日常の20分

篠宮りさ

日常の20分

 彼女のきめ細やかな肌が私の頬に触れる。

 軽い抱擁。制服越しに彼女のぬくもりが少しだけ伝わってくる。心臓の音までは聞こえないのが、妙にリアルで少し戸惑う。緊張を悟られたくなくて、私はわざと目を合わせずにキスをした。二回、三回。生々しい音が狭い空き教室に染み渡る。間髪入れずに四回目のキスをし、そのままぬるりと舌を入れる。彼女の舌は案外冷たく、そして抵抗する気配はない。自分の舌をするりと彼女のそれに絡め、ゆっくり動かす。水っぽい音がやけに大きく聞こえる。だんだん彼女の舌が熱っぽくなってきた。少しずつ舌を早く動かしながら、彼女の手を顔の横で握る。強く握り返され思わず手の力が抜けそうになった。何分経っただろうか。少し目を開けて彼女を見ると、彼女は眼を閉じたまま少し顔を赤らめていた。可愛い。手に力を籠める。彼女の舌が少し物足りなさそうに私を求めるので、私はそれに応じて舌を動かす。空いた片方の手で彼女の頭を撫でたくなったが、タイミングを失ってしまった。そうしているうちに、いつも、予鈴が鳴る。

 私と彼女はキスフレンドだ。彼氏と別れ寂しいと嘆く彼女に私が持ち掛けた。まさか快諾されるとは思っていなかったのでその反応に驚いたが、私はわざと慣れたふうを装った。彼女に少しでも良く見られたかったからなのは言うまでもない。毎週水曜日の第三教室で、私たちは逢瀬を重ねた。彼女はいつもキスをする前に可愛らしいピンクのリップを塗ってきた。どこかのブランドのものらしいが私にはよくわからない。どうせリップは落ちるのに、と言うと、それがいいんじゃないのと彼女は笑う。その笑顔にときめきを感じるのも、言うまでもない。

 いつから好きだったのだろうか。顔はぜんぜんタイプじゃないし、アイプチしてまで二重にしてくる神経には少し腹が立つし、時々口に出す元彼の話にも嫌気がさす。彼女の嫌いなところをあげればキリがない。彼女とは付き合いが長いから、愛着と恋愛感情をはき違えているのではないかと何度も考えた。しかし、これだけ彼女のことが嫌いだと感じるのも、嫌いなはずなのに目で追ってしまうのも、目で追った結果彼女と仲のいい友達に嫉妬してしまうのも、明らかに愛着の範疇を超えている。結局私は彼女のことが好きなのだろうと落ち着くのはいつもの話だ。私は彼女のことが好きだ、不本意だが、認めざるを得ない。

 いつも火曜日の夜には彼女から連絡が来る。明日の朝八時ね、と毎週同じ文面を送ってくるのだ。毎回場所も時間も同じなのだから連絡は必要ないのだが、私はつい彼女からのメールを待ってしまう。案の定、今日も送られてきた。夜の一〇時過ぎ、いつも通りの時間帯だ。私は五分ほど置いてから返信をする。わかった。このひとことに私がどれだけ悩んでいるかなんて、彼女には想像もつかないだろう。不器用な自分に嫌気がさすのも毎週だ。

 夏になり、私たちの逢瀬は突然終わりを告げた。

 彼氏ができたの。

 彼女の言葉をうまく呑み込めず、曖昧な返事しかできなかった。彼女はそんな私に気付かすに新しい彼氏の容姿や性格を教えてくれた。私とキスをしているときのように、少し顔を赤らめて。私とキスをするときの、ピンクのリップを塗った口で。

私はその日、普通に家に帰ってご飯を食べた。麻婆豆腐とたまごスープだった。歯を磨いて、お風呂に入り、化粧水と乳液を塗って、髪を乾かした。少し明日の小テストの勉強をして、友達からのメールに返信し、一一時ごろにベッドに入った。

彼女からのメールはすべて残してあった。わざとそれを見て、私は少し泣いた。今泣かなかったら一生引きずる気がした。彼女はこの先、あのリップで、あの顔で、私ではない他の誰かとキスをするのだ。あのからだのぬくもりも、あの柔らかい手も、もう私のものではないのだ。いや、はじめから私のものなんかじゃなかったのだ。彼女はもう手に入らない。いや、どうせ手には入らなかったのだ。私が好きだと言ったって、彼女は私を好きにならない。分かり切ったことではないか。はじめからそんなことは承知の上だったじゃないか。

今夜だけならどれだけ卑屈になったって許される気がした。ああ、彼女の頭を一度でも撫でておけばよかった、あのふわふわした髪に触れておけばよかった、なんて考えていたら、いつのまにか寝てしまっていた。次の日、私は学校を休んだ。彼女からの連絡は、なかった。


水曜日。いつも少し早く登校していた水曜日。もう早く登校することはないだろうなと思いながら、私は制服のネクタイを締めた。髪を整え、日焼け止めを塗り、お弁当を鞄に入れる。家を出ると蝉がやかましく騒ぎ立てていた。ある意味元通りになった私の日常に、やはり少し寂しさを感じる。いつもの道。いつもの交差点。いつもの赤信号。私は携帯を取り出し、彼女へ送るはずだったメールを削除した。横のサラリーマンが歩き出し、私も歩き出す。何気ない私の日常が、また、始まる。

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日常の20分 篠宮りさ @risa0621

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