第40話『黄之百合イスケ』

 黄之百合イスケが人形使い。真実を突き付けられたサザンカとキュウゴを閃光のような驚愕が襲った。


「お前が……人形使いの本体です?」

「嘘であります! 人形使いの人とは面識があるであります。声も見た目も全然黄之百合先生とは全く違うはずであります!!」


 キュウゴの問いに、黄之百合は嘲笑ちょうしょうを浮かべた。


「昔お前が会ったのは俺の人形だ。実はカラスとも素顔で会うのは、今日が初めてだ。俺みたいな使い手はたとえ味方相手でも顔を晒す利点がないからな。現実的に考えて」


 遠隔操作型の人形使いにとって本体の素性を隠すのは定石。しかし味方にまで秘匿する例は極めて珍しい。

 蒼脈師学院に教師として潜入し、数年にわたって全員を騙していた実績が黄之百合イスケの技量を物語っている。明らかにカラスと同格の使い手だ。

 しかしサザンカにあるのは強敵に前にした恐怖ではない。怨敵を前にした憤怒の一念だ。


「お前が……お前が両親の!」

「うるせーガキども」


 サザンカが左腕を振り上げ、黄之百合の間合いに踏み込もうとした刹那、極細の青い光が一年一組全員の身体を縛り上げた。

 黄之百合の十指の先端から数百を超える糸が躍り出ている。

 技の起こりを視認できた者は、一年一組の中には居ない。

 サザンカとて例外ではなく、この場でその瞬間をとらえた者が居るのなら、おそらく敵方のカラスぐらいだろう。

 実力差は明白。しかも頼みのキキョウは倒され、ユウキも駆けつける気配がない。

 そんな絶望的状況においても一年一組の生徒たちにたぎる闘志にいささかの衰えもなかった。


「あんたは前から胡散臭い思っとったで」


 冷笑と共に吐き捨てるソウスケに対し、黄之百合は満面の笑みを返した。


「いい勘してるな。俺、お前のことは結構評価してたんだぜ」

「おどれなんぞに気に入られても毛ほどもうれしくないわ」

「嫌われちまったなぁ。俺の演技は良かったと思うんだけどな。現実的に考えて」


 黄之百合の瞳に殺意が灯った。彼からすれば恐らくは火の粉のようなもの。敵を牽制する目的で放つ害意ではない。蚊をうっとうしく思う程度のささやかなモノ。それですら若い狼たちの闘争心をかき消すには十二分の威力を持っていた。

 怨敵を前にしているサザンカですら例外ではない。心の芯から震えが滲み出してくる。復讐の情念を糧にしてすら肉体は動作を拒絶した。


「いやー焦ったぜ。お前の成長速度、異常だからよ。本当は全ての教師と生徒を糸で操作して楽に任務達成のつもりだったんだがよ。一ヶ月二ヶ月と慎重に事を運んでたら機を逸するってことでな。急場の作戦決行となったわけだ。しかし現実的に考えて、マジでギリギリのタイミングだったわ。これ以上遅れてたらお前たち四人はもっと厄介になってはずだからな」


 黄之百合からすれば素直な称賛の言葉。一年一組の生徒たちからすれば現実を突きつける言葉。

 急遽の作戦決行。裏を返せば今の一年一組の生徒たちなら確実に殺せるという意思表示。


「まぁこうなっちゃ若き達人と言えども――」


 黄之百合の指が微動し、糸が揺れる。

 糸の切れ味は本物だ。いかなる手段をもってしても今の一年一組の生徒たちでは防ぎきれない。

 さらにツバキを縛る糸だけは微塵も動きを見せていなかった。ツバキを拘束しつつ彼女以外を細切れにする。黄之百合イスケの精細な操作能力をもってすれば、いともたやすく達成できるのだ。

 だが、その行為を阻まれた。カラスの直刀が木之百合の右腕を貫いている。


「おい。何すんだカラス。痛いじゃねぇか」


 腕を貫かれながらも黄之百合は平静を保っていた。

 一方のカラスは研ぎ澄まされた殺気を黄之百合に差し向けている。その矛先がこちらに向いていないことにサザンカは安堵し、安堵した自分に腹を立てた。


「僕の弟を殺す気か」

「現実的に考えろ。あいつはもうお前を兄とは慕ってねぇ」

「関係ない」


 黄之百合は舌を打ち、直刀から右腕を引き抜いた。


「うるせーなー。分かったよ。縛るだけにしとく」


 言いながら黄之百合の左手の小指が動き出し、魔力で形成された糸が右腕の刺し傷をみるみると縫合していく。


「て言うか気軽に刺すんじゃねぇ。あと切る時も手加減しろ。いくら不意打ちのための芝居とは言え、本気で切るかよ」


 黄之百合の胸の切り傷も右腕同様、蒼く光る糸で縫合されている。


「胴体の止血は色々と面倒なんだって分かるだろ。現実的に考えて」

「急所は外した」

「馬鹿。痛ぇって話だ。俺が血のりを使おうって現実的な提案した時もリアリティがどうこうで突っぱねやがって」

「実際うまく騙せたろ」

「俺の演技力あってのもんだろうが。現実的に考えて。あーあ。何年も口を開ければ気合だの根性だの疲れたぜ。現実的じゃねぇぜ」


 黄之百合の負っているダメージはないに等しい。

 キキョウも倒れ、ユウキもまだ来ない。

 状況は最悪。好転の兆しも見えない。

 だけど守らなくてはならなかった。三笠サザンカに与えられた任務は桜葉ツバキを守ること。己に課した誓いは年若い友人たちを守ること。

 恐怖に竦む自分を許すな。復讐心でも憎悪でも何でもいい。あらゆる感情を動員して恐れを踏み殺せ。

 目の前にいるのは親の仇。ようやく巡ってきた絶好の機会。友人を守り、軍人としての任務を達成しつつ復讐も完遂するこの上ない機会。

 無駄にはできない。


「うちがみんなを守るです!」


 サザンカは仙法の出力を極限まで高め、糸を断ち切ろうともがいた。けれど糸はあまりに強固で着物を裂き、皮を断ち、肉に食い込むばかりだった。


「おいおーい、無理するなよ。現実的に考えて俺ほどの使い手の蒼脈糸をお前みてぇな雑魚雑魚の雑魚が切れるわけねぇだろ」

「関係ないです! お前がうちの両親を……うちの左腕を。この憎悪を糧にすればこんな糸ぐらい切れるです!」

「え、お前誰?」


 ――今なんて?


「殺した奴の顔なんかいちいち覚えてねぇよ。現実的に考えろ。俺が何人殺したと思ってんだよ。まぁたしかにちょっと童顔だが、いい女ではあるな。しかし覚えてねぇな。強ければ覚えてんだけどな」


 忘れたなんて言わせない。必ず記憶しているはずだ。脳の片隅にでもあるのなら呼び起こさせやる。

 過去に自分が殺した相手の名前を。今自分を殺す相手の名前を。


「うちは三笠サザンカ!! うちの父と母は、松山基地に務めていたです!」

「松山基地ね……なんだっけ?」

「蒼脈法や兵器開発専門の技術部隊の基地だ。襲撃作戦には、お前も参加していたはずだ」

「あーあそこは覚えてるわ。クソ雑魚しか居なくて拍子抜けしたからな。だからお前の親もすげー雑魚だったんじゃね。現実的に考えて」

「この野郎!!」


 間合いに飛び込もうと床を蹴ったが、サザンカを縛る糸がそれを封じてくる。締め上げる力は加速度的に増していき、身じろぎ一つできなかった。

 敵がいるのに動けない。敵がいるのに戦えない。苦悶するサザンカを眺めて黄之百合はほくそ笑んでいる。


「左腕だけ機械じゃバランス悪いだろ現実的に考えて。左右対称にしてやろうか?」


 黄之百合が人差し指を振るうとサザンカを束縛する糸が緩んだ。

 今なら動ける。確信と共に戦闘態勢に移行したサザンカだったが、その機動速度を遥かに超越し、無数の糸が右腕を縛り上げた。

 繊維の一つが着物を食い破り、皮膚を断ち切る。やがて糸は肉の筋に巻き付き、堪えがたい痛みがサザンカの右腕を蝕んだ。


「ぐぅ!!」


 小さな悲鳴が上がる度、黄之百合の愉悦が増していく。


「みちみちみちみち。この筋繊維に糸が食い込んでいく感覚がたまらなく好きなんだ。最高だと思わねぇか。活きてる肉を切らねぇとこの感覚は味わえねぇ。普段人形遊びを続けてるとよ、いったい自分が何者なのかがわからなくなる時がある。糸で肉を切る感触が俺の指に伝わる瞬間、俺は初めて現実を生きてるって実感できんだ」


 嬉々とした黄之百合をカラスは冷めた目で見つめている。


「遊んでいる時間はない。早く行きあげるぞ。あと弟を解放しろ。一緒に連れて行く」

「こんな生意気な弟のどこがいいのかねぇ。現実的に考えて分からねぇ」

「お前に理解される必要はない。これで僕たちの任務は完了だ」

「任務は、家に帰るまでが任務だろ。現実的に考えろ」

「人形の回収は?」

「ぶっ壊されちまったからいい。ったく俺の傑作を簡単に壊しやがって。キャラ作りまでしっかりやって口調だって変えたのによぉ。俺にはとっては、現実だぜ。もう一人の俺だぜ。悔しいなぁ。なぁ花一華先生よ」


 黄之百合の視線が食堂の入口に注がれた。

 サザンカは気配など感じ取れなかったが、カラスも張り詰めた表情で黄之百合を同じ場所を見つめている。


「隠れてないで出てこい。僕たちの隙を窺うだけ無駄だ」


 カラスが言うと、食堂に入ってくる男が一人。

 濡れ羽色の髪。左目の傷跡。手には狼牙一閃の刻印が施された蒼脈刀。花一華ユウキがそこに居た。

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