花一華の牙

澤松那函(なはこ)

プロローグ『ネガティブ先生――その名を花一華ユウキ』

「うわあああああ!! チョークが折れたあ!? 反政府組織の陰謀だ!!」


 国立蒼脈師学院・高等科一年一組の教室を絶叫が支配した。

 黒板の前で一人の青年が頭を抱えてうずくまっている。足元には折れたチョークの破片が落ちていた。

 その青年――花一華はないちげユウキは、涙を零しながら唇をかみしめている。

 整った顔立ちも、左目に傷跡のある鳶色の鋭い瞳も、美しい濡羽色の髪も、濁流のような涙で台無しだ。

 黒い筒袖の上衣と馬乗袴、教員である証である藍色の羽織は、飛び散った鼻水でぐちゃぐちゃになっている。


「普通折れるかな!? 折れないよねチョークって!?」


 ブーツを鳴らして地団駄を踏むユウキを四人の生徒たちが切れた顔で眺めていた。黒板と向かい合うように紫檀で出来た上質な机が五つ並べられており、右端の席だけあいている。

 生徒は、男女ともにユウキと同じ服装だが、羽織の色だけが白い。この白い羽織は蒼脈師学院の生徒である証だ。

 その中の一人、渋川サクラがうっとうしげに口を動かした。


「そりゃ折れるっての。普通に折れるっての。チョークなんて折れやすい物の筆頭じゃん」


 やや吊り上った黒い瞳の彩る面立ちは、熟練の人形職人が丹精を込めて仕上げた傑作のように美しい。

 着物の上からでもメリハリのついた体型であるのが分かり、腰まで伸びた絹のように艶やかな栗毛色の髪は、右の側頭部で束ねている。


「ていうかさ、折れたの一番長いチョーク?」


 サクラは、容姿と不釣り合いなぶっきらぼうな口調である。


「そ、そうだけど」

「なら元からひびが入ってたっての。折れたのは、先生のせいじゃないじゃん」

「ひびが入ってたの?」

「そう」

「元からなの?」

「そうそう」

「やっぱりそうかああああああああ!!」


 絶叫と共に、ユウキは教壇に額を打ち付けた。


「なんで! そんな大きな変化に! 気付けないんだよ俺は!!」


 額が当たる度に教壇はひび割れ、亀裂が大きくなっていく。


「だから俺は仲間達をむざむざと!! うわああああああああああ!!」

「あの、えっと……先生、チョークのヒビなんてたいしたことでは……」


 次にユウキを諌めたのは桜葉ツバキだ。

 美麗な容姿はサクラに勝るとも劣らず、柔和な目鼻立ちは男性の視線を引き付けるだろう。青い瞳と背中まで伸びた輝くような金色の髪は、太正国の民にはかなり珍しい。


「たいしたことじゃない?」

「……はい。私は、えっと……そう思います」

「はあああああ!? たいしたことだよ!!」


 ユウキの怒声に、ツバキの両肩がピクリと跳ねる。

 しかしユウキは、自分の世界に入っているのか、生徒の反応など眼中にないようだった。


「例えばさ!! このチョークにだよ!? 魔法が埋め込まれてたらどうする!? 書いた瞬間に起爆するように!! 折れた瞬間起爆するように!! 反政府組織がこの学校を制圧するためには、まず教師を狙うよね!? 教師を狙うにはチョークに蒼脈の技を仕込み殺してしまうのが最上だよね! もしもこのチョークに魔法が仕込まれていたら俺は死んでたかもしれないよ! いや俺が死ぬだけならいいよ。でも、もしもみんなが被害にあったり、俺が死んだことでみんなを守れなかったら……こんな大きな変化を見逃がすから俺は仲間を守れなかったんだよぉ!!」


 ユウキの舌が回転を止める。

 ようやく〝今日のネガティブ〟は収まったか?

 安堵が教室に広がったのも束の間、ユウキは腰のベルトに差していた打刀を鞘から抜き放った。


「この目は節穴だあああああああ!! こんなものぉ!!」


 切っ先を右目にあてがった瞬間、やんちゃな目つきの男子生徒、瞿麦くばくソウスケがユウキを羽交い絞めにした。

 目付き以外にも、爆発したようにボサボサの髪とユウキよりも一回り大柄な体格が特徴的だ。


「サクラまずいで! どないかして先生なだめんと!」

「あたしにふられてもさ!! 今日のネガティブは、方向性が想定外じゃん!?」

「この任務には、ワシらの学院生活もかかっとるんやで!? 担任教師が目を抉り出しましたなんて、まさしく目も当てられへんわ!」

「うわああああああああ!! こんな目なんか!! いやああああああ!! いやああああああ!!」

「ものごっつい馬鹿力や……なんとかせぇや!!」

「あんたがやればいいじゃん!」

「ワシは口下手なんや! お前に任す!!」

「どこが!? 普段は機関砲並みじゃん!!」

「こういう状況は苦手や! 楽しい雰囲気やないと、舌も回らんわ!! マジでもう持たん!! 五秒も持たん……」

「ああもう……しゃーない。あたしが何とかするってば!!」


 サクラは席から立ち上がった。

 全ては、みんなの学生生活を守るため。この学び舎での日々のため。


「先生! 確かに先生は自分の部隊を危険に晒した」


 サクラは今までの砕けた様子から一転、固い口調で言った。


(サクラのやつ!? トラウマ突きよったで! 直球すぎやろ!?)


 ソウスケが心の中でサクラへの非難を浴びせる。自暴自棄になったユウキに対して悪手と断じるより他ない失言。しかしサクラの瞳に宿る光は、事態の解決を確信している。

 今ここに花一華ユウキ攻略作戦の幕が切って落とされた。


「そうだよ! 俺は!!」

「あたしたち太正国・国立蒼脈師学院の生徒には、太正国軍の士官を目指す者が多くいます」

「そ……そうだよね」

「狼牙隊分隊長の地位にあった先生のように、将来人の上に立ちたい。戦場では上官の判断が部下を生かしもし、殺しもする。我々は成功体験を学ぶだけじゃ意味ない!」

(言い過ぎや! そないはっきり言うたら……)


 ユウキを慰めるどころか追いつめるサクラにソウスケが焦りを覚える。

 しかしサクラの右隣に居る少女が首を横に振りながらハンドサインを送った。


(いや。むしろ効果的です)


 ソウスケも羽交い絞めを継続しながらハンドサインを返した。


(サザンカ!? どういうことや!?)


 三笠サザンカは、面立ちも背丈も小動物のように可憐だ。特に印象的なのは真っ赤な瞳と真っ白に輝く髪で、紙は肩にかからない程度で切られている。

 一方物腰やたたずまいは、幼い容姿とは正反対に落ち着いており、大人びていた。


(先生のトラウマをあえて抉る……でもそれだけじゃないです。その上で先生を肯定してあげているです)

(……そういうことかい! さすがワシの好敵手ライバルや)

(さらにです!! そんなダメな先生こそが、うちらには必要だという刷り込み。これは効果的です。でも同時に綱渡りでもあるです。一歩でも踏み外したら、待っているのは奈落の底です)

(せやけど信じるしかないで。このクラス一の優等生であるアイツをな)


 クラスメイトの想いがサクラに伝わってくる。

 応えるんだ。勝つんだ。眼前に立ちはだかるネガティブ大魔王に!!

 サクラは、自らを奮い立たせた。


「先生の率いていた狼牙隊第一分隊がどうなったのかは聞いてる。だからこそあたしたちには先生が必要なんじゃん! 先生の失敗を繰り返さないためにも。花一華ユウキでなければあたしたちの先生は務まらない! あたしたちは、教科書に載っている英雄譚だけではない。もっと実践的な事が学びたいわけ!」


 サクラの声が教室に浸透していく。その残響が収まると、ユウキが手にしていた大剣を投げ捨て、涙を拭いながら微笑んだ。


「そっか。分かった……ごめんね、取り乱して」


 ユウキは、床に落ちたチョークの破片を拾い上げ。自嘲を浮かべる。


「俺は、なんでも悪い方に考えすぎちゃうんだよね。こんなチョークに何か仕掛けがあるはずはないのにね。まして学校に反政府組織なんて思春期の妄想だよね」

「そんな事ないって。いかなる事にも注意を払い、油断しない姿勢。大変勉強になります」

「ありがとうサクラ。改めて授業を始めようか」


 ようやく授業を受けられる。高い授業料を払ってくれている親にも、顔向け出来るだろう。


「それでは教科書の……」


 ユウキが新しく手にしたチョークを黒板に当てた途端、ぽきっと半分に折れて、先端が床に転げ落ちた。


「……もしもこのチョークが……」

「ちょ、せんせー! あたしの苦労!!」


 その後、授業が再開されたのは、終業のベルが鳴る五分前の事だった。

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