第3話 光あれと神は願う

「お帰りなさい」

「戻ったわ」


 イデアはフレイアのところへ戻ってきた。


「それで、ポセイドンは……」


 少し心配そうな顔をして言うフレイア。


「私は何もしていないわ。彼もまた、私が存在を認めた者だもの。それより――」

「どうされたのですか?」


 再び、何かを考えるような顔をするイデアに対し、フレイアが言う。


「やはり、気になるのよ。彼も――ポセイドンもまた、何かを演じているようだった。まるで、ああいう風に振舞うことを強要されているかのように」

「……恐れながら申し上げますが、それもまた、あなたの認めたものなのではないでしょうか?」


 思いがけないことを聞いた風に眉を上げるイデア。


「私たちには、『意識』と『無意識』という考え方があります。今の状況に当てはめて言うなら、『意識』とは自身がはっきりとそれを願っていると理解している状態。『無意識』とは自身はそれを理解していないけれど、確かに願っている状態のことです」

 

 フレイアは度々、その例えが正しいか確認しているかのように、ゆっくりとその言葉の意味を述べた。


「無意識……つまり私は、私自身が認識していないうちに、何かを願って、このように世界を創ったと」


 フレイアは、はい、と小さく頷いた。


「確かに、興味深い考え方だわ。私は『意識』のみをもって世界を創ったと認識していた。けれど、もしその前提が違っていたなら――だとしたら、私は一体何を願っているの?」

「でしたら、人間界へ行ってみては? 人間は私たちほど全能ではありません。ゆえに、私たちよりも意識の力が強いと聞いたことがあります」

「そこなら何か手がかりがあるかもしれない、ということね。分かったわ。ここは……しばらくは大丈夫そうね。まあ、何か起きたら戻ってくるわ。ではまた」


 ふわっ。イデアは消えた。


「……音が、近づいている?」


 残されたフレイアは、この都市を眠らせている夜空を眺めながら呟いた。


              *   *   *

 一方、人間界では。


「ああ、神よ。どうして私達をお見捨てになったのですか……」

「神よ、神よ……」


 ある村の人々は未知の疫病と災害に襲われていた。彼らの持つ医療技術ではもはやどうしようもなく、残された者たちは村の端にある祭壇で、最期の時を待っている。そして、遠く離れた場所から、その様子を見ている影がひとつ。


「私はお前たちに『神は越えられない試練は与えない』と教えた。だが、それは間違いだった。神が越えられない試練を与えなかったのは、我々に生きてほしいと願っていたからだ。我々は、できることを全てやった。それでも変わらないということは――」


 一族の長と思われるシャーマンの男が、言葉を詰まらせる。


「神はそれを、望んでいるということだ。神は我々を、この世界を滅ぼそうと考えているのだ。聞こえるだろう、終末の音が。我々はもはや死ななければならない。それが神の願いなのだ」


 かたかた。シャーマンの男の、杖を持つ手が震えている。


 空は暗雲に覆われ、既に辺り一帯の植物は全て枯れ果て、食料も底を尽きていた。海の向こうに逃れようと船を出せば、そうはさせない、と言わんばかりに巨大な渦潮に襲われ死んでしまう。安全な土地を探そうと村を出れば、巨大な竜巻や落雷に襲われ死んでしまう。もはや為す術はなかった。


「さあ、死のう。神のもとへ還るのだ。我々の父なる神に、最後の祈りを」


 これが運命――なんとか病魔を逃れている者も含め、全ての人々が死を受け入れつつあった。


 その時、人々の前に眩い光とともにひとつの影が降臨する。


「人よ、つかの間の世の中に、なぜこうも嘆くのか」

「あ、あなたは……」

「神が、神が降臨された!」


 病魔と飢えにやられ、今にも死にそうな人々が水を得た魚のように騒ぎだす。


「父なる神よ……私達を生かしてくださるのですか」


 シャーマンの男が言う。


「左様。しかし助けるのは、ここに居る半分の人数だけだ。自分たちで決めるがよい。誰が生きるべきで、誰が死すべきか、を」


 人々がざわつく。ここには、ざっと四十人はいる。そのうちの半分しか助からないというのだ。神はただ、目を閉じてこのやり取りを聞いていることにするらしい。


「神よ! 私を!」

「どうかお助けください!」


 人々は、一瞬、お互いの顔を見合ったと思うと、互いを押し退け、我先にと神の前に走り寄ろうとする。


「やめなさい」


 シャーマンの男が消え入りそうな声で言うと、ぴたりと騒ぎが収まった。


「しかし、長老」

「父なる神は、我々のような他愛もない者を生かしてくださると言った。だが、長居はしてくださらないだろう。より未来のある者、より助かる見込みの少ない者をお助けいただくのだ」


 よく見ると、シャーマンの男――長老の顔はしわくちゃで、全身には青紫の斑点が現れている。


「私はもう間に合わん。だからお前たちだけでも助かるのだ……そして、どうか未来を、助け――」


 時がゆっくりと流れているかのように、長老は静かに息を引き取った。しばらく、沈黙が続く。


「まずは子供だ」


 村人の一人が沈黙を破った。


「その次は女だ。それから一番症状が重いお前。その次は」

「俺は症状が軽いから他の奴を優先してくれ」

「分かった」

「それから――」

「文句はない、それでいこう」

「ええ、私たちも、それでいいわ」


 どのくらいの時が経っただろう。どうやら、ようやく決まったようだ。頃合いを見計らったかのように神が目を開いた。


「神よ、お待たせしました。この者たちが生きるべき者です」


 その眼差しには力があった。嘘偽りのない、まっすぐな眼差しで神を見ている。


「そうか――よい。お前たちは皆、生きるべきである」


 神は言った。


「お前たちがずっと争っていたら、我はお前たちをその場で、村ごと殺すつもりであった。だが、お前たちは正しい道を選んだ。狭き門を選んだ。試練を乗り越えたお前たちは皆、生きるべきである」


 神は満足そうな顔をして、続ける。


「病も災害も全て消し去ろう。我はお前たちが生きることを、愛し合うことを願う」


 次の瞬間。神はまるで太陽のような暖かい光に変わり、辺りを照らした。すると枯れた草木が蘇り、暗雲は一瞬にして消え去り、病魔に侵された体がみるみるうちに治っていく。そして、神は最後に、


「光を信じよ、愛を信じよ。魂よ、永久とわに光あれ」


 と言い残し、消えた。


 天に向かって、ありがとう、と叫び続ける人々。先ほど死んだはずの長老も、眠りから覚めたように起き上がっている。


 そしてまた、遠く離れた場所からその様子を見ている影。


「メイルストロームにテンペスト。どちらも人間界には存在しない災害だわ。そして、未知の疫病の正体はおそらく……モルス・ケルタ」


 『確実な死』という意味を持つそれは、その名の通り、対象にこの上ない苦痛を与えながら確実に死へと誘う、天上界における大疫病のひとつだ。


「きっと『永遠の悪女』の仕業ね。確か、メーデイアと言ったかしら」


 その名前からも察することができるように、どちらかと言えば高位の魔女に近い存在だ。彼女は呪術や占術を司る者として、ごく最近発生した神である。


「彼らの価値観では、人間界への過干渉は罪とされているはずだけど……確かめに行った方が良さそうね」


 ふわっ。イデアは消えた。

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