2020年7月19日18:52 香苗のアパート

それは突然のことだった。

明日からまた1週間が始まるな、とあの平家に住む愉快な一家のアニメを何となく眺めていた。香苗は夕食の支度で台所に立っていた。

3本目のエピソードが始まってすぐ、前触れもなく画面が切り替わり、色を失った総理大臣の顔が大写しになった。

「なんだよー、見てたのに」大して見ていなかったくせに、文句が口をついて出た。それにつられて、香苗が台所から顔を出した。

「なんだろう、これ。コロナ終息宣言でもするのかな」総理の顔色を見れば、吉報でないことは明らかだった。


総理大臣が震える手でミネラルウォーターをあおり、アメリカから届いた世界滅亡の報を告げる会見を、ソファで膝を抱えて、ただ黙って見ていた。


世界規模で流行する感染症を相手取り徹底抗戦していた人類の、あっけない幕切れ。スポーツの祭典は立ち消え、クリスマスツリーも、門松も、満開の桜も、もう見ることはない。

と、香苗がまっすぐな足取りで彼女の寝室兼アトリエへ消えた。

のぞくと、引き出しから針金の束を取り出して、何か作業をしている。ひどく真剣な顔で臨む彼女を、僕は黙って見つめていた。

30分ほど経っただろうか、ペンチを作業台に置くと、立ち上がって僕と向かい合った。

開かれた手のひらには、何重にも織り込まれた、繊細な模様の指輪が2つ、鈍い光を放っていた。

「ね、結婚しようよ。これ秀くんにあげる、

私の最高傑作」すっきりした顔で彼女は言った。


避けられない死を前に好き勝手してやろうという破滅思考の人は案外少なく、変わらず通勤・通学し、いつもどおりの生活を送る人がほとんどだった。各国の要人が秘密裏に火星移住を企てているらしいという噂が流れたり、学生がまじめくさった顔で「まあ、トランプは宇宙軍を組織するのが遅かったですね」とインタビューに答える画像がバズったぐらいで、比較的平和だ。

まあ、急に世界滅亡しますと言われても正直ぴんとこないだろう。


僕らは香苗のプロポーズをきっかけに結婚した。当然だが式はこんな短期間では予定が立たず、2人で過ごす時間を最優先にすることにした。いつかは、と考え、彼女には内緒で結婚資金を貯めていたので、9月まで2人でのんびり過ごせるだけの余裕はある。

次の日には会社に退職届を出し、残り少ない新婚生活(変な響きだ)をどう過ごすか話し合った。

「いつかやりたいな、って思ってたんだけど。静かな片田舎の街でね、平家を借りてのんびり過ごすの。海が見えるところなんてどう?」すぐに賛成した。

そして条件に合致する物件を探すこと1週間、最高の愛の巣兼終の住処を見つけたのだった。

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