第1話『極秘任務』

 太正国は、白百合王により建国された千九百年の歴史を誇る立憲君主制の海洋国家だ。

 七百年前に起きた大災害の際に白百合王家の血筋は断絶しており、胡蝶蘭こちょうらん王朝、杜若かきつばた王朝を経て、百八十年前から現在に至るまでは沈丁花じんちょうげ家が王家である。


 島国としては世界最大の国土を誇り、総面積の七割を占める本島を中心とした約七千五百の島からなる。

 鉱石や化石燃料等の豊かな天然資源と、一年を通して多様な作物を育てられる温帯気候による九割を超える食糧支給率に加え、四方を海に囲まれた立地により他国の侵略を許さず、先進国として世界経済のけん引役を続けてきた。


 都市部は、余すことなく石畳で舗装され、街の灯りも半数以上がガスから電灯に更新されている。しかし太正国が特に優れているのは、蒼脈法教育が盛んな点だ。

 星の生命力あるいは龍の遺物と称される力『蒼脈』を操る蒼脈法は、数千年前から技術体系が始まり、身体能力を強化する仙法。拳や武器に破壊的なエネルギーを纏わせる気法。蒼脈を体から切り離して使用する魔法。これら三体系からなる技術である。


 世界有数の蒼脈法教育機関を誇る太正国の中でも最も権威あるのが、開校から五百年の歴史を誇る世界でも有数の蒼脈師教育機関が首都『白百合』に位置する太正国立蒼脈師学院である。

 初等科・中等科・高等科・院生までの一貫校であり、高等科では十六歳から十八歳までの三年間、一流の講師陣によって授業が行われる。


 国立蒼脈師学院の学院長室に、高等科一年一組に進級したばかりの渋川サクラが呼び出されたのは、四月五日――進級式のあった日の午後だった。

 学院長の鬼灯ほおずきヨシロウは、太ったねずみが無理やり人の姿をしているような見た目である。

 鬼灯学院長は、脂汗をハンカチでふき取りながら椅子に深く腰掛け直した。


「君を呼んだのは他でもないのだ。頼みたい仕事があるからなのだ」

「なんでしょうか?」

「これから君たちの担任となる人物。彼を立ち直らせてほしいのだ」

「……は?」


 サクラたちの指導に当たるのは、新任の教師という話を聞かされていたが、立ち直らせるとは?


「立ち直らせるってどういう意味ですか? いったい誰を?」


 サクラが眉をひそめていると、鬼灯学院長は、鉛のように重い息を吐いた。


「彼の名は、花一華ユウキ。名前ぐらいは聞いたことがあると思うのだ」

「花一華って……あの狼牙隊・第一分隊隊長の!?」


 蒼脈師を志す者であれば、狼牙隊と花一華ユウキの名前は幾度も耳にする。

 太正国軍に所属する蒼脈師の中でも精鋭中の精鋭が集められた特殊作戦部隊『狼牙隊』。

伝説の蒼脈師『桃木ロウゼン』が総隊長を務める部隊で、第一分隊~第十三分隊までで構成されている。

 花一華ユウキは、弱冠二十歳にして狼牙隊・第一分隊の隊長に就任。以後二年間、分隊長を務めた人物である。


「その花一華なのだ。そしてあの事件は、報道もされたから知っているはずなのだ」

「第一分隊の壊滅事件ですか?」


 狼牙隊・第一分隊は、花一華ユウキが分隊長に就任してからの二年間、一人の負傷者も出していなかったが、今年の三月、反政府組織『アザミの一族』が引き起こした『旧白百合屋敷事件』の際、第一分隊全十名の内、ユウキを除く九名の分隊員が重傷を負う惨事となった。


「太正国軍の諜報部は、アザミの一族が旧白百合屋敷に潜伏しているという情報を得たのだ。討伐のため、花一華分隊長率いる第一分隊が派遣された。しかしこの情報は敵の罠だったのだ。敵の奇襲を受け、部隊は全員生還にしたものの、負傷者九名の内、六人が蒼脈師としては再起不能。そのことで彼は心を痛めてしまってなぁ」

「確かに悲劇的な事件でしたね……それであたしは何をすれば?」

「君たち一年一組全員で彼の傷ついた心を癒してほしいのだ」

「いやいや待ってくださいってば! そんなのプロのカウンセラーに任せた方がいいんじゃ?」

「ここからが問題なのだ。ぶっちゃけた話、精神科医は全員さじを投げた」

「は?」

「だから花一華ユウキという男、とんでもないネガティブシンキングなのだ」

(この期に及んで何を言い出すこのジジイ)

「サクラくん……今頭の中で私のこと馬鹿にしたのだ?」

(っち。ばれたか)


 心の中で毒づきつつもサクラは笑みを絶やさない。


「いえ! とんでもない!」

「ほんとのことを言わんと落第させるのだ」

「ぶっちゃけ、まじですこぶるクソジジイって思いました」

「サクラくん……そこまで言う?」

「正直に言えっていうからじゃん」

「まぁいいのだ。実際あいつはそうなのだ。あれはとんでもなくネガティブでな。自分の誕生会を仲間が開いてくれたら友人の誰かが余命いくばくもないからお別れを兼ねているんじゃないか、とか。自分のこの間受けた健康診断で悪いものが見つかって自分には知らされず、仲間には知らされたとか。絶対死ぬ戦場に送り込まれるんじゃないかとか」

「そんなバカな」

「まじなのだ」


 鬼灯学院長の表情は、鋼のように固くこわばっている。ハッタリではない証明だ。


「とにかくネガティブ根性の塊の彼を立ち直らせるために、なんとか教職につかせたのだ」

「ていうか、そんなちょーネガティブな人がよく教師なんて引き受けましたね」

「昔からの夢だったそうなのだ。教師になるのが」

「なんでそんな根暗が教師になろうと思ったわけ!? どういう人生送ったら、そんな複雑怪奇な人格になれんだろ……ネガティブシンキングって教職者の理想からほど遠くね?」

「だから若い君たちが、彼をこう褒めるというか、慰めるというか、励ますというか……まっ、そんな感じで自信を取り戻させてほしいのだ」

「いや、どうやって……」

「あることないこと適当に言えばいいのだ」

「無茶苦茶だってば……」

「文句が多いのだ。とにかくこれは決定事項なのだ。何か聞いておきたことはあるかね?」

「質問が一つ。これって強制?」

「もちろん」

「断ったら?」

「退学」

「じゃあひとつ言っていいっすか?」

「構わんのだ」

「そんなめんどくせーこと、押し付けんじゃねーよ!! このクソジジイ!! 残り少ないその前髪毟るぞコラ!!」


 サクラの雄たけびが、学院長室にむさしく響き渡った。

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