第35話「かゆみ」

 脈式仙法の修行を始めて五日――。

 訓練場でソウスケの手にした木刀とサザンカの左腕の武装義手がぶつかり合い、大気に亀裂を生じさせる。

 驚異的な膂力りょりょくの前に、体勢を崩したのはサザンカだった。


「おらああああああ!!」


 生じた隙をソウスケは、見逃さない。すかさず一歩踏み込み、木刀をサザンカの額に打ち下ろした。

 防御は間に合わない。直撃は必至。微動だにできないサザンカに触れる瞬前、木刀は急停止した。

 剣の纏っていた風圧がときほぐれ、サザンカの白い髪を揺らす。

 サザンカは、一つまみの悔しさが混じった笑顔を浮かべた。


「参ったです。うちの十戦七敗。完全な負け越しです」

「よっしゃ! 脈式仙法! 完全にモノにしたったで!」


 修業を始めてから五日。

 このごく短期間でソウスケはサザンカを超える脈式仙法を習得していた。

 嫉妬を通り越して呆れを覚えさせるソウスケの才能を前に、サクラに許されたのは素直な称賛のみだった。


「悔しいけど、さっすがじゃん。仙法と気法に関してマジで勝てんわー」


 涼しい顔をしているサクラをツバキとキュウゴは顔全体に脂汗をにじませながら恨めしそうに眺めている


「そ、そういうサクラ殿ももう二時間も脈式仙法を維持しているであります。自分なんか一時間が限界であります」

「私は……ダメ。維持出来て十分だ」

「でもちゃんと出来てるじゃん。すごいよツバキ」


 わざとらしく勝ち誇ったサクラに、ツバキは頬を膨らませて抗議の念を示した。


「もう……上から目線」

「ごめんってば。でも十分まで来たら壁は超えてるって。そこから先はあたしも楽だったしさ」

「うん。サクラに追いつけるようがんばる」


 生徒たちのたくましい姿を見て、ユウキの瞳から牡丹雪のような大粒の涙があふれている。


「みんなすごいよ!! この短期間でここまで出来るようになるなんて! ソウスケはもう完璧だし! よくぞここまで立派に!! 夢? これ夢? 夢じゃないよね!?」


 ユウキの杞憂を断ち切るかのごとく、ソウスケの木刀の切っ先がユウキを狙いすました。


「夢やあらへん!! 次は先生や!! 手合せしよか!!」

「お、俺と!?」

「当たり前やろ! サザンカはもう超えた!!」

「うちだってまだ隠し玉があるです!」

「次に超えるべきは先生や!!」

「無視するなです!!」


 ユウキは、腕を組んで喉の奥を鳴らしている。しばしその状態が続いたが、


「い、いいけど……出来れば全員で掛かってきてほしいんだよね」

「全員? なんでや!? ワシは、自分の力が先生にどこまで通用するか試したいんや」


 ソウスケの後頭部にサザンカの鉄拳がめり込んだ。


「いったいな!!」

「うぬぼれるなです。ユウキ君には歯が立たないですよ」

「やってみな分からんやろ!?」

「やってみるまでもなく分かるです」

「な、ワシに負けたくせに!!」

「切り札を使えば形勢は一気に逆転です。まぁソウスケ程度に使う気はないですが」「なんやと!? もっぺん言うてみぃ!!」


 白熱した二人の間にユウキは恐る恐る割って入り、そっと突き放して距離を取らせる。


「と、とにかくお昼休憩にしよう。午後は、しっかり体力回復させた状態で俺と皆で模擬戦だよ」

「五対一なんか、つまらんわ」


 駄々っ子のようにいじけるソウスケを見かねたのか、サクラも厳しい視線を向けた。


「ソウスケいい加減にしなってば。前にサザンカが言ってたじゃん。五人でも先生には歯が立たないって。ようするに次は実戦を想定してってことでしょ」

「……まぁええわ。五人なら本気出してくれるんやろ?」

「うん。午後は俺が本気で戦うよ。俺相手に上手く凌げたらアザミの一族にも通用するはずだからね」

「……ならしゃーない。飯行こか」


 ユウキを除く一年一組の面々は食堂に向かい、全員が日替わり定食を注文して胃袋の中にかきこんでいく。

 味も品目もどうでもいい。とにかく腹さえ満たせればいい。ユウキとの模擬戦に闘志たぎる生徒たちにとって、食事は闘争に必要な力を得るためだけの栄養補給に成り下がっていた。

 そんな生徒たちの様子を木之百合イスケを誇らしげに見つめている。


「みんなよく食べるな!! 素晴らしい!! あははははは!! どんどん食べろよ少年少女!! いつ何があるか分からないんだから食えるうちに食えるだけ食うといい!!」


 黄之百合が離れた途端、ソウスケの表情に嫌悪が色濃く浮き出た。


「けっ。やかましいやっちゃ」

「あんたにゃ負けるっての」

「なんやとサクラ!!」

「でもみんな本当によく食べるです。さすが思春期です」

「サザンカ殿はもう食べないでありますか?」


 サザンカも同じ日替わり定食を注文したが、サバの塩焼きはソウスケに。白米の半分はサクラに与えたため、漬物とみそ汁でぶっかけ飯を作り、それをちびちびとすすっていた。


「人間二十を過ぎた途端、食欲の段階が一つ落ちるです。次が二十五。そして三十。今のうちの気持ちがみんなも四年後分かるです」

「ようするにばばあになったと言うことでありますね」


 サザンカの鉄拳は、電光石火の早業でキュウゴの右頬を貫いた。


「ひ、左腕のげんこつは重いであります!!」


 サザンカは、ぶっかけ飯を手早く片付け、空の食器を重ねてお盆を持ち、席を立った。


「うちは先に行ってるです」


 サザンカの去り際の背中に、サクラが声をぶつけた。


「ついでに、あたしらがいないうちに先生とよく話しなよ。余計なお世話かもしれないけどさ」

「うちは……」

「そもそもサザンカにとってあたしたちってなに? 護衛対象? 友達? 歳が四つはなれてると友達になれない?」

「そんなことないです。確かにうちが中等科からサクラたちと一緒に居たのはツバキの護衛任務の為です。でも、任務抜きでみんなのことを友達だと思ってるです。うちにとってもサクラは親友です」

「じゃあ親友のアドバイスを聞いて仲直りしてこい」

「それとこれとは話が別です。それに喧嘩じゃないです」

「じゃ、なに?」

「うちのやつあたりです」


 サザンカは、覚悟を決めたのか、鼻息を一つ鳴らした。


「ちょっと仲直りしてくるです」


 歩き出そうと一歩踏み出した瞬間、サザンカは右手をお盆から離して、首筋をかきむしった


「どうしたの?」

「なんか首がかゆいです……キュウゴにノミをうつされたですかね」

「失礼であります!!」

「冗談です。じゃあうちは行くですが、ゆっくりと休むです」


 首をかきながらサザンカは食堂を後にした。

 それを皮切りに食堂のあちらこちらから――。


「かゆい!」

「なんだ虫でも居るのか?」

「いやだわ。蚊でも居るのかしら。かゆくてたまらないわ」


 ここまで来るといよいよ、怪しい。サクラは疑惑を込めた瞳でキュウゴを見つめた。


「キュウゴ、あんた本当にノミまいてんじゃないでしょうね」

「だから失礼であります!! って……ノミ?」


 キュウゴの表情が、凍てついたかのように強張った。


「なんや。ほんまに居るんかノミ」

「みんな、身体がかゆい……急にかゆく……脈式仙法を使うであります! 今すぐ!!」

「キュウゴどうしたの?」


 ツバキの問いに、キュウゴはあらん限りの声を振り絞って叫んだ


「奴らがこの学校にいるであります!!」

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