第43話『裏切者』

 花一華ユウキに先程までのほとばしるような力強さはない。敗北を受け入れた弱弱しい背中がサクラにはひどく儚く見えた。


「また守れなかった……」


 サクラは、ユウキの正面に回ると胸ぐらを掴み上げて強引に立たせた。まだ終わってない。終わらせない。


「追え!!」

「でもサクラ……ツバキがどこへ行ったか分からない……気配や痕跡を完全に消してるし……」

「あんなボロボロなんだから行ける距離にも限界があるっての!! 早く行けよ! あたしじゃツバキを守れないんだよ!!」


 諦めないでほしかった。ユウキにまで諦められたらツバキを救える人が誰も居なくなってしまう。


「あたしは弱いから……ツバキを守れるのは先生しか居ないんだよ」


 脈式仙法の修業を経て少しは強くなれた気でいた。なのにいざとなれば何の役に立たなかった。

 むざむざとツバキを連れ去られ、ユウキの援護一つできない自分が憎らしい。自分の弱さが恨めしい。


「……だから諦めないでってば……先生しか頼れないんだよ」


 パンっと甲高い音が食堂に響き渡った。ユウキが自らの両手で頬を叩いたのである。とび色の瞳に再び闘志が戻りつつあった。


「ごめん。俺がどうかしてたよ。君たちは軍への増援要請と負傷者の手当てを。ツバキは俺が連れ戻すから」

「お願い先生。信じてるから……」


 ユウキは頷いて食堂の壁に空いた穴から外へ飛び出した。サクラには背中を見送り待つことしかできない。弱いサクラにはそれしか許されないのだろう。 


「サクラさん」


 キキョウの掌がサクラの頭を撫でた。温かい体温がささくれた心に僅かばかりの癒しを与えてくれる。


「軍への連絡は私がします。一年一組は負傷者の応急処置を」

「……はい」


 キキョウが食堂を後にするとサクラは改めて参上を真に辺りにしていた。数十人を超える生徒が床に横たわっている。

 サクラたちが黄之百合に操られた彼らを無力化するためにやむなく攻撃したし、糸で強引に動かされていたせいか、関節があらぬ方向に曲がっていたり、皮膚がズタズタに裂けているものも少なくない。

 一年一組で治癒系統の魔法が使えるのはサクラとキュウゴの二人だけ。

 キュウゴが床に寝そべる一人の生徒に近づき両手を向けると、咄嗟にサクラはキュウゴの手を払い除け、殺意を込めた視線で牽制した。


「あっち行け。裏切り者」


 キュウゴは何も言わずに俯いて一歩退くと、入れ替わるようにソウスケがサクラに一歩踏み込んできた。彼のこめかみには青筋が走っている。


「なんや、その言い方」


 まさか敵を庇おうというのか?

 ソウスケの行動は、サクラにとって裏切りに等しかった。しかし怒りをぶつけるべき相手はあくまでもキュウゴだ。

 ソウスケは甘い性格だから敵を見誤っている。あらば教えてやればいい。誰が敵で誰が味方なのかを。


「裏切者ってのは事実じゃん。そいつの兄貴がツバキをさらったんだよ。あんたも見たでしょ?」

「せやけどキュウゴは、一緒に戦ったやろ」

「こいつ自身が敵でしょ? あんた何見てたわけ!?」


 サクラがソウスケに詰め寄ると、サザンカが間に割って入ってきた。


「サクラ、やめるです」

「あんたも軍人のくせして何の役に立ってないじゃん! なにが復讐だよ! いいようにやられてただけじゃん!!」


 サザンカは反論してこない。唇を固く結び、逃げるように視線をそらした。

 そう、役に立ったのは黄之百合を戦闘不能に追い込んだユウキと彼が来るまでの時間稼ぎをしたキキョウの二人だけだ。

 他は黄之百合とカラスにいいように弄ばれた弱者が三名と敵の親族が一人。


「何が一年一組だっての……何がツバキを守るための場所だ。敵が紛れてたら意味ないじゃん。鬼灯ほおずき学院長も何考えてんだか……ていうかさ、キュウゴが敵を学院の中に入れたんじゃね?」

「じ、自分はしてないであります!」


 信じられるものか。

 信じていた黄之百合がアザミの一族だったのだ。ましてキュウゴはカラスの弟。肉親の情は友情に勝るだろう。


「信じられるわけないじゃん!! だってあんたはアザミの一族でしょ!? それにツバキを殺せばいいとか言ってたじゃん!」


 なんでキュウゴがあんな台詞吐いたのか当時は理解できなかったが今なら分かる。ツバキのことは友達だなんて思っていない。生贄ぐらいにしか思っていなかったのだ。


「違うであります……自分は……こうなることを恐れて……もしも邪神が蘇ればこの国は――」

「あんたの家族が滅ぼすんでしょ? 滅ぼしてこの国の王様にでもなるわけ」

「自分はそんな家族とは縁を切って!!」


 口を開けば言い訳ばかり。もう聞き飽きた。これ以上は言わせない。サクラは蒼脈刀の切っ先をキュウゴの喉元に突き付けた。


「やめんかサクラ!」


 ソウスケは右手でサクラの蒼脈刀の先端を掴んだ。

 なんで敵を庇う?

 どうしてそこまでする?


「ソウスケ敵を庇う気!?」

「サクラ落ち着け。キレても埒あかん」

「こいつは敵でしょ! それともキュウゴ、もしかしてあんた自分は敵じゃないって言うわけ? だとしてもあんたを信じられるわけないじゃん!」

「ワシは信じるで」

「なんで!?」

「キュウゴはダチや」

「は? それだけ?」


 理由にもなっていない。敵の弟であるキュウゴが友達なんて主張をサクラは受け入れることができなかった。


「せや。他に理由いるか?」

「ふざけんじゃねぇ! 手を離さないとあんたの指落とすよ!?」

「ふざけてへん! ワシは、ダチを信じる! 一年一組のみんなを信じとる!!」


 ソウスケがキュウゴを見る目には、慈愛と親愛が込められている。


「ワシには、キュウゴが敵だと思えんのや。こいつとは中等科からの付き合いや。サクラかてそうやろ? 人をだませる要領のええ男やない。こいつはえらい不器用な男や。裏表なんかあらへん」

「何で断言出来るわけ? 人を欺くのが得意かもしれないじゃん!」

「ワシは人を見る目には自信あるんや」

「はぁ!? そんなもの信じろっての!?」

「せや」

「自分に自信持ちすぎ。節穴かもって思わないわけ」

「思わへんな。ワシのダチはみんなええやつや。サクラ、お前はええやつや。ツバキもええやつや。サザンカもええやつや。ワシは自分がええと思った奴としかダチにはならん。そしてキュウゴはワシが認めたダチや。せやから、こいつは敵やない。ワシらの味方や」

「そんなの!?」

「ツバキやサザンカがええやつなのは認めるな?」

「それは……」

「それに前、ワシの人を見る目は確かっちゅーとったのはお前やで?」


 いつだったかそんな話をしたのを覚えている。

 ソウスケは、誘導魔法の才能に気づく以前のツバキのことを馬鹿にせず対等な友人として接していた。

 対して黄之百合のことは、彼の赴任当時からずっと毛嫌いしてきた。

 サクラがソウスケの能力で一番評価するとしたら人の本質を見抜く部分である。そこに関しては認めざるを得ない。


「言ったけど……」

「せやったらサクラ。ワシの目を信じてくれんか? そしてキュウゴを信じてやってくれんか? とにかく事情を聞かな埒があかん。違うか?」


 ここに至ってもソウスケは極めて冷静で理知的だ。彼の言っていることは紛れもない精錬。罵詈雑言を浴びせてキュウゴを委縮させるより、ちゃんと話を聞いて情報を得たほうがいい。


「……分かったってば」


 ソウスケの手がサクラの蒼脈刀から離れた。サクラは蒼脈刀を腰の鞘に戻すとキュウゴに背を向けた。


「話は聞く。信じるかは別だけどね」

「よっしゃ。キュウゴ、お前の兄貴は何でツバキをさらったんや?」


 ソウスケに問われたキュウゴは、俯きながら口を開いた。


「分からないであります。自分も兄上が具体的になにを考えているかは……しかし邪神の復活と両親を失った復讐は果たそうとしているのは確かであります。でもどうしてそこにツバキ殿が絡むのかまでは……」


 弟なのに何の計画も知らされていないなんてありえるのか。再び湧き出した疑念を抑えようと仕留めるも、サクラは堪えきれず、キュウゴに向き直った。


「分からないって言葉を信じろっての?」

「無理でありますよね。でも自分は父と母の方が許せないであります。多くの人を傷付けて、傷付け過ぎたであります。殺されても仕方がない。自分は割り切れたでありますが、兄は割り切れなかった。そんな兄の成そうとする復讐のためにツバキ殿が必要なのであります。それがどんなものかまでは分からないでありますが……自分には止める義務があるのは確かであります」


 命を賭してもかまわない覚悟がキュウゴの表情に現れている。この感情に嘘偽りはない。サクラですら、そう確信するより他にない、強大な気を放っている。


「よっしゃ。事情は分かったわ。せやったらツバキを助けに行こか」


 ソウスケの提案に真っ先に異を唱えたのはサザンカである。


「ここで大人しくしてるように言われたです! 実力差は思い知ったですよね?」

「知ったことか。負けたまんま終われるかい」


 ツバキを助けるために必要なことは何だってしたい。そのために命を賭すことになっても本望だ。


「ソウスケの言う通りだってば。このまま黙ってみてるなんて出来ないっての」


 サクラも同調したことでサザンカの青ざめた顔がさらに血の気を失っていく。


「軍の人員が来るまで待つです!!」

「手遅れにならない保証あるっての!? それに黄之百合はあんたの親の仇なんでしょ? 今の状態ならなんとかなるんじゃない?」

「それは……そうですけど……」


 サザンカも迷っている。彼女の抱えた復讐心が誘惑にくすぐられているのだ。ツバキを助けるためなら親友の復讐心だって利用する。ツバキが敵の手中に落ちた今、手段を選ぶ余裕も時間も残されていないのだ。


「ちなみにソウスケ、助けにいくってキュウゴとって事?」

「せや。仲間は一人でも欲しい。そう思わんか?」

「仲間は欲しいかもね」


 キュウゴの干渉制御魔法はこの状況で得難い戦力である点は否定できない。

 それにあの表情をする人間は、肉親だって殺せる。裏切る可能性は低いとみていいだろう。


「まだあんたを信用したわけじゃないから。裏切ったら許さないかんね」

「サクラ殿……ありがとうであります」

「行くよ、みんな」

「おうよ」

「はいであります」

「待つです!!」


 三人の前に両手を広げたサザンカが立ちふさがった。


「サザンカ。あたしは親友を助けに行かないなんて無理。だいたいカラスはキュウゴに関して相当甘いじゃん。それがこっちの武器になるっての」

「自分も同意見であります。カラスは、自分に危害は加えてこないであります。何より自分もツバキ殿を助けたいであります。自分の家族のせいで誰かが犠牲になるのは……もううんざりであります」

「冷静になるです! ユウキ君を信じて待つしかないです!」


 ユウキのことは信じている。だけど信じていることと待つことは別だ。信じて待つより、信じた上でこちらも動きたい。

 それに待てない理由はそれだけじゃない。頭が冷えていつも通りの働きを取り戻したことでようやく気付いた。

 誘導魔法の才能に優れるツバキを生きたまま拉致したこととカラスから受けた左肩の刺し傷が教えてくれた。


「先生のことは信じてる。でも待つのは性に合わないっての。それに奴らがやろうとしていることがあたしにもようやくわかった」

「何をしようとしとるんや?」

殲滅法撃せんめつほうげき

「なんや? 殲滅法撃って」


 ソウスケの疑問に答えたのはサザンカであった。


「誘導魔法の奥義です。特定対象を狙うように調整した誘導魔法で相手を根こそぎ打ち滅ぼすです。例えばソウスケの血を入手して、その血縁者を殺せと設定すれば、その血を引く者全てを殺戮するです。例外はありはしないです」

「せやったら連中の狙いは、殲滅法撃を盾にして白百合家から邪神の情報を引き出すことか? いや血を入手しとるっちゅーことは白百合家と接触しとる言うことや。その時点で拷問でもして情報を引き出しとるんやないか?」

「それにいくら兄上でも身分が極秘とされる白百合家の人間の血液を入手するのは……」


 サクラは知っている。カラスが必要なものをすべてそろえていることに。


「手に入れたよ。白百合家の血は、あの人に刀についてる」

「サクラどういうことや……まさか!?」


 サクラは頷いた。


「あたしが原初の王家の末裔、その一人ってわけ」

「は、初耳やで!!」

「そりゃそうでしょ。知ってんの、学院長とサザンカだけだし。今はユウキ先生も知ってんのかな」

「せやったら奴は、欲しいもんみんな手に入れたっちゅうわけか!?」

「だとしても猶予はあるです。殲滅法撃は蒼脈師一人じゃできないです。ある程度の術者の技量と増幅用の術式が必要なはずです」

 

 ツバキは誘導魔法の修行に力を入れていた。前者の条件は満たしている。結果的にツバキに真実を隠し続けてきたケンジロウノ判断が正しかったというわけだ。

 だけど今は効果をしている暇はない。親友の努力がカラスの身勝手な野望に利用される。親友の努力を侮辱されるのは、サクラにとっては耐えがたい屈辱だ。


「兄が……カラスがツバキを連れていくなら増幅術式の設置できる場所でありますか?」

「増幅用の術式言うんはでかいんか?」

「相当大型のはずです。隠しておくなら相応の場所を用意しないと……」

「そこなら心当たりがあるであります。カラスに連れられてアザミの一族の会合に行ったことが一度だけあるであります。古いボロ屋敷。あそこは相当広いでありますから」

「ホンマか?」

「間違いないであります。場所はここから北に一時間ほど行けば」

「よっしゃ!! みんなで乗り込んでツバキを助けるで!!」

「だからダメです! ユウキ君が来るの待つです!!」

「サザンカお願い!! ツバキを助けなくちゃ! あたしはツバキを助けるために強くなろうって思った! 今はまだ弱いかもしれないけど、それでも何か行動できるならしたいんだってば!!」

「ですが……」

「お願い。どの道動ける人員は僅かじゃん。それに殲滅法撃を発動した瞬間、ツバキは奴らにとって用済みになる……発動前に何とかしないと。それにあいつらはたぶんあたしが白百合家の末裔だって知ってる。でも血液を入手する以外目もくれなかった」


 サクラを白百合家の末裔と知っていたのに、血を得る以上のことはしなかった。サクラもさらって拷問して情報を吐かせるという手段を取ってもおかしくないはずなのに。

 仮に拷問されたとしてもサクラは邪神の封印場所を喋らない。いや喋れないと言った方がいい。サクラは邪神の封印場所を知らないのだ。

 おそらく敵はサクラが邪神の封印場所を知らないことを知っている。だからツバキだけさらったのだろう。つまりアザミの一族は、すでに邪神の封印場所に大体の見当をつけているのかもしれないし、白百合家に直接聞く以外の方法を構築しているとも考えられる。


「嫌な予感がするんだ。今すぐやばいってさ」


 サザンカは大きなため息をついて首を何度も横に振る。その表情は、諦念ていねんに満ちていた。


「……分かったです。どうせ言っても聞かないです。その代りみんなは無理をしないことです。あくまで探すだけで場所を見付けたら即撤退です。うちはこの情報をユウキ君に伝えに行くです」


 サザンカは懐から細い紙筒を取り出してサクラに手渡した。


「無線機を取りに行ってる時間もないですからこれを持っていくです。軍が使う煙弾で魔力を込めると十秒後に発射。気力を込めると即時発射です。ツバキが囚われている場所を見付けたら絶対に突入せず、これを使ってください。魔力を込めて使ってその場から即時退避です。これさえ撃ち上げればユウキ君やうちの目にも入るですし、かなり長く煙が残るですからキキョウ先生が要請してる軍の人間にも伝わるです」

「分かった」

「突入しても無駄死か、ツバキを連れて逃げられるだけです。絶対にユウキ君か軍の増援を待つです」

「分かった。約束する」

「うちはユウキ君のとこへ行くです。状況を説明しないとです」

「気を付けてねサザンカ。無理言ってごめん」

「大丈夫です」


 サザンカが壁に空いた穴から外に出るのを見送ってサクラはソウスケとキュウゴを交互に見た。


「よし。あたしたちもここの人たちの応急処置すぐに済ませていくよ」

「よっしゃ」

「了解であります」


 サクラが負傷者に近づこうとすると白衣を纏った学生が食堂になだれ込んできた。

 治癒魔法を得意とする医術科の学生の証だ。

 未熟な自分たちが処置するよりも、彼らに任せた方がよい。


「ツバキ待っててね」


 サクラとソウスケとキュウゴは、崩れた壁から食堂を飛び出した。

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