第36話『人形使い』

 訓練場に一人残った花一華はないちげユウキは、額に汗をにじませて蒼脈刀を振るっていた。

 上段から袈裟切り、中段から刺突、下段から切り上げ。音すら追いつけない神速の剣舞でありながらユウキの表情に満足感が灯ることはない。

 感情を支配するのはあくなき武の探求。絶対的な強者への憧憬しょうけい

 全てとは言わないまでも、目の前にいる大切な人たちを守る力が欲しい。

 兄弟子と姉弟子から蒼脈を託された日から一日として休まず、研鑽を続けてきた。


「誰よりも鍛えているです。一生懸命なのは昔と同じです」


 訓練場にサザンカが一人で戻ってきた。

 ユウキは、蒼脈刀を鞘に納めて羽織の左袖で汗をぬぐった。


「少しでも怠けると今よりも弱くなっちゃいそうで不安なんだよね。サザンカ、ご飯は?」

「もう食べたです」

「え!? もう食べ終わったの速くない!? 食欲ないの!? まさか病気!?」


 サザンカは、くすりと笑んだ。いつもユウキにぶつけてきたネバネバとした感情は乗せられていない。


「違うです。ユウキ君こそ、ご飯食べないです?」

「俺は、あんまり食べる気しなくて。この後の模擬戦でみんなを怪我させやしないって心配で心配で」


 本気で相手をするなんて言わなければよかった。後悔で胃がキリキリとうずいている。


「その様子だと本気で戦うですか。あの子たちと」

「……信じるって決めたからね」


 教師の仕事を始めたばかりの時は、生徒たちの覚悟を軽んじていた。

 友のためなら命すらす覚悟に気づけなかった。

 ユウキにできるのは、彼らを信じて彼の望むように教え導くこと。そして信じて全力で向き合うこと。


「あの子たちを信じて全力を出す。それがあの子たちのためになるはずだから」

「キキョウ先生のお説教が効いてるです?」

「うん。効いた。その通りだと思ったよ。だから俺は全力であの子たちを相手しようと思うんだ。実戦に限りなく近い形式で技術を学ばせる」

「そうですか――」


 突如サザンカは、左拳を握りこみ、ユウキの懐に潜り込んだ。

 ユウキの顔面をめがけて放たれた鉄拳。唐突な行動の真意を訝しく思いながらユウキは、蒼脈刀を抜き、サザンカの拳打を受け止めた。


「サ、サザンカ!? 一対一でやるの!?」

「ち、違うです!!」


 サザンカは狼狽ろうばいしつつ、全身を戦慄わななかせている。内側で暴れる悪意を抑え込もうとしているようだった。


「か、身体が……う、う、動かないで……す」

 

 むせかえるような濃厚から殺意がサザンカから漂ってくる。しかしユウキには分る。これを放っているのはサザンカではない。別の誰かだ。

 では誰か?

 正体を考察する間もなく、


「は、花一華先生!!」


 訓練場に姫川キキョウが飛び込んできた。手には蒼脈刀を握りしめ、切っ先をユウキに向けて近づいてくる。


「キキョウ先生!?」


 殺意の主はキキョウか?

 これも違う。

 今まで感じたことのない気配が、サザンカとキキョウの臓腑の底から湧き出ているようだった。


「か、身体が……まさか」

「ユウキ君く、くん。これって……」


 ユウキは、後方へ飛び退き、二人との距離を取った。

 目を凝らすと、サザンカとキキョウの周囲にかすかな揺らぎを見て取れる。

 糸だ。常人の肉眼では検知不可能なほどの細い魔力の糸がサザンカとキキョウの周囲に揺蕩たゆたっている。それも一本や二本ではない。数える気力を削いでくる無数の糸だった。


「魔力の糸。人形使いか!?」


 人形使いは、後衛型の魔法系統の一つである。魔力を糸状にして指先から放出し、相手の体内に潜り込ませると、神経系統を支配してあらゆる行動を制御化に置く技だ。

 緻密な魔力操作技術が要求される技であり、糸が細く数が多いほど、達人の証となる。

 今回の使い手は、ユウキが出会った中でもおそらく最高峰に数えられる一人。

 そして――。


「ユウキ君! 早く糸を斬るです!!」


 サザンカの月光は人形使いの感情ではない。サザンカ自身が抱く憤怒の象徴だ。


「こいつはうちにとっての!! 『覚えてーるよー。だってー君みたいにかわいい子忘れなーいからさー』 な!?」


 サザンカの激情を侮辱するかのように、陽気な声音が割り込んでくる。実際に声を発しているのはサザンカだが、人形使いに声帯と舌まで操作されているのだ。


「花一華先生。本体を倒してください!! 生徒や教師の半分以上がこいつに操られているわ!! 『まーまー楽しもうよー』 !? この!!」


 サザンカとキキョウの身体がけいれんを起こしながらも臨戦態勢を整える。

 ユウキは、蒼脈刀を下段に構え、体重を前方に掛けつつ、両のかかとを浮かせた。

 空間に滞留する糸の群れが張り詰める。攻撃の予兆を感じ取ったユウキはすぐさま地面を蹴り、敵の操作速度を凌駕してサザンカとキキョウの背後へ回り込んだ。 


「二人とも仙法の出力最大!!」


 サザンカとキキョウの身体の内側から白い炎が迸ると同時に、ユウキが円を描くように蒼脈刀を振るう。

 魔力の糸は、一線の元に両断され、サザンカとキキョウは文字通り、操り糸を失った人形のように脱力し、その場にへたり込んだ。


『すごーい』


 今度は空中から男の声が降り注いだ。語調は、サザンカとキキョウがしゃべらされた際の雰囲気に酷似している。


『でーもー。いただきー』


 素肌に触れるかすかな感覚。平時であれば来ぬすれと誤認する微細な違和感を検知した瞬間、ユウキの全身から白い炎が噴煙のように噴出した。


『あーらー。糸が焼き切れたー。仙法の出力を極限まで高めて、筋繊維や神経節への糸の侵入を妨害。さすが狼牙隊の分隊長さーまー。初見殺しも通用しなーい』


 頭上から降り注ぐ声は、嬉々としており、感嘆としていた。

 サザンカは、全身から仙力を放出させたまま左の義手で拳を作る。蒼脈鋼のこすれるギリギリという音が訓練場に木霊した。


「この野郎です!!」


 訓練場を飛び出そうとするサザンカの右肩をユウキの左手が掴んで引き留めた。


「止めるなです!!」

「よく見るんだ」


 ユウキが訓練場の入り口を視線で指し示すと、そこには極細の糸が網目状に張り巡らされていた。

 極限まで細く研ぎ澄まされた糸は、よほどの達人でなければ視認できないだろう。


『角切れ肉の出来上がり―だったのにー。それも見抜いちゃーうのー』


 無念そうな響きの男の声がかんに障ったのだろう。キキョウは舌を打ちながらユウキの隣に並び立った。


「花一華先生。糸を斬りましょう」

「ダメです」

「なぜ?」

「ユウキ君! こいつは、うちの両親とうちの左腕を!!」


 サザンカの気持ちは痛いほどによく分かる。分かるからこそ冷静に事を運ばなければならない。

 敵は覚えているのだ。サザンカの左腕を奪い、彼女の両親を斬殺したこと。故に過去を駆使して煽り、サザンカの判断力を奪おうとしている。やり口に乗せられた時点でこちらの負けだ。


「落ち着いて。この糸は、操られてる先生や生徒に繋がってるはずだよ」


 キキョウは、先ほどよりも強く舌を打って忌々しげに入り口に張り巡らされた糸の罠を睨んだ。


「下手に攻撃すると、糸が繋がっている子供たちに被害が及ぶのね」

「人形使いは、糸そのものに仕掛けをする使い手が多いんです」

「うちとキキョウ先生に仙法を使うように指示したのは――」

「攻撃ダメージから二人の身体を守るためだよ。こいつの糸は筋繊維や神経節にまで入り込んでる。微弱なダメージでも致命傷になりかねないんだよね。まして仙法が未熟な生徒たちなら……」

『さーすがー花一華ユウキー。やりがいがある。下手に動けば生徒たちは皆殺しー』

「そうはさせない」


 ユウキは糸で封じられた入り口の前に立つと、蒼脈刀を横一閃に振るった。しかし糸は切り裂かれはしない。初めから存在していなかったのように霧散して消え失せたのである。


『あ、あーらあらー? あらー?』


 男の声が当惑に支配される。それは間近でユウキの技を見たサザンカとキキョウも同様であった。


「糸が消えたです?」

「まさか無効化魔法!? 信じられないわ!」


 蒼脈は、使用者の身体から離れると短時間で草木や大地といった自然の中へ還元されてしまう。

 魔法とは、使用者の身体を離れても蒼脈が形状や性質を維持し続けるように考案された技術だが、無効化魔法はその反対の発想。蒼脈を素早く大自然に還元する特殊な魔法である。

 相手の魔法に直接触れて干渉。支配権を握った上で本来の魔法とは逆の工程を実行する、一見簡単に見える技術だが、膨大な工程を踏まなければこの奇跡は実現できない。

 尋常ではない修練と魔法の知識がなければ成立しないあらゆる魔法技術の極致。実戦で使用できる使い手は世界でも片手で数えるしかいないだろう。


「超高等技術をこんなに容易く扱うなんて……これが狼牙隊の隊長格の力なのね」

「これだけじゃ安心できません。消したのは一部の糸だけです。一流の人形使いは。何種類もの糸を同時に何個も扱います」


 ユウキが天井に向けて蒼牙突を放つと、

 プツリ――。

 糸の断たれた細い音が下りてくる。


「今の糸は何用です?」

「会話用だよ。糸を通して自分の声をここに伝えていたんだ。糸電話の要領だよ。こっちの会話もこれで聞こえないはずだよ」

「けれど状況は最悪なままね。生徒と教師が人質にされた……下手に動けば生徒たちが殺されるかもしれないわね」

「その可能性は低いでしょう」

「ユウキ君にしては自信満々です」

「俺が敵の立場なら人質は絶対殺さないと思うんだよね。生きているから人質は価値があるんだ。そして人質を盾にして目的を遂行する……と思う」

「奴らの目的は、ツバキです?」

「恐らくはね」


 となれば学校内に他の使い手がいる可能性も高い。そうなるとあのカラスがここにきているかもしれない。

 最低でも二人の達人蒼脈師が学院内に侵入している。応じる手を一つでも間違えたら、ユウキたちの敗北が決定される状況。

 最悪を想定し、常に最善手を打ち続けなければならない。


「サザンカ、キキョウ先生。ツバキを任せてもいいですか? 俺は人形使いを――」

「うちが行くです!!」


 サザンカの気持ちは理解できるし、できることならんでやりたい。

 両親の仇が学院のどこかにいる。復讐を優先したくて当然だ。ユウキだってダイゴとヒナゲシを殺した奴が居たら同じように思うだろう。

 だけど――。


「敵はツバキを狙ってるんだよ。当然もう一人は敵が侵入してると見ていいはずだよ」

「だからユウキ君はツバキを!」

「一番厄介なのが、人形使いであることに変わりはないよ。キキョウ先生とサザンカ、今のサクラたちが防戦に徹してくれれば、あのカラス相手でも長時間持つと思うんだよね。その間に俺が確実に人形使いを殺す」

「うちもユウキ君についていくです!!」

「失礼だけど、キキョウ先生だけじゃ確実性に欠ける。戦力は一人でも多い方がいいんだ」

「サザンカさん。私も花一華先生の意見に賛成よ。敵が花一華先生と互角なら私一人じゃ歯が立たないわ」

「でも、あいつはうちの親の仇です! うちの両親がどういう殺され方をしたか……ユウキ君なら――」


 ――分かっているよ。だけど、それでも君は。


「君は軍人だろ! 個人的感情よりも任務を優先しろ!」


 動機はどうあれ、三笠サザンカは自ら望んで軍人の道を志した。

 軍人に必要なのは、与えられた任務を達成すること。民と民が住まう国家に対して忠義を尽くし、よいより未来を築く礎となること。

 一度自ら選んで軍人となったのならば、果たすべきは己の感情の発露ではない。


「狼牙隊をやめた俺が偉そうに言える立場にないのは分かってるよ。だけどそれでも言わせてもらう。君は軍人だろ? それなら個人的な復讐だなんて甘ったれたことを言うんじゃない! 君が死力を尽くすべきはツバキの命を守ることだ。君の願望をかなえることじゃない!!」


 言えた立場じゃないのは理解している。何をえらそうにと思っているだろう。

 だけど嫌われたって構わない。恨まれたっていい。任務を果たすのが軍人の身分を得た者が負う絶対的な責任だ。


「……分かったです。取り乱してごめんなさいです」


 サザンカは、憎悪を握りしめていた左拳を緩めると、キキョウを見やった。


「キキョウ先生。みんなは、多分まだ食堂に居るです」

「分かったわ。花一華先生、人形使いをお願いします」


 訓練場を去っていく二人の背中を見送りながら、ユウキは蒼脈刀の柄を握りしめて誓った。

 人形使いを確実に仕留めると――。

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