第8話 風邪を引かれては困ります

「ど、どういうことですか!? 神社がない!?」


慌てふためく雨空を宥めつつ、俺はこう続けた。


「正確には、初詣で人が集まるような大きな神社はない。せいぜい地元の神社サイズだ」


「そ、そんな……」


どうやら、相当楽しみにしていたらしい。雨空は、あからさまに肩を落とす。わかるぞ、俺も昨年そうだったからな。


「まあ、電車に乗れば有名な神社まですぐだ。昼になったら行こう、な?」


「う、うぅ……。わたしの夜中に初詣をする夢が……。新年早々、幸先が悪いです……」


「別に夢は構わんが、ひとりで夜中に出歩くのは絶対にやめろよ……」


ついさっき言ったような記憶のある言葉を言って、ひとつ息を吐く。


「……来年は神社の近くでで年を越して、そのまま初詣にするか」


「そうします……」


項垂れる雨空。そんなに初詣に行きたかったのか。


そこまで深夜の初詣にこだわるということは、おそらくもうひとつの正月の醍醐味も楽しむつもりなのだろう。そう思い、一応聞いておく。


「福袋は買うのか?」


「買います!」


先ほどまでの落ち込みはどこへいったのか、ものすごい早さだった。


「じゃあ初詣の後はショッピングモールだな」


「です! 初詣を失敗した分こっちは絶対に成功します」


「初詣に失敗とかないだろ……」


そんな俺の呟きは、雨空には届いていない。ぶつぶつと聞こえるのは、福袋の購入リストだろうか。……恐ろしい量が聞こえる気がするのは気のせいだと思いたい。


「ま、そうと決まれば軽く寝るか」


正月は徹夜派なのだが、さすがに出かけるのなら寝ておきたい。そう思い呟くと、次は雨空にも届いていたらしく、反応が返ってくる。


「そうですね。……先輩、ちゃんと起きてくださいよ?」


「大丈夫大丈夫。雨空が起こしてくれる」


「結局わたし頼りじゃないですか……」


呆れたように、それでいてどこか嬉しそうにそう言ってから、雨空は洗面台へと向かう。スーパーに行ったときにもう一度していたメイクを落としに行ったのだろう。


ほどなくして戻ってきた雨空が、首を傾げる。


「それで先輩、わたしはどこで寝ればいいですか?」


未だに俺しかいないことを想定している自室には、ベッドがひとつ以外は冬場に眠れるような場所はない。


しかし、結論は決まっているだろう。普通に考えて。


「俺が床で寝るから、ベッド」


ぴっ、とベッドを指差す。


すると、雨空が明らかに不機嫌な表情をする。……俺のベッドでは寝たくない的なことだろうか。以前に寝ていたから、てっきりそういうのはないのかと……。


心にダメージを負っていると、雨空が口を開く。


「それだと先輩が風邪を引きます」


「……え、いや、大丈夫だろ」


「大丈夫ではないです」


「そうは言っても他に方法がないだろ」


「ありますよ。ふたりともベッドで寝れる1番簡単な方法が」


「……まさか」


「い、一緒に寝ましょう!」


「なに言い出すんだお前!」


本当になにを言い出すんだ!


赤くなりながら、それでもその言葉を曲げるつもりはないらしく、こちらを見ている。


「いや、さすがにそれは問題だろ」


「どのあたりがですか」


「全部だ全部」


「問題ないですね」


「問題しかないって言ってるんだが」


雨空、知能指数が著しく低下しているな? 新年早々俺は心配だ。


「前にも言いましたが、わたしは先輩になら、何をされてもいいので……」


「……いやいや、そういう問題でもないだろ……」


「他に問題なんてありませんよ」


「いやいやいや……」


そんな風になんとか回避しようとする俺に焦れたのか、雨空が叫ぶ。


「風邪を引かれたら困ります! はい、寝ますよ!」


「うお!?」


そうして、とん、と押され、バランスを崩した俺はベッドへと座り込む。


さらに、雨空はそんな俺に覆いかぶさるように飛び込んできた。


「ちょ、おま!?」


必然的に、ベッドへと倒し込まれる。……柔らかいものが当たっている気がするのは、多分気のせいではない。


手早く布団を被ってから、雨空はもぞもぞと動き、ちょうどいい場所を見つけたのだろう。動きを止める。


……と、言うか。


「お前、なあ……」


ぴったりと俺の腕の中に収まる形になった雨空を見る。……近すぎる。直視はきつい。あといい匂いがする。


「こうでもしないと先輩、床で寝るって聞かないじゃないですか」


「当たり前だろ……。ほら、俺は出るから」


「ダメです。風邪を引かれては困ります。看病するのもわたしなんですよ」


「そ、それはそうだが……」


「はい、言うこと聞いてください」


「………………はあ」


結局、押し切られる形になった俺は、諦めてその体制のままになる。視界の端に見えた雨空の頬は、赤く染まっている。


それから、無言の時間が過ぎる。身体を少し動かすだけで、お互いに触れる。


なるべく動かないようにするものの、触れたままの部分もある。


それになにより、漂っている甘い香りがある。


それに、時々雨空の漏らす吐息だ。


「ん……」


これである。さらに少し動くのだから、勘弁してほしい。


視覚、聴覚、嗅覚、触覚、と味覚以外の五感にダイレクトに届く雨空の存在は、それだけで頭が溶けていくようだ。


「……ぅ……ん……」


またも、雨空が、もぞり、と動く。……あまり動かないでほしい。色々と柔らかい感触が、至るところから脳に伝えられる。


このままでは、まずい。


そう思った俺は、雨空が身動きを取れないようなポジションを探す。


もそもそと動くと、雨空と接触するが、仕方ない。この後のことを考えると、今触れながらでも雨空の動きを減らす方が重要だ。


あれこれ試行錯誤した結果、完璧なポジションを発見する。ここだ。そう思い、その位置に移動すると──


「──ッ!?」


雨空が、喉から音にならない声を漏らす。


……いや、これは失敗だ。動きを止めることを考えすぎて、他を考えていなかった。


今、雨空は俺の腕の中にすっぽり、どころか抱きしめられる形になっている。動かなくはなったが、その分密着度が上がった。ほんの少しではあるが、距離も縮んで甘い香りが強くなって、くらくらする。


控えめに、雨空が俺の胸に頭を擦り付けてくるものだから、その香りはさらに強くなる。


……これ、朝まで耐えられるのか……?


そう考えた俺は、すでにカーテンの向こうから明かりが漏れていることに気付いてすらいなかった。

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