第5話『蒼牙閃』

 午後の授業は魔法の実技となっており、学院の北東の外れにある二十五番訓練場に一年一組の生徒五名と担任であるユウキが集まっている。

 訓練場は各組ごとに用意されており、二十五番訓練場は、高等科一年一組専用だ。訓練場は生徒五人で使うにはかなり広い作りで、二百人ぐらいなら余裕で収まってしまうだろう。

 床は、石畳が敷き詰められ、中央に人の上半身をかたどった金属製の的が五個並べられていた。かなり精巧な人の形で作られており、顔の正面は東側を向いている。

 南側の壁には、交換用の的や木刀などの訓練用の備品が置かれ、北側の壁には出入り口があり、西側の壁は何も設置されていない。

 刀を手にしたサクラたちは、二十歩離れた間合いを取って的の前に立っている。例外はサザンカで、彼女は金属糸が編み込まれた手袋を両手にはめていた。サザンカは、素手での戦闘を得意としており、小柄な体格を生かした素早い格闘術が持ち味だった。

 全員準備万端整っているが、肝心のユウキは獅子を前にした小鹿のように震えていた。視線は、血塗れの羽織を着ているキュウゴに注がれている。


「何があったの!? 何があったの!? ねぇ!?」

「いやぁ、お昼ご飯のために裏山でイノシシを仕留めたのはよかったでありますが、血抜きに失敗したでありますよ」

「なんでそんな荒々しい生き方してるの!? 性癖なの!?」

「自然の多い所で育ったでありますから、これが日常であります」

「常在戦場なの!? どういう人生送ったらサバイバルでござれな生きざまになれるの!? 俺、君の将来が心配なんだけど!?」

「えへへへ、であります」

「照れるような話してないよね!?」


 開始時間に五分遅刻してきたくせに、ユウキはキュウゴへの追及を止めようとしない。

 サクラは、苛立っていた。鬼灯学院長から彼を立ち直らせてほしいと頼まれているが、もうどうでもいい。

 ユウキに辛い過去があったにしろ、サクラたちには関係ない話だ。

 学びたいのに学べない。強くなりたいのに訓練できない。ユウキへ抱く憤りは、限界を超えつつあった。


「先生! いい加減授業を始めてってば!」


 サクラが語気を強めると、ユウキは怯えたウサギのような目をした。


「ごめん……」


 さすがに言い過ぎたかもしれない。小さな後悔がサクラを苛んだ……しかしユウキは、泣きべそをかきつつ懐から一冊の本を取り出した。国立蒼脈師学院の初等科の一年生で使われる教科書だ。


「じゃあ今から歴史の授業をするね。今から二千年前、突如して現れた九体の邪神が人類を蹂躙しました。しかし人類を守るため龍族が邪神に戦いを挑み、世界各地で彼らを封印しました。太正国にも一体の邪神が封印されていますが、その封印場所は極秘となっており公開されていません」


 サクラは、小さな後悔をしたことを大きく後悔した。

 ユウキにとっては初めての魔法指導。緊張するのは理解出来るが、それにしても度を越している。まったく関係ない授業でお茶を濁そうというのだ。


「蒼脈を持って生まれるのは一割ですが、後天的に蒼脈を得る方法もあります。龍脈から体内に取り込んで定着させるとか、他者から譲り受けるとか、だね」


 ここに居る面々は、サザンカを除いて初等部から蒼脈法の訓練を受けているし、仙法・気法・魔法の扱い方は心得ている。ユウキの行為は、サクラたちを全く信用されていない証拠だ。腹立たしくなってくる。


「えっとそれから――」

「いい加減してってば!! 今は実技の授業じゃん!!」

「だ、だってほら!! 魔法の授業って危ないんだよね。だから出来れば今日は他の授業を――」

「実技をしろっての!! 今は座学じゃなくて実技の時間!! 実技!! 分かったらとっと魔法撃たせろコラアアアアア!!」


 訓練場に居る全員が瞬間凍結されたみたいに動きを止めた。完全にやらかしてしまった。だけど後悔はない。溜まりに溜まった鬱憤うっぷんを吐き出せて、心は綿花のように軽やかだ。


「というわけで、早く授業進めってば」


 サクラが蛇のような眼光で一瞥いちべつすると、ユウキは渋々と教科書を懐にしまい、的とサクラたちを交互に見た。


「気を付けてね!? ほんと気を付けてね!? 人体とかスパッと切っちゃう魔法だからさ!? 仙法で強化した肉体でも防げないからさ!? お友達に向けて撃ったりしちゃ絶対ダメだからね!!」

「分かってるってば!! じゃあ始めていい? 時間がないんで」

「あ、うん……こういうのって俺がお手本とか見せた方がいいのかな?」


 おどおどとしたもの言い。挙動不審な態度。どうやっても受け入れがたい。サクラは、いかれた軍人のご機嫌伺いをするために、この場所に居るわけではない。強くなるために居る。余計な時間を使ってる余裕なんてない。


蒼牙閃そうがせんなら、お手本見るまでもなく扱えますよ」

「そっか! ごめん余計な事言って! じゃあ始めてくれる? まずは……サクラから」

「はい」


 サクラは抜刀すると同時に霞の構えを取り、刀の切っ先を的に向けた。

 体内を流れる蒼脈に意識を落とし、その特性を魔力に変換する。

 素早く練り上げた魔力を身体から掌へ、掌から刃に流し込んだ。

 蒼脈は、二千年前邪悪なるモノを打ち倒した龍が天界へ上る直前、人類に与えた力とされ、人類のおよそ一割が生まれ持っている。

 体内で循環させ、身体能力を高める仙法。拳や武器に纏わせ、攻撃力を増強する気法。蒼脈を身体から切り離して運用する魔法。

 龍が振るった力を大幅に劣化させて人間でも扱えるようにしたモノが蒼脈法だが、劣化版とは言え、本質的には龍の力。極めた蒼脈師は光の速さにも対応し、刀の一振りで大地を切り裂き、魔法の一撃で山の形すら変えてしまう。


「蒼脈式魔法――」


 刃に乗せられて研ぎ澄まされた魔力は、名前通りの蒼い燐光を迸らせて増幅されていく。


「蒼牙閃!!」


 サクラが袈裟切りに刀を振るうと、光の斬撃が飛翔する。雷光にも匹敵する速攻魔法は、的の表面に薄い傷跡を残した。

 いつも通り完璧に出来た。技の発動速度・弾速・切れ味、どれをとってもここ数ヶ月で一番の手応えである。クラスメイト達も感嘆の声を上げていた。


「さすがサクラ殿であります。蒼玉鋼で出来た的をを表面だけとは言え、斬り裂いている。彼女の蒼牙閃は、中等部の先生方と比較しても遜色ない物でありますよ」

「まったくです。いつ見ても見事です」


 キュウゴの視線は、刀からサクラの胸元に注がれていた。


「なにより素晴らしいのは、着物の上からでも微かに分かるお乳のふくらみであります。着物というモノは、目を凝らしても中々お乳の揺れを見られないであります。しかし、これが逆に着物の中身への想像力を刺激して中々どうして乙なもの――」


 それ以上言わせないと言わんばかりに、サザンカは手袋をはめ直して固く左拳を作った。


「一度、桃色に支配された頭かち割るです?」

「遠慮するであります……」


 サザンカとキュウゴの漫才のようなやりとりを余所に、ソウスケとツバキは悔しそうに唇を噛んでいる。


「けっ! あの硬い的に傷をつけるとはやるやないか。また成長しとるわ。ワシが追い付いた思ても、すぐこれや!」


 ソウスケの声には、台詞とは裏腹に喜色も混じっていた。好敵手に追い抜かれた悔しさと、切磋琢磨できる幸福が複雑に絡み合っている。


「うん、追い付けない。絶対に……」


 対するツバキの方は、心底から諦めているようだった。サクラとは肩を並べられない。あるいは背中すら見失ってしまう差か。

 そんなツバキの態度をソウスケは意外そうに眺めていた。


「ツバキ、なに寝言言うとんのや。あれぐらいやないと、燃えへん言う意味や」

「……ごめん」

「なんで謝るんや?」

「ごめん」

「相変わらず卑屈なやっちゃでホンマ。お前は、もうちょい自分に自信持てや」

「うん……そうだね」


 ツバキは、サクラを見つめている。

 無表情であるが、好意的な感情を抱いていないのだけは確かだ。

 サクラは、ツバキを横目に見ながらユウキに尋ねる。


「どう? 合格?」

「うーん……」


 ユウキは、腕を組んでサクラが斬りつけた的を凝視している。いつになく真剣な眼差しだ。普段見せている情けない振る舞いからは、想像もつかない鋭い光を放っている。


「先生?」


 もう一度聞くと、ユウキはいつも通りの怯えた表情を取り戻した。


「いいと、思うよ。君の歳を考えたら上出来……だと思う」


 明らかにウソだ。自分なりの最高を出したのに、教師のパッとしない反応。向上心の強いサクラだからこそ、余計に引っかかってしまう。


「何か問題点でも?」

「いやいや!! 全然違うよ!!」


 ユウキは、壊れたからくり人形のように両手を振り回した。


「ごめんごめん!! 俺なんかが意見して!! 所詮半人前の新人教師の分際で何偉そうにモノ言ってんだって話だよね!! ほんとすいません!!」

「お詫びはいいから! 改善点があるなら教えてほしいんだってば!!」

「……改善点?」


 ユウキは、曖昧な笑みを浮かべた。これで追及をかわせると考えているなら、つくづく舐められている。


「なんか微妙な反応じゃん! その理由を聞きたいっての!」

「いや! よく出来てるよ!」

「じゃあさっきの反応はなんなの!?」

「ごめんなさい!!」


 ユウキの一挙手一投足がサクラの怒りに油を注いでくる。

 なんとか抑えようと努めてきた堪忍袋の尾がついに音をあげた。


「いちいち謝らなくていいから教えろって言ってんじゃん!!」


 もうどうにでもなってしまえ。ユウキがやめるならやめるで構わない。

 やれるだけのことはやった。十六歳にしてはよく頑張った。医者がさじを投げた人間に三日間付き合えただけ上出来。あとは野となれ山となれ。

 泣き叫んで逃げ出す姿を想像していたサクラだが、意外にもユウキはこの場に留まり続けている。泣きそうな顔はしているが、去る意志は感じられない。


「うぅ……その……キレが悪いんだよね……」

「……は? キレ?」

「ごめんなさい!!」


 謝らなくていい。知りたいのは真意だ。


「どこがどうキレがないのか具体的に説明してってば! ていうか、しろ!!」


 刀を持ったまま詰めると、ユウキは今にも惨殺されそうな小市民みたいな顔をしながら口を開いた。


「あ、あのさ。蒼脈を魔力に変換して、その魔力を斬撃にして放つのが蒼牙閃でしょ?」

「それぐらい知ってるっての!」

「ですよね!! ごめんなさい!!」

「で!? 何が問題なわけ!?」

「魔力変換の仕方が甘いと思うんだ……」

「変換の仕方?」

「う、うん。多分だけど蒼脈の魔力変換を素早くやろうとし過ぎて、ほぼ蒼脈をそのまま放ってるんだと思うんだ」


 素早くやろうとしているのは、確かにその通りだ。実戦では技の起動速度は重要であり、蒼脈師学院では威力よりも技の速さが重視されている。

 サクラは中等科を首席の成績で卒業している。その優秀な成績を支えたのが実戦レベルと教師陣に太鼓判を押された蒼牙閃の素早い発動だ。


「速くやるのの、何がいけないっての?」

「えっとみんな知ってる基本だと思うけど、基本の基本から説明するよ。いいかい?」


 それぐらい知っているのだが、そうとはサクラを含めて誰も口にしなかった。


「魔法を使う方法は二種類あって素手で放つパターンと蒼玉鋼そうぎょくこうを用いて作った武具、代表的なのは蒼脈刀だけど……そういう武器を経由するパターンがあるよね?」


 ユウキは自身の蒼脈刀を抜き、刃を見せた。刀身の根元部分には『狼牙一閃』と刻印が施されている。狼牙隊の隊長格のみが刻印する事を許される蒼脈師最強の証だ。


「俺たち蒼脈師が使う武器は、蒼玉鋼で出来てるよね。蒼玉鋼は、鍛冶師が自らの蒼脈と鋼を融合させて作る金属だ。それを用いた武具に気力や魔力を注ぎ込めば、増幅出来る。だから蒼脈師は基本的に武器を用いるんだ。無手で扱うのは、特に緻密な制御を要求する特別な魔法ぐらいだよ。ここまでは理解してるよね?」

「はいであります」

「もちろんや」

「えっと……私もです」

「それでサクラの場合、魔力変換が甘いから蒼脈刀が上手く魔力を増幅出来ていないんだ。だから増幅し切れてない蒼脈を斬撃状にして放ってるに等しい。しかも蒼脈を身体から切り離す場合、しっかりと魔力に変換できていないと、霧散しやすくなる。蒼脈を身体から切り離しても減衰しないように調整したのが魔力だからね」


 蒼脈法の中で、まず開発されたのは身体能力を強化する仙法だった。続いて武器や拳にまとわせて使用する気法が生まれたのだが、この二つはいずれも蒼脈を身体から切り離さないように運用する。

 蒼脈師を離れた蒼脈は、すぐさま大気中に霧散してしまう性質があり、これは蒼脈が大自然の具現者たる龍から派生した力であるためだ。

 発生源から切り離された蒼脈は、仙力や気力に変換していても瞬時にその性質を失って蒼脈に戻り、数十分で大気や大地などの自然の中に還元される。

 魔法とは、蒼脈に自在な形状変化と形状固定の性質を併せ持たせたモノで、身体から切り離しても三秒以上、与えた性質を持続することが可能な技術の総称である。


「サクラの蒼牙閃は、魔力変換が甘い。すると相当量の魔力になり損ねた蒼脈が大気中にばら撒かれてしまうんだ。だから蒼牙閃の斬撃が研ぎ澄まされていない。刃こぼれだらけの刀じゃよく斬れないでしょ?」


 サクラたちはユウキの話に聞き入っていた。彼の口調がふだんよりも流暢であるのも手伝っていたが、自分たちがいかに基本を忘れていたかを知らしめられたからだ。


「蒼脈を丁寧に魔力変換する。刃に乗せて増幅する。研ぎ澄ませて放つ。この三つがちゃんと出来れば、技のキレは増すと思う。一応お手本というほどのものでもないんだけど、俺がやって見せてもいいかい?」


 断る通りもない。何より見てみたかった。サクラは今日になって初めて実感を抱いていた。花一華ユウキが狼牙隊の元分隊長である事実を。


「……どうぞ」


 サクラが促すと、ユウキは普段からは想像もつかない冷徹な表情を見せた――刹那、眩い閃光がひるがえり、人型の的が左肩から袈裟切りに両断された。

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