第41話『一対二』

 蒼脈刀を手にした花一華ユウキが一歩を踏み出すとカラスと黄之百合の表情が強張った。圧倒的優位をほしいままにしていた二人に去来した初めての緊迫であろう。


「僕たちが帰還する際に生じる一瞬の隙を狙っていた……か。とことん抜け目がない」

「本当だったら俺の人形ともっと遊んでもらう予定だったんだがよ。こんな短時間で解体するかね。現実的に考えて」


 ユウキの耳に二人の声は入ってこない。彼らの主義主張などどうでもいい。すべきことは生徒たちを守ること。害をなす敵を排除することの二つだけ。

 柄を握りなおして体勢を前傾にすると、黄之百合が両手を揃えて指先をユウキに向けた。


「おっと。現実的に考えろよ。花一華ユウキさんよぉ。有利な状況なのはどっちだ?」

「イスケ。キュウゴは解放しろ」

「未熟とは言え、戦力を増やせってか? 相手に塩送るつもりか。あり得ねぇだろ、現実的に考えて」

「いいから離せ。あの子は弟だ。危害を加えたら貴様を斬るぞ」

「現実的に考えろや。一対一じゃ、あの花一華ユウキには勝てねぇぞ。今は任務の達成が最優先だ」


 一見すれば仲間割れ。攻め入るには絶好の機会。しかし二人に付け込める隙はない。この言い争いはユウキの行動を誘うための策略だ。下手に動けば生徒たちがこま切れ肉と化す。


「花一華、選択の時間だ。現実的に考えろ。俺たちとツバキを黙って逃がすか。生徒たちを危険な目に合わせてでも俺たちを殺すか」


 黄之百合の正体に気が付けなかったのは何故だ?

 後悔している場合ではないが、それでも後悔ばかりが頭をめぐってしまう。

 気付いてさえいれば、その時点で始末していた。始末さえしていればこのような事態に陥ることもなかっただろう。


「言っておくが、こいつの弟のキュウゴ君だけを殺さずに他三人を殺す芸当は出来るぜ。俺の糸捌さばきを見たろ。人形に糸をさばかせてあの精度だ。俺自身が糸をさばけばどこまで出来るか。現実的に考えれば分かる筈だ」


 まともにやり合っても紛れもない強者。先ほど倒した人形とは戦闘能力の格が違う。


「だが俺もこの学校に潜入してそれなりの時間はすごしてるからなぁ。生徒たちに多少の愛着はある。できれば有望な若者は殺したくねぇ」


 嘘はついていない。だがいざ殺すとなれば躊躇しないのも確実だ。


「それに人質殺した瞬間、あんた怒り狂って俺らを殺しに来るだろ。本気のあんたとやり合うのは現実的に考えて避けたい。二対一で有利だが、人質を連れながらってなると分が悪くなる。現実的に考えて、ここはお互いに利を取るとしようや。あんたは四人の生徒を守って、これからも先生ごっこを続ける。俺たちはツバキをいただいて目的を果たす。これが両者にとっていいだろ。現実的に考えれば」

「僕の弟は連れていく」

「悪いな。じゃああんたの生徒は三人だ」


 この状況における最善手はなんだ?

 全てを救うのは不可能と諦めて、護衛対象であるツバキを真っ先に助けるべきか?

 それとも数を取り、サクラ・ソウスケ・サザンカ・キュウゴを優先するべきか?

 本心では全員を助けたい。けれど二対一の状況でそれは叶わない。

 花一華ユウキは、動かなかった。下段の構えを取りつつも微動だにしない。

 カラスと黄之百合は訝しげだ。花一華ユウキほどの使い手が簡単に敗北を受け入れるのか?

 けれどユウキが動かないのなら好都合であることに変わりはない。何らかの考えあっての制止だとしてもこの機に乗じて郊外へ脱出したい。

 このような思考の後、黄之百合とカラスが撤退を選択することをユウキは予測していた。ユウキが黄之百合の糸から解放した教員と生徒たちが通報し、いずれ警察や軍が来て学院を包囲する。膠着状態を避けたいのは黄之百合とカラスだ。

 カラスはユウキに先んじて直刀を振るい、蒼牙閃を放った。標的はユウキではない。食堂の壁である。蒼い斬撃は容易く壁を食い破り、数人が通れる隙間を刻み込んだ。


「行くぞ。黄之百合」

「おう。おら二人とも来い――」


 黄之百合が左手を引いた瞬間、鮮烈な斬撃が床から天井へと駆け抜けた。辛くも逃れる黄之百合だったが、攻撃を放った者の姿に驚愕を露わにする。

 倒したはずの姫川キキョウが蒼脈刀を振るい上げていた。重傷を負っているにもかかわらず剣閃は全盛の力を保っている。


「ちっ生きてるかよ!? 現実的に考えて!」


 キキョウの一撃。この好機は無駄に出来ない。無数に伸びた糸のどれがどの生徒を拘束しているか、ユウキは見当を付けていた。問題は糸をどの順番で切り裂くか。


(迷っている暇はない)


 決断の直後、ユウキの繰り出した蒼牙閃が黄之百合の操る糸の一部を切り捨てると、サクラ・ソウスケ・サザンカ・キュウゴの四人が糸の拘束から解放される。

 続けざまに放たれた蒼牙閃の二連目がツバキを捕らえる糸に向かって飛翔した。人に触れるまで皮一枚の距離まで迫るも、別方向より飛来した蒼牙閃に阻まれ、相殺される。カラスの放った蒼牙閃が糸の切断を阻んだのだ。

 三撃目を撃つよりも素早く黄之百合が右手を引き、ツバキの身体が釣り糸にかかった魚のように引き寄せられ、黄之百合の手中に落ちた。

 

「より多い命を救うってか。軍人としては現実的な判断だな。だがひでぇ教師だぜ。ツバキおまえ見捨てられたんだぜ?」


 黄之百合はツバキの首を左腕で締め上げて盾にしている。

 ツバキは苦悶の表情を浮かべているが、そこに恩師に捨てられた悲壮な感情はない。強固な意志と燃え盛るような信念を瞳に灯していた。


「先生……私に構わないでこいつらをやっつけて……」


 自らの命を捨ててもよい決意表明。真っ先に異を唱えたのはサクラであった。


「何言ってんの!? ツバキ今助けるから!」

「動くな!!」


 ユウキの吠えるような声がサクラを竦ませた。


「足手まといだ。君たちを守りながら戦える相手じゃない」


 教師としてもっとも言ってはならない言葉であるのは理解している。しかし今この場に居るべきなのは教師としての花一華ユウキではなく、軍人としての花一華ユウキだ。


「キキョウ先生。手負いでつらいでしょうが、生徒たちを頼みます」

「ええ。分かったわ」


 ユウキは中段の構えを取りつつ、一歩ずつ間合いを詰めていく。

 黄之百合とカラスは、臨戦態勢を取りつつも困惑の色を浮かべていた。


「二対一で勝つつもりか。現実見ろよ」


 ユウキの足取りは変わらない。


「自分で言ってただろ。人質を抱えた状態で俺と戦うのは無謀だって」

「僕たちはツバキを盾にして戦う」


 カラスの恫喝どうかつにも動じない。


「現実的に考えろ。人質が居るのに、まともに戦えるわけないだろ」


 黄之百合とカラスはこの戦いの本質を理解していない。


「お前たちこそを現実考えろ。?」


 ユウキがツバキを守るのは個人的感情でもあり、任務でもある。では黄之百合とカラスはどうなのか?

 個人的感情はない。あくまで任務としてツバキが必要なのだ。ツバキに死なれてしまっては彼らの目的は達成できないはず。

 もちろんユウキはツバキを死なせるつもりはない。お互いにツバキを殺せない以上、ツバキには人質としての価値はない。

 人質とは殺されたくない大切な人を持つ人間と人質を殺してもかまわない人間の間でしか成立しないのだ。


「どうやら僕たちは認識が誤っていたようだな。君は四人と一人の命を天秤にかけたら容赦なく一人を斬り捨てると」

「現実的な考え方だぜ! マジかよ! 護衛対象を見殺しかよ!」


 個人的感情は抜きして、よりツバキに死んでほしくないのは黄之百合とカラスの方だ。ツバキが生きている状態で無ければ目的は達成できないはず。

 ならばそれこそがユウキにとっての好機であり、起死回生の切り札だ。

 

「ツバキを全力で守りながら動くんだな」


 ユウキは中段構えから霞の構えに移行し、床を蹴った。目標はツバキを捉える黄之百合。遠距離型且つ人形使いの彼を潰すのは定石。

 接近を許すまいとカラスが立ちふさがり、直刀を振り下ろした。大気を切り裂くカラスの速攻をユウキは剣先でいなすと、視線で黄之百合をけん制する。

 咄嗟にツバキを盾にする黄之百合だったが、ユウキは怯まない。

 躊躇は微塵もなく、殺意だけを切っ先に乗せてユウキは蒼脈刀を突き出した。


(おいおい!! マジかよ!! こいつツバキごと俺を撃ち抜く気か。あり得ねぇだろ!? 現実的に考えて!)


 黄之百合の懸念は現実と化し、ユウキの蒼脈刀から蒼牙突の光が放たれた。

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