8 女子たちに明日はない


 諸々のことがトントン拍子に運んでいった。まず第一に心配だったのは、たこ焼き屋のおっさんのことだ。岸本人はちょっと煽れば来るかもしれないが、その時におっさんがいると不都合が多すぎる。だから、できればおっさんが不在の時におびき寄せたい。しかし、あのたこ焼き屋はおっさんのお店だからそれはほぼ不可能だ、と思っていたら。



「みおさん!」

「どうした?」

 気付いたら学校でも普通にたえ子と話すようになっていた。ただし、誰もいない、聞いていないことを確認して、例の屋上階段で、だけども。



「この日、角谷さんが不在だそうですよ! 法事だとかで! で、作り置きしておくからその分だけで対応してくれと!」

「なぬ」

「ここしかないですよ!」

「ないな!」



 そう、実に都合がいいことが起こった。捨てる神あれば拾う神あり、だっけ? この場合神は誰だ? 捨てたのは岸で、拾ったのはおっさん? でも岸は神じゃないので、別のことわざを使った方がいいな。



「みおさん!」

「どうした?」


 日付を確認して駆け足で何処かへ消えたたえ子は、数分して戻ってきた。


「この日に岸さんがきますよ!」

「なぬ! ……どうやったんだ?」

「え!? …………わかりません!」

「え?」

「へ?」



 ……

 …………

 まあいいや。

 岸が拾ったのかもしれない。





「なあ、鏡見ていい?」

「ダメです」


 化粧というのは、こう、こそばゆい。知らなかった。また大人になってしまった。他人にしてもらうから変な感じがするんだろうか?



 それにしてもたえ子の楽しそうなこと。この子にこんな趣味というか──一面があったのは、全くわからなかった。



「あんた、化粧するの好きなんだな」

「へ? 化粧するのが好きというか……」

「というか?」

「人を可愛くするのが好きなんです。人が輝くのが好きというか」


「かっこいいこと言うな」

「そうですか? へ、へ……」

「変な笑い方するな」

「そうですか? ワハハ」

「それも変だ」



 しかし、こう無駄話をしながらでも、その手は止まらず素人目に見ても無駄がない。中学生でこれだけ化粧ができるとは割と凄いことなのでは。



「よし……一度見てください、どうですか?」

「うん、どれどれ」

 差し出された鏡を見ると、お婆ちゃんがやるみたいなモサモサしてよくわからない巻き方をしている髪型のわたしがいた。



「なにこれ?」

「せいこ様がダメならももこ様で行こうと思いまして」



 無駄なことしかしてなかった!



「馬鹿野郎! そんな時間ないのになにをふざけて……」

「怒らないでくださいー、ほら、顔はバッチリですよ。頭は手ぬぐいするじゃないですか!」


「あ、ほんとだ……いや、でもなあ」

「大丈夫です、かなり可愛いですよ」

「ばりダサいよ……」


「ももこ様の悪口いうのやめて下さい。ほら、接客のレクチャーしますから」

「ああ、うん……手ぬぐいしていい?」

「ダメです」



 なんか関係性が変わっていってる気がするなあ……

 今日は、なんだっけ。そうだ。先にたえ子が店に着いておっさんを見送った。下校時刻は同じだが、たえ子は自転車通学だから思い切り飛ばして行くらしい。それから歩きのわたしが合流して、変な髪型にされて……


 化粧をしたらきっと美人になれると思っていたけど、さっきの鏡のわたしは贔屓目に見てもお婆ちゃんだな……髪型だよ、髪型のせいだよ、なんだよこの髪型……前髪だけ今っぽいのが余計にむかつく……



「それじゃあ、ぼくちょっと戻りますから」

「え!? いてくれないの?」

「岸さんを迎えに行かないとなんです」

「あ……了解」

「それじゃみおさん、またあとで!」



 そうか……一緒に出かけようと誘ったのか……岸、敵ながら哀れな奴。





 この店、意外と人気だったんだなと今認識を改めている。

 おっさんの作り置きは大体五十個。そんなに売れないだろ、と思っていたらどんどん売れる。ばんばん売れる。いらっしゃいませ、ありがとうございました、三百円になります。今日はこの三つをすごく言う。作り置きだから二百円安い。あ、だから売れるのかな?



「今日も頑張ってるわねえ」

「ありがとうございます」

 しかしわたしが接客していても全く違和感がないらしく、なんならこういうことを言われる。ということは、やはり髪型。髪型が問題だったんだ。わたしも博多の明太子になることがいよいよできた!



「でも今日、風邪なの?」

「はい?」

「声がちょっと……あれね、汚いわね。うがいしないとダメよ」

「…………はい!」

 ただのじゃがいも!



 それにしても結構時間がかかるな、たえ子。本当にデートしてるんじゃあないだろうな。作り置きがもう少ないぞ。

 チラチラと時計を見ていたら、やにわに店外が騒がしい。



「────あの、俺、水曜日の番組いつも見てるよ! お悩み相談のやつ! いつも生収録で、すごいよ! 緊張しないの? そう言えば今日も水曜──あれ? 今日水曜だ──」

「着きましたよ」

「やっと喋ってくれた! でね、その水曜の番組に俺こないだハガキ出したんだ、ハガキって初めて書いたんだけどなんか味わいがあって────」



 よし。たえ子よくやった!



「いらっしゃいませー」

「たこ焼き屋、そう、ここでたえ子ちゃんを見かけて────」

「いらっしゃいませー」

「えー…………」


 店内に入ってきたのはやはりたえ子と岸だ。

 そして岸は果たして、わたしを見るなり驚愕した顔で固まった。

 そしてそしてたえ子は、お前はなんで手ぬぐいしてるんだ。彼女のことをだいぶわかってきたと思っていたのは自惚れだったかも。



「“せいこ”さん、ぼくの同級生が用事があるみたいなんです」

「誰かと思ったら他波さんと岸さん、いらっしゃいませ」

「あれ、えと」


 バツが悪そうな岸さん。あたふたしている岸さん。可哀想な岸さん。


「声に聞き覚えがないでしょうか? 誰かわからないですか?」

「…………」


「岸さんの用事ってなんでしょうか他波さん」

「この写真の人が好きなんだそうです」

「あらワタクシ。岸さん、この間オレのこと振ったと思うんだけど?」

「え? そうなんですか?」

「他波さん慣れ慣れしくってよ」

「接客用語ってそういうのじゃないですよ」


 たえ子、ちょっと距離感が違うぞ! やめろ! 怪しまれる!

 それとなく目で合図を送ってみたが、


「みおさん何を怒ってるんですか」


 馬鹿野郎!


「…………おかしいぞ」

 岸もさすがに感づいた。狼狽していたのに、顎に手なんて添えてわたしたちを見出した。そう、手を添えて……岸の手。



「二人、そんなに仲良かった? 話したこともないよね? なんで今はそんなにフランクなの?」

 こいつはかなり頭が切れる。点数もいつもいいし、趣味がピアノだし。



「あの、それは、」

「たえ子さんから相談を受けてたんだよ」


「なら、尚のことおかしいよ。本当に最初から、働いていたのはみおさん?」



 うぐ……

 たえ子が子猫のような目でわたしを見る。たえ子、それ、やめた方がいい……


 しまった、策を弄したが故に策にハマった。えーと、これはどんなことわざだっけ、ミイラ取りが二階から目薬……違う、今この状況をどうするか考えないと、そう、こんな時もシミュレーションしてある、はず。考えろ。考えてちゃダメ。思い出せ。



「相談を受けて、それで今日だけ入れ替わってるとか、そうじゃないの?」

「あんたがそう思うのは勝手だけど、それを証明する方法はないよ」

「ある。また別の日に来ればいい。たえ子ちゃんと」


 たえ子が子犬のような目でわたしを見る。いかん、ダメだ、わたしがここでやられたらダメだ。そうだ、こいつを、岸に告った時みたいに、毅然とやるんだ。わたしならできる、わたしなら。



「たえ子のことは好きにしたらいいけど、オレのことを言いふらされるのは困るな。その点だけきっちり確認したいんだけど」

「いいよ。みおさんがバイトしてるなんて誰にも言わない。けど、たえ子ちゃんとここにもう一度来るのは俺の自由だろ」


「それは違うな」

「何が?」


 思い切り近づいて、凄んで、何なら襟首を掴んで……


「ここに来られることが不味いから言ってんだ、あんたいい加減に──」

「いい加減にするのはそっちだろ!」


 手首を掴まれて引っ張られ、突き飛ばされる。暴力。不意の行動に尻もちをついた。


「あ…………」



 わたし、簡単に尻もちをついた。


 ダメだ、なんか。



 なんか、今、自分が今、力がないことを自覚した。



 半ば一瞬呆けたようになって、立ち上がることもできないまま、声を出そうとする。喉が震えている。足も震えている。なんだ、怖いのかわたし。不良みたいに言われてるのに、突き飛ばされたくらいで。こんなことで、怖いのか。


 怖いのか。

 怖い。

 なにかを──力任せになにかをされたら、絶対に勝てない。



 たえ子を見る。

 岸を睨んでいる。この子は────岸に怒っている。



 いけない、ダメだ。

 絶対に、ここで失敗したらダメだ。


 やらないと。

 やらないと。


 でも、足が、声が。

 誰か。

 誰か。




 きいちゃん、まいちゃん────





「あれえ、みーちゃんまだバイト終わってなかったのお?」

「今日早く終わるんじゃなかったの?」



「あ……」



 きいちゃんとまいちゃんがいる。

 店の入り口で、なんでもなさそうに、いつものように二人がいる。


 どうして? と考えるより先に、とてつもない安堵感。



「岸じゃん。なんか用?」

「岸くんこんばんはー。ところで今なにしてんのこれ?」

 まいちゃんがわたしに近づいて、手を差し出した。握って、立ち上がる。

 ありがとう、と呟いたつもりだったけど声になっていないかもしれない。いけない、まだ動揺している。

 大丈夫だ。二人がいる。

 深呼吸だ。浅く深呼吸。



 よし。

 わたしは──オレは、みーちゃんだぞ。



「別に。なんかこいつがオレに用あんだってさ」

「へー。実は告白の気が変わったとか?」

「そうらしいよ。オレが好きらしいからね」


「そうなのたえ子ちゃん?」

「へ? あ、はい。えと、この写真の人が好きだってぼくに……」


「へぇー。みーちゃんだ」

「みーちゃんだねえ」



 多勢に無勢。岸は今日一番の気分が悪そうな顔をしている。牡蠣にあたってもこんな顔はできないと思う。


「…………なんで、君たちそんな仲良しなんだよ」

 絞り出すように岸が言う。

 岸からすれば、もはやこの状況を突き崩す論拠はわたしとたえ子の距離の近さだけだ。けれども、


「仲がいいから仲良しって言うんだよ。悪いか?」


 再度近づいて、今度は岸の手を取って。

「だけど嬉しいぜ。あんたの方からオレに惚れてくれるなんて。まあさっきのことは水に流して、ちょうどいいじゃない。オレが好きだってことでいいんだよな?」


「…………」

「……違うのか?」

「……ごめん」


「じゃあなんでこの写真の女がどうこう言ったわけ?」

「それは……たえ子ちゃんだと思ったから……」

「たえ子、どう?」


「何度も言いましたけど、ごめんなさい。それに友達に暴力振るうなんて、無理です」

 最後の言葉を、かなり冷酷な調子で言い放った。


「それは向こうが先に」

「言い訳する人も無理です」


 空気が凍るってこんな感じか。たえ子、結構怒ってるな……怒ってるのは初めて見た……わたしが突き飛ばされて、それで怒ったんだな……なんだろうな……

 嬉しいな。


「そういうわけだから、こっちもバレるとやばいからさ、今日は──」

「せいこちゃん何してんだ?」

 あ。


 戸口におっさんがいる。しまった、もう帰ってきたのか……ヤバイ……たえ子が驚かされた子リスのような顔で硬直している……



「ん? うわあ、もうこんなに売ったの? 今日はえらい売れたなあ、明日の分まで売れて……あのさ、戻らないといけないからもう今日閉めるわ。だからせいこちゃんも──君たちも出て。ごめんね。あ、ほら、たこ焼きやるよ。ごめんな。タダでいいよ。あ、せいこちゃんは残って」



 バレてない──心臓が破裂しそうだ。これは決定的だな。岸もさすがに、完全に悟ったようだ。実は違うんだけど。ごめん、岸。たこ焼きで許してくれ。


 外に出ながらたえ子が口をパクパクさせている。ん、んー……そ・と・で……ま・って・る……



「急いでるから閉めは俺がやるよ、せいこちゃん、ほら、今日のバイト代」

「あ! は、はい。どうも」

 あ、声出した。



「ん?」

「…………」

 ヤバイ?



「……せいこちゃん、今日声が、その、汚いね。もしかして」

「風邪引いてるんです。養生します。ありがとうございました。さようなら」

「おう。気をつけてな」


 声帯ってどっかに売ってないのかな。


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