第7話『隠れた才能』

 一向に蒼牙閃を撃とうとしないツバキを見かねたのか、ユウキはネズミのように小刻みに震えながら問い掛けた。


「あのツバキ? どうしたの? もしかして具合でも悪いのかい!?」

「違います……あの……えっと」

「ごめんね!! 俺の指導が下手くそすぎてやる気もなくなるよね!! ほんとごめんなさい、一丁前に生きようとして!! 教師を気取って!!」


 振り子のように激しく頭を振るユウキに、ツバキは恐縮していた。


「違います! あの、私は……下手くそで」

「下手くそ? 魔法が?」

「えっと……壊滅的に」


 ユウキは、頭を抱えてその場にしゃがみ込んだ。

 そして「どうしよう、どうすればいいんだ」の連呼を始め、身悶えている。


「なにしとんのや?」

「うちには分かるです。多分ツバキにどういう言葉を掛ければいいのか、悩んでるです」

「ほんま、めんどくさいやっちゃな。適当に励ましゃええやろ」


 しばらくそうしてからユウキは立ち上がった。顔全体から脂汗が滲んでいる。

 指導を失敗したらどうしよう、ツバキを傷付けたらどうしよう、そんなことばかり考えているのは、誰の目から見ても明らかだった。

 これではかえってツバキを緊張してしまうだろう。

 

「と、ととととととととりあえず、やってみせてくれるかいかいかいかいかい!?」

「声上ずってるやん。完全なやけっぱちやな」


 やれやれ顔のソウスケとは対照的に、キュウゴは神妙な面持ちだ。


「ソウスケ殿、これは問題であります」

「何がや?」

「桜葉ツバキ殿は、であります……お乳はデカイの方のサクラでありますが――」


 サクラは、キュウゴの喉元に鋭利な視線と蒼脈刀の切っ先を突き付けると、燃えるような憤怒の籠った声で言った。


「あの子のことを馬鹿にすんな」

「お、怒らないでほしいであります。サクラ殿のお乳はツバキ殿より劣るだけでとても立派なモノでありま――」

「次口開いたら喉仏削るかんね」

「はいであります。あ……」


 サクラは、蒼脈刀の刃を立てて破顔した。


「よし、五ミリぐらいいっとくか」

「い、一ミリで勘弁してもらえないでありますか?」

「せやな、間を取って三ミリいったれ」

「いっそ喉笛かっ切るです。と、まぁキュウゴはとりあえず殺すとしてです」

「生き残りたいであります……」

「ツバキの蒼牙閃に関しての懸念にだけは同意するです」

「サザンカ! あんたまで!?」

「結局やるのはツバキですから、うちらには見守るしか出来ないです」


 サクラとツバキは赤ん坊の頃からの付き合いだ。皆が知らないツバキを知っている。ツバキはやればなんだって出来る子だ。サクラは固くそう信じている。


「ツバキなら大丈夫だっての……」


 全員の視線がツバキに集中する。蒼脈刀を握る白い指は、極寒地に居るかのように震えていた。数度深呼吸をして震えを抑えようとするが、意識すればするだけ酷くなっていく。


「いきます……」


 ツバキは的を凝視しながら、細い声と共に蒼脈刀を振り落した。

 剣速は遅い。魔力生成が甘いのか、斬撃も鋭さを欠いている。さらに致命的だったのは、その軌道だ。ミミズが空を飛んでいるかのようにぐにゃぐにゃと揺れて、的を掠められもせず石畳の床に着弾した。

 ユウキは無表情のまま、ツバキの蒼牙閃が命中した床を見つめていたが、糸が切れたように脱力してその場にへたり込むと、嘆息をつきながら頭を抱えてしまった。


「ふうぅぅぅ……」

「あ、心が折れたです」

「やはりダメでありますか。ツバキ殿は以前から魔法の射出精度に難がありましたが……」


 諦観ていかんの境地にあるサザンカやキュウゴとは対照的に、ソウスケは訝しげに首をひねっている。


「ツバキのやつは、なんであんなに遠距離系の魔法が下手なんや。正直分からんわ」

「ソウスケ! あんた!」


 赤黒い殺気を剥き出したサクラが、詰め寄るもソウスケはあっけらかんと構え、一歩も退しりぞく気配を見せなかった。


「サクラ、勘違いすな。むしろワシは、ツバキのことを評価しとるんや。中等部で初めてあいつに会うた時、こいつは誰よりも強うなる。ワシと同じぐらい強うなる。そないな確信を抱いたんや」

「そう言えばソウスケ殿は、以前からそう言っていたでありますね」

「一目置くっちゅーやつや」


 ソウスケが胸を張ると、キュウゴは、うなだれているツバキの胸元を凝視した。


「まぁ、あの着物の上からでも分かる豊満なお乳は、確かに一目――」


 サクラは、ソウスケに向けた以上の殺気を放ち、キュウゴを射抜いた。


「キュウゴ、あんた!」

「サ、サクラ殿。顔面の圧が凶器であります……」

「ソウスケ! あんたもキュウゴと同じなわけ? そんなやつじゃないと思ってたのに! 脳筋馬鹿でアホだけど!」

「アホ抜かせ。ワシは蒼脈師としての才覚の話をしとるんや。女としては意識しとらん。ちゅーかお前の罵倒も大概やで」

「ソウスケ殿、以前から三組の姫川キキョウ先生にホの字でありますからねぇ。あの方もかなり立派なモノをお持ちで――」


 ソウスケは、晴天のような気持ちのよい笑顔で、キュウゴの頭蓋を鷲掴みにした。


「おどれの口、縫い付けたろか?」

「ソウスケ、それあたしも手伝う」

「うち、裁縫さいほう道具持ち歩いてるです」

「お三方とも目が本気と書いてマジであります……」

「キュウゴの野郎はあとで縫うとして、どないするサクラ? さすがにあれヤバいで。またネガティブ発動して面倒になるわ」

「あたしが何とかするってば。大丈夫だっての」


 と言いつつ、サクラには如何いかなる妙案も思い浮かばない。どうすればユウキをなだめられるか。どうやればツバキを元気づけられるか。

 分からないまま時間が過ぎてゆき、訓練場を沈黙が支配する。重苦しい雰囲気の中、最初に口火を切ったのは、意外にも花一華ユウキその人であった。


「ツバキ。蒼牙閃を使う時って、もしかして当たらなかったらどうしよう、とか考えてる?」

「は、はい」


 ユウキは、顎先を右手の親指と人差し指で撫でながらツバキの狙っていた的を見やった。


「グニャグニャ飛んじゃったらとか、的じゃなくて床に当たったら……とか」

「あの……えっと、考えてます」

「そっか。試しになんだけどさ、なるべく頭をからっぽにして蒼牙閃を撃ってみて。で、撃った後はひたすら的に当たれーって念じてみてくれない?」

「撃った後?」

「撃つ前にはなるべく何も考えないようにして、撃った後は、ひたすら的に当たれーってさ。それ以外は考えない」

「あの、はい……やってみます」


 ユウキの助言に、当のツバキだけでなく、サクラやソウスケも首を傾げた。念じるだけで当たるなら誰も苦労しない。

 戸惑いながらもツバキは、蒼脈刀を上段に構えると、魔力を練り始めた。

 サクラが祈るような気持ちでツバキを見つめると、


「太正国に居られます神々の皆様。どうかツバキの蒼牙閃が当たりますように。俺の魂を捧げてもいいですから……」


 ユウキは、合掌して天に祈りを捧げていた。はらはらと涙の粒を落とし、高速ですり合わせている掌は、摩擦熱で真っ赤になってしまっている。


「俺の魂を賭けても構いません。どうか生徒の未来が開けますように。なにとぞ、なにとぞ」

「神頼みです?」

「というか祈りであります?」

「どっちもちゃうやろ。あれもはや呪詛やで、呪詛」


 ユウキの行動に若干引き気味のサザンカ・キュウゴ・ソウスケの三人であったが、サクラも両手を合わせて天の神々や龍に祈りを捧げた。


「神々の皆様、龍の皆様、どうかツバキの蒼牙閃が当たりますように」


 この際、神様でも龍でもいい。ツバキの頑張りに見合う結果をお与えください。そのためなら魂だって捧げます。


「とりあえずキュウゴの魂を捧げますから」

「サクラ殿!?」

「こっちも呪詛やな。せやけどキュウゴの薄汚れた魂なんぞ生贄にならんやろ?」

「自分、どこまで嫌われてるでありますか……」


 言われてみれば確かにそうだ。キュウゴの魂は、飢えたカラスだって遠慮するだろう。


「ありがとソウスケ。ソウスケの魂を――」

「コラ、サクラ! ワシを巻き込むな!」


 周囲の騒音は、ツバキの耳に届いていない。ただひたすらユウキに言われたとおり感情を制御する。

 無心になれ。何も考えるな。憂鬱に思考を割かない。浮かびそうになる雑念をひたすら潰していく。殺していく。

 あらゆる感情を捨て去り、ただ魔力を練ることのみに肉体と精神の全機能を注ぎ込んだ。

 そしてようやく練り上がった魔力を蒼脈刀に乗せる。


「蒼牙閃!」


 放った蒼牙閃は、左方向に逸れて飛翔していく。このまま行けば的には掠りもしない。けれどユウキから貰った助言を思い返した。

 的に当たれ――。

 的に当たれ――。

 それ以外、何もを考えない。自分の失態で花一華ユウキを落ち込ませられない。みんなが頑張っているのに、足を引っ張ってはいけない。ツバキだって一年一組の生徒だ。これ以上落ちこぼれでいなくない。


 ――当たって!! どこにでもいいから!!


 一際強く願ったその時、青い剣閃の軌道は、急速に『く』の字に折れ曲がり、的の右端を掠めた。


「あ、当たったです!?」


 いの一番にサザンカが驚嘆の声を上げた。的の着弾点には、浅いながらもはっきりと視認出来る切り傷が刻み付けられている。


「ほんまや! 急に折れ曲がりよったで!!」

「誘導魔法でありますか!?」

「すごいじゃんツバキ!! あんな高等技術が使えるなんて!」


 狂喜乱舞するサクラの姿は、数年ぶりに飼い主と再会して飛び跳ねている犬のようだ。

 喜ぶのも無理はない。発射された遠距離魔法攻撃を遠隔操作し、対象を攻撃する誘導魔法は、本来であれば高等科の三年生になってから習う高等技術。

 ぶっつけ本番であっさりと成功してのけたことに、一番驚いているのはツバキ本人であった。


「あれ? えっと……なんで?」

「決まってんじゃん! そんなのツバキが凄いからだってば!」


 サクラは生まれて初めて花畑を見た幼子のように目を輝かせているが、キュウゴは喉に小骨でも引っ掛かっているかのように、眉間にしわを寄せていた。


「意外にも、その才覚がツバキ殿にあったでありますか……しかし」

「キュウゴどないした?」

「誘導魔法は、確かに高等技術ですが、ある程度までなら誰でも使えるであります。しかし、あれほどの急激な軌道変化は、相当な才能がないと……」

「才能があったんやろ? ワシの見込んだ通りのやつや」

「……そうでありますか」


 釈然としない様子のキュウゴを尻目に、サクラとソウスケは称賛の嵐をツバキに浴びせている。

 一方でツバキの方は、喜びを表現せず、戸惑うばかりだった。自分がなした偉業を受け止めきれていないのか。はたまた夢うつつなのか。

 サザンカは、やれやれ顔でツバキからユウキに視線を映すと、ユウキは真っ青な顔でおののいていた。


「そ、そんな。気配で才覚があるのは分かったけど、これほどだなんて……ってことはまさかツバキは……うわああああああああ!!」


 突如訓練場が粉々にしかねない絶叫を喉からひねり出し、ユウキは頭をかきむしった。

 今までと比較しても、あまりに異常な行、サクラたちは凍り付いたように動けなかった。


「そんな……俺もしかして、もしかしなくてもヤバい状況に。あ、あとは自習してて!!」


 そう言い残してユウキは、目にもとまらぬ駿足で訓練場を飛び出した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る