きますように』みたいな意味らしいです。それで、キャラメルは『一緒にいると安心する』です」


「……へえ」


その意味を聞いて、少しだけ視線を逸らした俺を見て、雨空は、


「……わたしも、そう思いますよ」


そう呟いた。


「……俺も、そう思う」


雨空の言葉に触発されたのか、俺も無意識にそう呟いていて。


「……なら、まだまだ続きそうですね」


「だな」


ふわり、と笑う雨空に、俺も逸らした視線を戻して、自然と笑い返す。


まだまだ、この幸せな日常が続くのだろうという、根拠のない確信だけが浮かんできて、ついつい笑ってしまう。


そこで、ふと気づく。


……告白するなら、今じゃないのか?


このタイミングが、ベストなのでは? 今を逃せばもうないのでは──!?


そう思い、ひとつ息を吸って──


「あ、まだあるんですね。えっと、これはキャンディ──」


雨空が、言い終わる前にばふん、と音がしそうなくらいの勢いで顔を赤くする。


そして、立て付けの悪い扉のように、ギ、ギ、ギ、とこちらを向いて。


「……先輩、本当に、本当の本当に、意味を知らないで渡してるんですよね……?」


「……本当に知らないぞ」


「……なら、いいです」


そう言って、また元の位置に首を戻している。


そして、完全に機能停止に陥った雨空を見ながら、行き場のない覚悟を持った俺は、小さくため息を吐いて。


ベッドの脇に無造作に放置されたスマホを一瞥して、窓の外へと視線を向ける。


……知らないわけ、ないだろ。


あれだけ調べていたのだ。もちろん、お返しの意味だって知っている。……まあ、調べていたことを雨空は知らないのだから、わからなくて当然なのだが。


渡したお菓子のすべての意味を、考えて渡したのだ。


どうせ、自分では言葉に出来ないだろうと、そう思ったから。


……まあ。


最後のキャンディの意味だけは、必ず言葉にしようと、しなければいけないと思っているが。


キャンディの意味。それは──


『あなたが好きです』だ。


その言葉を握り締めながら、真っ赤な雨空を見て──


……今言うのは、違う気がするな……。


そう思い、また小さく息を吐いた。


……告白、難しすぎる──!

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