第17話 錬金術師の愛娘

 はす向かいの豪邸のあるじは錬金術師であった。

 そんなことも今は昔、現在は彼は元研究室で、のんきにドラムを叩いたり、ピアノの旋律を奏でたりしている。ピアノで作曲も始めたようで、時折家に呼ばれてはまったく理解のできない曲を聴かされることもある。たぶん、もともと何かを生み出すという行為が好きなんだろうなと思っている。

 そして俺は、漫画を読んで生物部の部室で一押しのキャラのプレゼンをしたり、されたり、リア充と一定の距離を置いて彼らを羨みつつも心のどこかで軽蔑することで溜飲を下げていたりしている。青春は相変わらず泥水だ。でもほんの少しだけ、サイダーみたいに炭酸の風味がついて刺激的になったかもしれない。


「ごめん、遅れた」


 一華の部活が終わるのを校庭で待って、ふたりで帰る。少しずつ、朝晩が冷え込むようになってきていて、上着は着ないもののシャツの上に厚手のカーディガンを着込んで身を竦ませている。


「寒いな」

「だね。冬が来るって感じ」


 首をすくめながら駅前のバスロータリーに向かう。乗るべきバスがちょうど停まっている。小走りになって、運転手のお情けで待ってもらって慌てて乗り込んだ。


「ちょっと。これくらい走って息切れとかみっともないなあ」

「う、るさい……」


 さすがに、現役スプリンターともやしオタク高校生では筋力も体力も違う。座席は埋まっていて座れずに、俺はぜえぜえと息を切らしながら吊革を握った。喉の奥がひりひりするのは、空気が乾燥してきている証拠だ。

 揺られながら、ちらりととなりを見る。窓の外の移り変わる景色を見ている一華の横顔は、すっきりと鼻梁がととのっていてきれいだった。

 不意に、三ヶ月しかこの街にいなかった美少女のことを思い出す。まったく違う左側の横顔なのに、どこか重なる。たとえば、毎朝鏡を見る時自分のほくろを見て思い出すように。俺の平々凡々な顔と、うつくしく整った彼女の顔は似ても似つかないのに、なぜか脳裏をよぎるのだ。

 それはもしかして、彼女が俺の血ならぬDNAを分けた同胞だからなのかもしれない。

 そう、俺は、ようやく彼女が「本物」だったのではないかと、薄々思い始めている。今更ながら、そう考えればつじつまの合うことがいくつもいくつもあって、そういうことにしておいたほうが都合がいいのでは、という大人の事情のような妥協のようなそれに気がついてしまった。

 そうだとすると、俺はやっぱり彼女をひどく傷つけただろう。ホムンクルスであることを信じなかったことではない、おじさんに浴びせた言葉たちだ。彼女がほんとうに俺のDNAを使ってつくられた人造人間だとしたら、彼女が何者でもないただの化合物であると言い切ったも同然だからだ。間違ったことを言ったとは思っていない、だけど、彼女が何者でもなかったのかと聞かれれば、あの子はたしかに短い間ではあったものの俺のとなりに座っていた、瀬尾希という女の子だったのだと言わざるを得ない。向こう側が透けるような透明な肌を持つ、勉強が得意で運動は不得手な、歳に似合わず人を食ったような少々気味の悪い笑みを浮かべる、ただの少女だった。

 これはもしかしたら俺のDNAを分けているという贔屓目もあるかもしれないが、間違いなく、死者であるおばさんを蘇らせるのとは違うと言い切れる。だからそれだけ、きっと彼女はもうどこかで朽ちているのだろうが、そんなふうに傷つけてしまったことだけが、心残りである。


「……なに?」


 ふと、一華の視線がこちらに流れて、目が合う。ころんと丸い瞳に、慌てて顔ごと視線を逸らす。気まずくて鼻をすすると、笑い混じりにからかうように呟いた。


「ねえ、なに?」


 妙に色っぽい。無性に恥ずかしくなってだんまりを決め込む。

 吊革を持っていないほうの手が、俺の空いた手に伸びてきて、あからさまな拒否もくつろいだ受容もできないまま、なんとなく指と指とを絡ませられる。

 なんでこいつだって俺が初めてのくせにこんなに手慣れているのだ、手をつなぐのは、お互い初めてのくせに、なんで俺より手慣れているのだ。悔しい。その、絡みついてきた指を握ることもはねのけることもしないまま、ただ委ねる。

 身体はしっかり筋肉がついて体幹も鍛えられているわりに、指は驚くほどに細長くて可憐だな、女の子みたいだ、いや女の子なんだけど。

 なんとなく不思議な気持ちになる。まるで昔とは真逆の状況だった。男子にいじめられてめそめそしている一華の手を引いて、こんな夕焼けの中家路を歩いていた。一華のあの告白を信じるならば、一華は俺に手を引かれることにどこか後ろめたさを感じていたのだろうか。今となっては、一華が俺の手をこうして引いている。それが、すごく不思議だった。

 小さな爪、か弱い節、細長い指、薄いてのひら、そのうっすら湿りを帯びた温度、さらさらとした手の甲……。

 寒いせいか温かさの中にもほんのり芯の残る冷たさがある指を、俺は、一年分の勇気を振り絞って、みずから握りしめた。一瞬驚いたように、手が跳ねて、それから、ゆっくりと確かめるように、しっかりと握り返してきた。


「そうだ、パパがうちにおいでだって」

「今度は何」

「新曲ができたらしいよ」

「じゃあ行く」


 いつか、おじさんをだしに使わないで、一華の部屋に遊びに行ける日がきますように、でも今はまだ、錬金術師の手を借りて。


 ◆了

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となりのホムンクルス 宮崎笑子 @castone

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