屋上で、柊に

 涼し気な風が吹く屋上は、どこか開放的な気分にさせてくれる。

 柊に連れられて屋上にやってきた俺は、一瞬だけそんな気分になった。

 しかし、直ぐに重苦しい気分が俺の心に強くのしかかる。


「柊がサボろうって言い出すなんて珍しいな……」


 てっきり、柊はこういうことはしない真面目な子だと思っていたんだが……。


 しかし、俺としてはサボりは正直ありがたい。

 どうしても、今の気分ではまともに授業を受けられそうになかったから。


「こういうのもやってみたかったんです。如月さんは、いけないと思いますか?」


「まさか……俺は自分で言うのはなんだが問題児だぞ?全力で応援してやりたいところだ」


「ふふっ、それはダメだと思いますよ」


 小さく笑った柊のサラリとした金髪が、風に吹かれてなびいている。

 屋上にはもちろんのこと誰もおらず、俺たちの声がよく聞こえた。


「さぁ、如月さんーーーーー聞かせてください」


「……は?」


 何を言っているんだろうか?


 いきなり俺の近くに寄って来たかと思えば、そんな事を言い出して……。


「別に、話すことなんてないよ」


「それは如月さん次第ですよ……。あなたは、今悩んだり傷ついているのでしょう?」


「ッッッ!?」


 鋭い釘が刺さったような感覚になった。


 ……どうして、彼女は分かっている?


 俺は、1度も口に出てないし態度に出した覚えはない。

 それなのにーーーーー


「分かりますよ。私も、深雪さんも、桜木さんも……みんな気づいています。いくら装おうが、あなたが傷ついていることなんて分かります」


 そう言って、柊は俺の体にそっと抱きついた。

 不思議と心臓が高鳴るような感覚も、顔が熱くなるような感じもない。


 ただ、安心する。

 先程までの沈んだ気持ちも、波が収まったように静かになった。


「言いたくないなら、言わなくてもいいです。ですが、1人より2人の方が早く解決しますし、楽になれますよ?ーーーーーこれは、あなたが教えてくれたことです」


「そう…だな……」


「話すか話さないかは、如月さん次第です。ですが、私を支えてくれたあなたが傷ついているところは……見たくありません」


 見下げた先には、悲しそうな顔をする柊の姿があり、桜色の唇や、くりりとした瞳が近くでよく見える。


 ーーーーーそんな顔をしないでくれ。


 なんで、俺の事なのにお前が悲しそうな顔をするんだ。


 ……俺は、お前の悲しむ姿は見たくない。


「別に、俺の問題なんだがな……」


「関係ありません。そんな事を言ったら、あなたも私の問題を聞いたじゃありませんか」


「……そうだな」


 全く……俺も人のこと言えないみたいだ。


 俺は小さく肩を落とし、柊を俺から離れさせると


「聞いてくれるか?くだらない事かもしれないが」


「はい、聞かせてください」


 ゆっくりと、自分の中で整理しながら今日あった出来事を話した。



 ♦♦♦



「そうですか……」


 一通り話した。

 俺が神無月に抱いていた気持ちも、今日あった出来事も。そして、本当の彼女と……今の俺の気持ちも。


 辛い。

 柊にこんな話をするのが辛かった。


 自分をさらけ出すのが、こんなにも辛いだなんて思わなかった。

 柊に引かれないか?くだらないと笑われてしまわないか?嫌われてしまわないか?

 そんな感情が、押し寄せてくる。


「くだらないだろ?……女々しく、ずっと忘れきれずいたこの気持ちは、所詮俺が美化していただけで、実際には土台にすら立っていなくて、勝手に傷ついて……」


「……」


「哀れだよ、俺は。柊に偉そうな事を言っていたが、結局は初恋に叶わぬ幻想を見出して、打ちひしがれてしまうーーーーーそんなどうしようもない哀れな男だったって訳だ」


 俺はフェンスに縋りながら、青く澄み切った空を見上げる。


 この空と同じで、いくら手を伸ばしても届かない。

 高く上がれば、頑張れば届くかもしれないーーーーーではなく、そもそも届くための手がなかった。


 告白すれば叶ったのか?……実際に行動していないから分からない。

 けど、今にして思えば告白という土台にすら立っていなかった。


 好きになってもらう相手は、そもそもこちらなんて見ていなかったんだ。

 その事に気づかなくて、1人勝手に踊っていた俺が……哀れに感じる。


 きっと、柊もそう思っているかもしれない。


「私は、そんな事思いませんよ」


 しかし、隣で座っている彼女の口からは、俺が思っていたことを否定する言葉が聞こえた。


「相手が思っていることが分かるーーーーー何て人はいません。その人は超能力か魔法の持ち主です」


 柊は俺の手を握り、優しく微笑む。


「だから、あなたが気づかなかったのは仕方ありません。無理です、そんな事は出来ないんですーーーーーですが、少しづつ知っていくことは出来ます」


「………」


「如月さんはそうして知っていったからこそ、神無月さんが好きになったのでしょう?一目見た以外にも惹かれる部分があったから、あなたはこうしてずっとその恋を抱いていたのではありませんか?」


 そう……なのかもしれない。


 人間なんて、言葉と態度で表さないと意思疎通できない生き物だ。

 しかし、俺は彼女の表しか見ることはせず、自分の理想に当てはめていた。

 知っていたつもりが、自分で作り出したものだった。


「いいじゃないですか、自分で作り出したものでも。好きになる感情なんて人それぞれなんですから。外見でも、中身でも、性格の善し悪しでも……それは立派な好きの理由ですよ」


「だが……俺が見ていたのは神無月のどれでもなかった」


「いえ、違います。例え如月さんが自分で作り出したものでも、元を辿れば神無月さんです。あなたは神無月さんをちゃんと見て、好きになったんです」


 彼女の話を聞くと、不思議と重みがストンと落ちていく気がする。

 俺の傷ついた心をそっと包み込むような感覚。

 だからなのか……俺の沈んだ気持ちがどんどんクリアになっていく。


「如月さんは確かに、神無月さんの見せない一部を見たかもしれません。それを見て、あなたが自分の愚かさに傷ついて立ち直れないなら、私が隣で支えますよ。あなたが、それでも神無月さんに歩み寄りたいと言うなら……悔しいですけど、背中を押してあげます」


 あぁ……ダメだ。

 これ以上、彼女にそんな言葉を言われたらーーーーー泣きそうになってしまう。


 惨めとか、哀れとか……そういう理由ではなく、嬉しくて。

 こんなにも、俺を支えてくれる人が身近にいた事に。


「いかがですか?背中、押しましょうか?それとも、支えましょうか?」


 先程までの気持ちが消えていく。

 自分は別に哀れではないのだと、その感情は間違っていなかったのだと……そう言ってくれた。

 その事に、嬉しく感じる。


「いや……もう大丈夫だ」


 若干涙声になりながら、俺は隣にいる彼女に向かって笑う。


「ありがとう、柊。だいぶ……楽になったよ」


「そうですか……」


 柊は握っていた俺の手を離すと、澄み切った空を見上げる。

 その時の彼女の顔は、安心しているような、寂しそうな顔をしていた。


「如月さんは、今でも神無月さんのことが好きですか?」


 さっきまでの俺は、確かに好きだったのかもしれない。

 叶わないと分かっていても、忘れきれなかったこの初恋は本物だったかもしれない。


 けどーーーーー


「いや……よく分からないな」


 今の俺の気持ちは……少し違う。


 確かに、神無月の知りたくなかった一面を見た。

 柊に、その感情は間違っていないと、教えてもらった。


 でも……今の俺のこの気持ちは、今までとは違っていた。


 彼女が、俺の事を玩具だと思っていたということは関係ない。

 ただ、純粋にそれ以上に違う感情が入り混じってしまったから。


「すまないな。お前に悩みを聞いてもらったのに、曖昧な解答で」


「大丈夫ですよ、それが人の気持ちなんだと思いますから。ーーーーーすぐに、答えが出せる人間は、始めから存在しません」


「そう……なのかもな」


 俺も柊に習って、空を見上げる。

 澄み切った青空が、先程よりかは綺麗に見えた。


 今の俺の心は、この青空と同じように澄み切っているーーーーーとまではいかないが、だいぶ晴れたのではないだろうか?


「やっぱり……羨ましいです。ちょっと、泣きそうです……」


「ん?何か言ったか?」


「い、いえっ!何でもありませんよ!ーーーーーさぁ、そろそろ教室に戻りましょう!そろそろ授業も終わってしまいますから!」


 柊は立ち上がり、屋上の扉へと向かった。

 時刻は14時近くになっており、そろそろ授業終了の合図の鐘が鳴る。


「あぁ……」


 俺も柊の後へと続いて立ち上がる。





 本当に、柊には感謝だな……。

 彼女がいなかったら、今頃俺はどん底に沈んでいたかもしれない。

 立ち直れなかったかもしれない。


 でも、今の俺は沈んだ所から立ち上がることが出来た。





 決して、気持ちの整理がついた訳では無い。

 しかし、前に進めるほど落ち着いたのは確かだ。


「私、これから怒られると思うと緊張してドキドキして、ちょっと怖いです!」


 そう言いながらも、楽しそうに彼女は笑う。



 そんな彼女を見ていると、どこか落ち着いた気持ちになる。

 顔も熱い。心臓もバクバク脈打っている。

 けど、不思議と嫌な気持ちはしなかった。


 今まで彼女と過ごしてきて、何度か胸が高鳴ることがあった。

 でも、今ほど心地よいものはなかった。


「そうだな……俺もドキドキするよ」



 分からない。

 この感情が何か分からない。


 神無月に抱いていた感情とは違う。

 でも、それに似た何かだとーーーーー俺は感じてしまう。



「柊」


「なんですか、如月さん?」


「……ありがとうな。お前がいてよかったよ」


「はいっ!」




 今は、考えるのをやめよう。


 きっと、彼女と過ごしていくうちに分かるだろうから。


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