第4話『お昼ご飯と職員室で、絶望は二度訪れる』
国立蒼脈師学院の食堂は、高等科の校舎とは別棟にある。三階建ての煉瓦造りの外観で初等科から院生まで、学院の関係者であれば誰でも利用可能だ。
各階の座席数は四百を超えているが、初等科から院生や教員まで一斉に食事をするため、どの階に行っても席の確保は容易でない。
サクラとサザンカが訪れたのは二階だった。提供される料理は西方風のビュッフェ形式となっており、高等科や院生の学生に人気がある。
太正国と西方諸国との関係は良好であり、近年では急速に西方文化が流入していた。特に十代の若者にとって西方文化は、生まれた頃から当たり前に存在していたモノだ。
サクラは柔らかい白パンに、くるみのナッツサラダと白豆のクリームスープを手早くトレイに乗せた。
会計を済ませる頃には、大半の席は既に埋まりかけており、重なり合った生徒たちの賑わいの声が全身を包んでくる。
主菜を肉か魚かで迷っているサザンカを待っていると、立ち食いか、外のベンチで食べる羽目になる。そう思ったサクラが二人分の席を確保しようとした矢先――。
「ユウキ先生じゃん……」
見つけてしまった。窓際で一人、外の景色を眺めながら、ほうれん草の炒め物を食べる花一華ユウキの姿を。
込み合っている時間だというのにユウキの周囲に座る生徒は居ない。ユウキのネガティブを知っているからではない。畏れ多くて近付けないのだ。
役者やファッションモデルのような並の有名人なら、ちやほやもされよう。しかし狼牙隊の分隊長という肩書の持つ威圧感は、一介の学生が気安く触れ合えるものではない。
だがユウキ本人はどう思っているのだろうか?
決まっている。誰も近寄って来てくれない中で、一人ほうれん草炒めを箸でつついているのだからボッチ飯と呼ぶしかない。
食事の時ぐらいはユウキから解放されたいが、このまま放置するのも後が怖い。
サクラがユウキの元へ行こうとすると、分厚いステーキをお盆に乗せたサザンカが肩を掴んできた。
「あんなのに食事の時まで構わないでもいいです。胃に穴が空いてスープが
「でもさ。明らかにボッチ飯じゃん」
数日の短い付き合いでも嫌というほど分かる。
眉は下がり、口角も下がっている。頬杖を付きながら、ため息交じりに外を眺めて、絶品と名高い特製ほうれん草炒めをまずそうに食べている。
誰がどう見てもネガティブモード発動中だ。
「だって表情が明らかに落ち込んでるじゃん。これはダメだ。行かないと」
「サクラ! ストレスで死ぬですよ!!」
「大丈夫だってば、サザンカ」
憂いを秘めた目をするサザンカの首根っこをサクラはがっちりと捕まえた。
「あんたも道ずれに決まってるっての。ほら行くぞ親友二号」
「イヤです!! 親友二号やめるです!」
「問答無用だっての。ほら来い」
「イヤアアアアアでーす!!」
「抵抗すんなっての。お盆からお昼ご飯が零れる」
サクラは、尚も抵抗し続けるサザンカを強引にユウキの向かいの席に座らせる。抗議の視線をぶつけてくるが、素知らぬ顔で受け流した。
「先生、相席よろしいですか?」
「……もちろんだよ!!」
(心なしか嬉しそうです)
(ネガティブな上に構ってちゃんとか、考えられる限りで最悪の組み合わせじゃん)
ユウキに聞こえない声で悪態を突きながらサクラはパンをちぎって口に運んだ。ふんわりとしたパンですら重くて喉を通っていかない。
つい漏らしそうなった溜息と一緒にスープで流し込む。緊張と疲労のせいで味もへったくれもない。今なら嫌いなピーマンを食べさせられても味を感じずに済みそうだ。
対するユウキはひょいひょいと箸でほうれん草の炒め物を口に運んでいる。サクラとサザンカが来たことで先程よりもテンションが上がっているらしい。
(マジで現金なやつじゃん)
(そういうとこあるです、この人は)
そのまま無言で食事を勧めると、サクラはユウキの使っている箸が目に付いた。食堂で提供されている食器ではない。氷のように澄んだ輝きから銀製の品であることが分かった。
「先生。それ銀食器?」
「うん」
何故わざわざ自分の箸を持ち込んでいるのか理由を尋ねようとしたところで、サクラは思いとどまった。銀食器という時点で、どうせろくでもない理由だと察せたからだ。
「毒が盛られているかもしれないからね」
こちらの気も知らないで勝手に言ってきた。身勝手さに腹が立ち、口の中で小さく不平の声を響かせる。
(なんで学食に毒入れなきゃなんないわけ?)
(誰が盛るです? 発想がネガティブすぎるです)
(ここまで行くとネガティブというか誇大妄想というか)
このままユウキの話題を流してしまうと、それはそれで面倒な気がする。俺に興味がないだとか、変なやつに思ってるから触れないようにしてるとか、そんな風に言い出しかねない。
「毒盛られたことあるんですか?」
「ないけど?」
(ないのかよ!)
(ある意味、想像通りの答えです)
「備えあればってやつなんだけど……自分でも思ってるんだ。ちょっと神経質じゃないかって」
「ちょっとじゃねぇです。疑心暗鬼が角出して限界突破してるです」
(しぃぃぃ。サザンカ声でかい!)
サクラは、サザンカのささやきを視線で制してから、ユウキを見やった。
「あたし尊敬しちゃうな! やっぱり軍人としては常に毒物への警戒を――」
「俺は、もう軍人じゃないけどね……」
ああ言えばこう言う。何を言っても鬱々とした方向へ持っていかれてしまう。最初から相手にするのが間違っていたのかもしれない。
「もういいや……さっさと食べよっと」
「あ、投げたです」
「ここまで粘ったあたしを褒めろ。勲章ものだっての」
サクラは、この日の昼食の味を全く覚えていなかった。
――――――
紫檀製のデスクが整然と並べられた職員室の片隅で、花一華ユウキはうずくまって震えている。
背中からあふれるどす黒い気が一帯を支配し、教職員の誰もが近付くことをためらった。
「行きたくない……行きたくないよぉ」
食事を早々に済ませて帰ってきたら、ずっとこの調子で居り、次の授業の準備をするでもない。
「どうせ俺なんか……俺なんか……」
「どうしたんですか!? 花一華先生!?」
うっとうしいぐらい明るい声が頭上から降り注いだ。声の主は黄之百合イスケという。二年四組担当の教師で、がっしりとした体格と浅黒い肌が健康的な若者然とした印象を与える。
「悩みがあるなら先輩教師である黄之百合イスケに何なりと!!」
黄之百合がユウキの肩に触れると、ユウキは待ってましたと言わんばかりに縋りついた。
「だって蒼牙閃の授業ですよ!? 生徒たちに何かあったら俺責任なんか取れないよ!? 腹斬ればいい!? 俺の腹足りる!? 首切ればいい? 一つしかないけど! 今日の授業天変地異でも起きて中止になんないかな!?」
絶望に沈み込んだユウキに、教師たちは侮蔑を隠さなかった。
勤め始めてから絶えず生き恥を晒しているのだから、面と向かって罵倒しないだけ穏当な扱いだろう。陽気に接する黄之百合がむしろ変わり者なのだ。
「なるほど!! それは実に由々しきお悩みですな!! しかし気合と根性があれば何とかなりますよ!」
「そんな非科学的な!?」
「大丈夫と百回唱えれば大抵のことは大丈夫になるんです!! さぁやってみて!!」
黄之百合のすすめで、ユウキはもごもごと頬を動かした。
「絶対大丈夫……じゃない」
「一発目からネガティブ!?」
「絶対大丈夫じゃない。絶対大丈夫じゃない。絶対大丈夫じゃない。絶対大丈夫じゃない」
「気合と根性があらぬ方向に行向いていますよ!? ていうか俺の声聞こえてますか!? 自分の世界入ってませんか!?」
「絶対大丈夫じゃない。絶対大丈夫じゃない。絶対大丈夫じゃない。絶対大丈夫じゃない。絶対大丈夫じゃない」
「ああ!! 殻に閉じこもってネガティブを補強している!! この元気印の黄之百合イスケの元気づけすら通用しないとはさすがに花一華先生だ!! あっぱれ!」
「感心してる場合じゃないわ」
「キキョウ先生!!」
姫川キキョウは、蒼脈師学院高等科の教師である。切れ長の眼と細い鼻筋が特徴的な太正国美人で、上背はユウキと変わらない。女性にしては長身だ。
茶色の髪は、動作を邪魔しないよう目と肩にかからないよう切られている。
「ほら、立ち上がってください花一華先生。生徒たちが待っているのではないかしら?」
おしとやかな声音で励ましてくれる。だが、ユウキには響いていない。
「俺のことなんか待ってませんよ。めんどくさい人間だって自覚ありますもん」
あるなら直せよ、という視線を黄之百合を除く全員がユウキに向けたのは言うまでもない。
キキョウは、眉をひくつかせながらも懸命に笑みを作った。
「あの子たちは、そのめんどくさいあなたを受け入れているのでしょう? その想いに報いる義務があなたにはあると思うのだけれど?」
「でも……」
「さぁ。涙を拭いて、お鼻をかんで、いってらっしゃい」
キキョウが差し出したハンカチで鼻をかみ、ユウキは子犬のような顔をして首を傾げた。
「本当に俺なんかを待っていますかね?」
「保証します。待っていますよ。だってあなたの受け持つ一組は、とっくに授業時間になっているもの」
「あああああああああああああ!!」
「花一華先生気合ダッシュですよ!! ダッシュ!! 根性ダッシュ!!」
「遅刻してごめんね!! みんなあああああ!!」
嵐のような駆け足で、ユウキは職員室を飛び出していく。
足音が聞こえなくなると、職員室中で重いため息が重なり合った。
「確かに、あの人に教わる生徒たちは大変だわ。かわいそうに」
キキョウの目は、軽蔑を隠さずに現していた。それを皮切りに、職員室のあちらこちらから不平の声が上がる。
「元狼牙隊って話が本当か疑わしいがね」
「あの体たらくでよく国の精鋭部隊にいられたもんだ」
「たしかロウゼン様の弟子なんでしょ? 大方コネだろうさ」
「桃木ロウゼンも落ちたな。あんなのが弟子とはね」
ここ数日で恒例になった陰口の連鎖を断ち切ったのは黄之百合だった。
「しかし〝あの一年一組〟の担当は、花一華先生以外にいませんよ!! 元狼牙隊は伊達じゃない!! キキョウ先生はどう思います!?」
問われたキキョウからしばし口籠ったが、
「……達人だと思うわ。私たちとは比較にならない」
「この黄之百合イスケも同意見ですな!! あの人は滅茶苦茶強いです!! 目を見れば分かります!!」
からからと笑う黄之百合を尻目に、キキョウは訝しげにつぶやき、
「けれど、戦闘能力の高さが教師としての適性に結びつくかと言われれば疑問があります。お手並み拝見と行こうかしら」
たっぷりの嘲りを込めた
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