第3話『達成困難な任務』

 一年一組の花一華ユウキを励ませ作戦開始から三日が経過した。

 この日のお昼休みになった頃、覇気のない欠伸交じりの声と共に、一人の少年が教室に入ってくきた。


「ふあー……おはようであります」


 中性的な顔立ちと男性にしては小柄な体格は、妙に女性的だ。

 しかし背中まで伸びた髪のいたるところに落ち葉が絡みついており、衣服には新鮮な土の匂いが染みついている。

 その少年、夕顔キュウゴロウが視界に入った瞬間、サクラは怒声を放った。


「キュウゴ!! 今日も遅刻してくるとかずるいじゃん!!」

「サクラ殿、ごめんであります。裏山で本を読んでいたら夜更かしして」


 呑気にあくびをするキュウゴの姿は、サクラの激情をますます燃え上がらせる。彼の夜更かしの理由に検討が付くからだ。


「あんたの事だから、どうせエロ本っしょ?」


 サクラの指摘を受けたキュウゴの顔がリンゴみたいな真っ赤に染まった。


「違うであります! 立派な文学作品であります!!」

「ほー。じゃあタイトル言ってみ?」

「ぼくときみの性春 ~あの夏の日出会った青姦の子、君の名は?~ であります」

「最低だっつーの!!」

「感動巨編であります!」

「その題名でどこに感動するんだよ!?」

「主人公とヒロインの青姦初体験の描写は、文学賞級であります!」


 真面目な顔で言われると、怒りを通し越して呆れるしかない。


「知らねぇよ……」

「聞いたのサクラ殿であります」

「つーかあんたは、ただでさえ朝弱いんだから! 夜更かしすんなっていつも言ってんじゃん!」

「あまりイライラしないでほしいであります。眉間にシワが出来るでありますよ。美人さんが台無しであります」


 キュウゴは女性相手だと、すぐに容姿を持ち出して茶化してくる。彼が顔だけはいいのにモテない理由がここに集約されていた。


「あんたは、すぐにあたしの胸がどうだの、顔がどうだの……まじでぶっ殺されたいわけ?」


 本気と悟ったのだろう。キュウゴの顔色がナスビのような青に塗り替えられていく。


「冗談であります。自分じゃ、サクラ殿に本気で来られたら歯が立たないであります」


 キュウゴには毎度腹を立たせられるし、ユウキのネガティブは留まるところを知らない。サクラはイラ立ち任せに机に突っ伏して叫んだ。


「ああもうマージでサイアク!! とんでもないことをやらされる羽目になっちゃったじゃん。ネガティブとは聞いてたけど……あそこまでとは想像してなかったっての!!」


 花一華ユウキのネガティブさは、サクラの想像を大きく超えていた。

 例えば床につまずくと、


『床を滑りやすくして生徒の命を狙っている!? いやもしかして糸の罠が張り巡らされているとか!? これは若く優秀な生徒がいては困る反政府組織の陰謀だ!!』


 ある時は雨が降ると、


『二千年前、邪神の軍勢が襲ってきるとき雨が降ったっていう伝説があるんだ……邪神の軍勢が襲って来る!! この世の終わりだ!』


 あるいはサザンカがしゃっくりをしただけで、


『百回すると死んじゃうよ! イヤァァァァ!!  イヤァァァァ!!』


 日常で起こるありとあらゆる現象をひたすらネガティブに捉え、破滅に繋げていく。

 ユウキを立ち直らせて軍へ送り返すことは、素手で龍百頭を屠るよりも困難に思えた。それはサクラだけではない。一年一組の総意でもある。


「サクラの言う通りやで。先生が来てからまだ三日やのに……気ぃ使うのに集中して授業が頭に入ってこんわ」

「つーかさ、これがあと何日続くわけ? マジサイアク」

「日ですめばいい方や。下手すりゃ月か年やで」

「ソウスケやめて。あれと年とかマジやめて。こっちが心労で死ぬから」

「ワシは再来週の組対抗模擬戦の方が心配や。何としても勝たなあかんで」


 組対抗の模擬戦は、春夏秋冬季節ごとに行われる蒼脈師学院の恒例行事である。

 各学年の一組から十六組までの生徒たちが、実戦形式の模擬戦を行う勝ち抜き式のトーナメント戦だ。

 優勝した組は、三ヶ月間学食の代金がタダになる特典もあり、卒業後の就職活動にも影響する。


「あーそれもあったっけ? あたしらの青春、あのネガティブ野郎に潰されていくのかよ……」


 サクラやソウスケをよそに、サザンカは飄々ひょうひょうとしていた。


「うちは、別に興味ないです」

「アホ!! ここできっちり強いとこ見せな、他の一年に舐められてまうわ!!」

「別にどうでもいいです。うちは学生らしい青春と生活を満喫できればいいです」

「なに甘いこと言うとんのや!! 人間強よければ強いほど得するもんやで!!」


 一人で白熱するソウスケを、キュウゴがやんわりなだめてくる。


「まぁまぁソウスケ殿、強くても得ばかりではないであります。強いというのは、強さというモノが案外と人生の重荷になる場合もあるであります」

「せやけどワシは強くなりたいんや。教師の機嫌取りのためにここへ入学したわけやない。ほんま憂鬱やで」


 憂鬱になりたいのはこちらの方だと言わんばかりに、サクラの嘆息は重くなる。


「これは……想像以上に難しい任務じゃん」

「せやな。あのネガティブ振りは――」

「じゃなくてさ、あたしたちは、あの人に教わるわけよ」


 ソウスケは、訝しげに首を傾げた。


「それがどないした?」

「もしも先生が教えを一人でも出来ない生徒が居たらって話だっての」


 ソウスケの顔が血の気を失っていく。花一華ユウキから指導を受ける意味に気付いたらしい。

 ユウキが与える課題をもしも誰かが出来なかったら?

 その責任の所在は、担任の自分にあると、ユウキは感じるはずだ。

 教え方が悪い。指導方法に難があった。

 責任を感じたが最後、あのネガティブシンキングが爆発する光景は、想像に容易い。


「先生のことだから教職すらやめると言いかねないんじゃん?」

「そないな状況になったら……任務失敗やんけ!! ワシら退学か!?」

「でしょ? ただ先生を褒めればいいだけだと思ってたけど、あの人に自信を付けさせようと思ったら、あたしら全員が最高の成績を収める必要もあるってわけ。模擬戦も当然勝たないとやばいっての」


 焦燥するサクラとソウスケに対して、キュウゴとサザンカは余裕たっぷりに構えている。


「自分たちは中等科で基礎的な訓練は受けてきたから何とかなるであります。次の授業だって初歩的な攻撃魔法であります」

「キュウゴの言う通り、心配しても始まらないです。とにかくお腹すいたです。みんなご飯にするです」


 二人の無根拠な自信とお気楽さに、サクラは一瞬呆れたくなったが、ユウキに飲まれて憂鬱になるのは避けるべきだ。ひとまずサザンカの提案に賛成し、意識を切り替えるのが得策である。


「そうだね……サザンカに賛成。ソウスケ、キュウゴ、一緒にお昼行かない?」

「ワシはパスや。弁当持って来とる」

「自分は今から取ってくるであります」

「なんや弁当忘れたんか?」


 ソウスケに問いに、キュウゴは大きく胸を張った。


「寝床にしている裏山にイノシシが居たので取ってくるであります」

「せやったな……お前自給自足の生活やったな」

「どうも自分は、落ち葉の上じゃないと寝た気がしないし、自分の手で仕留めた獲物じゃないと食べた気がしないであります。それに寮の家賃も食事代もかからないであります。じゃあ今から取ってくるでありますが、ソウスケ殿もイノシシ鍋食べるでありますか?」


 普段豪胆なソウスケだが、珍しく気圧されていた。


「ワ、ワシは遠慮しとくわ。弁当でええ……」

「そうでありますか。では自分はこれで」


 キュウゴは鼻歌を奏でながら教室を後にし、ソウスケは怪物でも現れたかのような目付きでキュウゴの背中を見送りつつ机の上に弁当箱を広げた。


「二人とも行かないか。ツバキは……」


 サクラがツバキの席を見るも、既に彼女の姿はない。いつも昼休みになると、知らぬ間にどこかへ消えてしまっている。ここ一年ほど、サクラはツバキと食事をした記憶がない。


「やっぱりいないか……しょーがない。いつものメンツで行きますか。つまんないけど」

「不服そうですね。うちとごはん嫌です?」


 サザンカは、唇を尖らせて抗議する。けれどサクラには全く響いている様子がない。


「そんなことないって。親友二号ぐらいには思ってるから」

「なんて微妙な立ち位置です……」


 サクラは、サザンカをあしらいつつ、ツバキの席を名残惜しそうに見つめていた。

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