第44話『殲滅法撃』
花一華ユウキは、焦燥を燃料にして両足を回転させ、曇天に覆われた街を疾走していた。
街行く人々は、その速力故にユウキの姿を視認すること叶わず、暴風が吹き荒んでいるのだと錯覚している。
「どこに行った……気配を探れ。ツバキの気配を――」
突如鼻先に感じた違和感。急停止と同時に後方へ跳んだ。さっきまで立っていた石畳がえぐれ、その下にある土が見えている。
ユウキは、着地と同時に蒼脈刀を抜いて周囲を確認した。
通行人は、ユウキの抜刀からただごとではない気配を感じ取ったのだろう。蜘蛛の子を散らすように方々へ走り去っていく。
その場に残されたのはユウキを除いて二人。一人は両手に光る糸を巻き付けた手負いの男――黄之百合イスケである。ユウキを見つめる双眸には零れんばかりの怨嗟が漂っている。
「現実的に考えてしつこい男は嫌われるぜ、花一華先生」
もう一人は髭を蓄えた総髪の青年だった。頬がこけており、肌も青白い。白い着流しを纏っており、手には白鞘の蒼脈刀が輝いていた。
「あれが花一華ユウキか。さすがの闘気と殺気か。お肌が痺れる」
総髪の青年は白鞘の蒼脈刀を逆手に持ち替えると、深く腰落として構えた。
「我が名は、アザミの
「行くぜ千日紅!!
黄之百合の両手の指先から青い糸が弾丸のように飛び出した。千日紅が飛翔する糸に追随する速度で間合いを詰めてくる。
ユウキが蒼脈刀に無効化魔法を込めて糸を切り払うと、霧散して主なき蒼脈と化す。ユウキの振り終わりを狙いすました千日紅の刃が三つの軌跡を描いた。
常人であれば切られた感触を覚えることすら許されない三連撃は、花一華ユウキにとっては、想定内の速度だった。
冷静かつ確実に蒼脈刀で受け止め、すぐさま反撃の一刀を浴びせる。
狼の牙が如き刃の先端が千日紅の左頬を捕え、鮮血が噴出した。千日紅もユウキの反撃は予想して立ち回っていたのだろうが、予想をしても完全に避け切れないのが花一華ユウキの攻撃なのだ。
「格が……違うか」
ぼそりと呟いた千日紅が退いた。ユウキは千日紅に追い縋り、後退した分だけ間合いを詰める。
本来ユウキは、防御を重視して受けに回って隙を見付けたら即反撃に転じる戦法を得意としている。これはユウキの性格に起因した立ち回りであるが、前に出られないわけではなかった。
防御技術だけで狼牙隊の分隊長は務まらない。防御が特に優れるのであって、防御以外の技術も超一流。一度攻めに転じれば嵐のような連撃で敵の命を喰らう。
とは言え、普段のユウキなら攻めに転じる場面ではない。一刻も早くツバキを助けたい想いが攻勢を促している。
無謀でもなく、まして精彩を欠いてもいない。だが、敵からすればユウキの焦りは、一目瞭然だ。
「
地面から無数の糸が突き出し、ユウキの前進を阻む。コンマ秒にも満たない硬直がユウキに生じ、狙い澄ましたように千日紅の繰り出された刺突が糸の隙間を縫って鼻先に迫ったが――。
「舐めるな!!」
蒼脈刀の一薙ぎで黄之百合と千日紅の攻撃を吹き飛ばした。
花一華ユウキは焦燥して尚、尋常外れに強い。
その事実をユウキは蒼脈刀に乗せて敵に叩き込んだ。様子見もしなければ、出し惜しみもしない。全身全霊をもって――。
「お前たちを殺す」
――――――
ぼろぼろの赤い絨毯に桜葉ツバキは寝かされていた。ツバキを中心として幾何学模様の術式が刻まれた円状の陣が描かれている。陣を取り囲むように十数人が立っていた。気配からしていずれも蒼脈師であろう。
身体を縛られてはいないのに身動きが取れない。陣に背中と手足が張り付いているようだった。
首も動かせないツバキの視界に映るのは朽ち果てて空が覗き見える天井と年代物の蜘蛛の巣。そしてこちらを覗き込んでくるカラスの顔だった。
「遠くに感じるこの気配。始まったようだ。君の先生が君を助けに来たらしい」
ユウキが来てくれた。ツバキも微かだが戦いの気配を感じる。心の内に安堵が咲き誇った。
「諦めて」
ツバキはカラスの眼をまっすぐ見つめたそういった。
「何をだ?」
「邪神の復活。国家の転覆。何もかもだ」
「何もかもか……さすがにエリートさまはいうことが違うな」
「私はエリートじゃない。ただの落ちこぼれだ」
カラスの唇から歯ぎしりの音が漏れる。その音が届くより速く、カラスのつま先はツバキのこめかみを蹴っていた。あまりの衝撃に脳がくらみ、吐き気が込み上げてくる。
ツバキを取り囲む蒼脈師の一人が慌てた様子で声を上げた。
「カラス様! 彼女が死んでは――」
「黙っていろ! 桜葉ツバキ、貴様は成功品だからそんなことが言えるんだ」
叫ぶように言いながらカラスは、ツバキの顔面を踏みつけた。
「貴様に僕たちの屈辱が分かるはずがない!」
踏まれる度、ツバキの額や頬の皮が裂け、鼻の軟骨が潰れていく。それでもツバキの心は折れない。ユウキが必ず助けに来てくれる。信頼がツバキの残された唯一にして最大の武器だ。
「わ……分からないし、分かりたくもないよ」
カラスは踏みつけるのやめてツバキの顔を覗き込んだ。
左のまぶたが腫れて眼が塞がり、鼻から止めどなく血が溢れて呼吸しづらい。割れた唇を動かすたび走る痛みで涙が出そうになる。
それでもツバキは思いを言葉にして紡いだ。
「あなたたちの願いは、誰かを犠牲にしてまで叶えるような望みじゃない……」
ユウキが来るまでの時間を一秒もいいから長く稼ぐのがツバキの戦いだ。動かせるものはなんでも動かしてカラスに立ち向かわなければならない。
だったらついてやる。痛い所。破綻した論理を。
「力を欲した先に何が欲しい? どうせ金やら権力だ。お決まりで安っぽい。お金が欲しいなら働けばいい。権力が欲しいなら政治家になればいい。何の努力もせず短絡的な結果に飛びつくのは、落ちこぼれですらない。ただのダメ人間だ」
カラスの野望は太正国を脅かす。絶対許すわけにはいかない。今カラスに立ち向かえるのはツバキだけだ。民を、国を、友達を守るためにも負けるわけにはいかない。
「ユウキ先生が私に教えてくれた。頑張れば誰かが見てくれてるって。応援してくれる人がいるって。ユウキ先生が気付かせてくれた。ううん、思い出させてくれた。
「子供が……」
カラスは、やぶ蚊を
「そう、私は子供。その私から見ても、あなたは駄々っ子だ」
「貴様に影で生きる物の気持ちなど理解出来ない。僕たちアザミの一族が受けた苦痛と屈辱は、お前などには理解できるものではない」
「王家に反旗を翻した逆賊だ」
「正当な権利だ! 奴らが何をしたか知らないからそんな事を言えるんだ!!」
「じゃあ教えて。何をしたのか」
「品種改良だよ」
「品種改良?」
「犬や猫をそうするだろう。自分好みの毛意見や性質にするため何度も交配を続ける。桜の一族は白百合家が誘導魔法に優れた資質を持つ物を掛け合わせて作り上げた兵器だ。だが品種改良の段階で必ず要求に満たないモノが誕生する。これは人間であっても例外じゃない。その基準に満たなかったものをアザミの一族と呼んだ」
「あなたと私は、同じ祖先?」
「そうだ。しかし誘導魔法の才のない失敗作の使い道は、汚れ仕事だ。特攻、捨て駒、肉壁。人を人とも思わずに使ったのだ」
白百合家に黒い部分があったのはきっと嘘ではない。けれど黒いばかりであるはずがない。人間は黒い部分の裏に白い部分も持っている。そういう風にできている生き物だ。
「白百合家は、民にとってとても良い王だったと教わった。民を守るためには犠牲がつきものだ。だから職業軍人が居る」
「僕たちは戦うことを望んだわけじゃない!!」
「力ある者は、力なき者を守るべき。力を持って生まれたあなたたちは無辜の民を救うために力を使いべきだ。それなのにやってることはわがままを貫いてるだけ」
本当に白百合家が悪辣な王家だったのならアザミの一族以外にも反旗を
結果的にアザミの一族だけが反旗を翻し、邪神などという力に傾倒したのは彼等自身の責任だ。
民のために強さを振るうのではない。自分のために強さを振るう者たち。狩りに桜の一族と立場が逆であったとしても彼らは王家に反旗を
「私には理解出来ない。あなたが羨ましいと思った」
「羨ましいだと!?」
「ユウキ先生に迫れるぐらい強いあなたは、類まれな努力をしたんだ。きっと私なんかじゃ足元にも及ばない。だけどその力を使い方を間違えた」
力とは強き者が弱き者を守る時だけ振るうことを許される。強き者が己の利益のために振るうのは単なる暴力にすぎない。
「ひどい過去があったかもしれない。許せないかもしれない。同情できる部分はたくさんある。でも白百合家への復讐心は建前だ。私には分かる。あなたが欲しいのは権力と金。自分の思うままの世界じゃないと嫌なだけの駄々っ子だ」
そんな一族に嫌気が差したからキュウゴは
「キュウゴロウは、どうしてあなたたちと一緒に居ないのか分かる?」
「弟の名前を気安く口にするな!!」
「あなたたちが純粋な復讐心のもとに行動していたら、キュウゴロウは同調したのかもしれない。祖先の汚名をそそぐために戦っていたのなら、同調したかもしれない。でも見抜いたんだ。あなたたちが何のために戦っているのか」
「黙れ!!」
カラスの爪先がツバキの左頬の皮を破った。それでもツバキは怯まない。急所を突かれて慌てるカラスの苦々しい表情が心地よくて痛みなど感じる暇もないのだ。
「あなたたちから……いえ、あなたから感じるのは、使命感じゃない。虚栄心だ」
「何を言おうが貴様のわけだ。光栄に思え。貴様は我々アザミの一族とともに革命の
「はっ」
陣の上に立つ数十名の蒼脈師たちの足元から魔力が溢れ、陣に沿って浸透していく。
「白百合が邪神を封じた際の封印は血を用いたそうだ。
カラスは直刀を鞘から抜いて切っ先についた血の雫をツバキの胸元に垂らした。
「お前の技が教えてくれる」
ツバキの寝かされている陣が青い輝きを放つと、全身から熱が差すような痛みを伴って体内に入り込んでくる。
「ぐ……あっ!!」
蒼脈師たちの魔力だろう。このまま流し込まれたらカラスの目的が達成されてしまう。懸命に体内から追い出そうとするも、注がれ続ける魔力に抗うことは叶わなかった。
「無駄だ。この魔法陣の制御権は、お前ではなく彼等にある。どれだけ抵抗しても殲滅法撃は起動する」
「絶対に、撃たせな……い」
「虚勢を張った所で無駄だ。貴様には何も出来ない。花一華ユウキもここには来ない」
「先生は……負けない」
「さぁ解き放て」
陣の輝きが一層増していく。すると陣を囲っている蒼脈師が一人また一人と倒れていく。
「な、なんであの人たち……」
「彼等はアザミの一族の無念を晴らそうと懸命なのだ。自らの持つ蒼脈と命すら代償にして極大の一撃を放つ。お前の微々たる蒼脈では封印を破るだけの火力を確保できないんだ。だがこれだけの破壊力を一発の弾丸として放てば破壊出来ない封印などない」
カラスは、破れた天井から除く空を見上げ、
「そして邪神は、僕のものとなる」
微笑みながら天高く直刀を掲げた。
その姿はまるで邪悪に魂を売り払った愚か者が顕現したかのように浅ましかった。
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