第9話 格好いい女の子

 肩に、ゆったりとした震動が伝わる。うろうろと意識が夢とうつつをさまよっている感覚が気持ちよくて、それを跳ねのけた。


「繁田くん」


 名前を呼ばれ、少し強めに肩を揺すられて、はっと目が覚める。


「もう放課後だよ」


 顔を上げると、無表情の瀬尾さんがとなりの席から俺の肩に手を置いている。慌てて周囲を見回すと、ちらほらとクラスメイトが残っているだけの、がらんとした教室だった。時計を見ると、ホームルームもとっくに終わっている。


「あ、やば」

「ミーティングに行くんでしょ? わたし、部室が分からなくて」

「ごめん、すぐ用意する」


 慌てて教科書などを鞄に突っ込んで立ち上がると、瀬尾さんも立ち上がる。並んで廊下を歩きながら、俺は今更ながらに瀬尾さんに生物部の実態を説明する。


「あのさ、誘っておいて悪いんだけど、女子はひとりもいないんだ」

「ふうん」

「あと、何て言うか、ちょっと変わった奴ばかりで」

「わたしより変わってる?」

「え?」


 思わず瀬尾さんの顔をまじまじと見る。真面目な、ふざけた様子は一切なさそうなその問いに、なんと答えようか悩む。彼女はちょっと妄想が行き過ぎているふつうの女の子であると思うので、曖昧に笑う。


「たぶん」

「そうなんだ」


 それきり、会話は途切れる。部室のドアの前に立つと、何となくいつもと違う雰囲気が漂っているのが分かった。それはこのドアの向こう側なのか、それともこれから部室に美少女を連れ込むことへの緊張なのか、判別はしかねた。


「どうしたの?」


 ドアに手を触れてなかなかスライドさせない俺に、瀬尾さんが声をかける。それが引き鉄になったかのように、弾かれたようにドアがスライドした。

 開けたのは俺じゃない。


「あ。繁田」

「後藤」


 危うく、戸袋に巻き込まれそうになった手をいたわりながら、目の前に立つ人物の名を呼ぶ。


「……遅いから、ばっくれたのかと」

「居眠りしちゃって」

「あ、そうなんだ」


 後藤の頭の後ろを見ると、いつも部員がちらほらといるだけの椅子は今日に限ってフルメンバーで満席に近く、俺みたいなひ弱な外見の蹴ったら折れそうな奴らが勢揃いしていた。十人近い人数がいるのに会話は一切なかったようで、まるで空気がお通夜である。皆が厳しい表情でテーブルを見つめている。なんだ、気味が悪いぞ。


「ま、まあ、入れよ……」

「うん」


 瀬尾さんを招き入れ、後ろ手にドアを閉める。カーテンも全開で電気もついているのに、心なしか薄暗い部室内が、ぱあと華やかになった気がして気後れする。そうか、このお通夜空気の原因は、気後れなのか。


「え、っと」


 何から始めればいいのか分からなくなって、とりあえず瀬尾さんのほうを振り返る。


「瀬尾希です。夏休みまでですが、生物部に入部したいと思っています。よろしく」


 あっさりと自己紹介を終わらせて、彼女は仕事は終わったと言わんばかりの無表情で突っ立っている。となりに立っていた後藤に肘でつつかれて、どうやら俺がこの場をまとめなければいけないということに気がつく。


「あ、ええと、そういうことなんで、皆仲良くしてあげて、ください」


 無言。

 先ほどまでテーブルを見ていた視線が俺たちにそそがれているのは感じるが、返事がない。これは瀬尾さんに悪印象すぎでは、と思いつつも、もう一度声を促すように引きつった笑みと一緒に言葉を吐き出す。


「な、仲良く、しような……」


 その催促に、呪縛が解けたようにちらほらと、うん、とか、ああ、とか唸り声に近い返事が聞こえる。こいつらのコミュニケーション力の著しい欠如を蹴り飛ばしたい。と、自分を棚に上げて思う。


「えっと、じゃあまあ、ミーティング始めるか」


 部長である後藤が、白々しくも仕切りだす。ミーティングと言っても、別に共通の目標があるわけじゃない、試合もコンクールもない俺たちが喋るのなんて、雑談以下のしょうもない話だ。このアニメがよかったとか、最近はやっているスマホゲームの攻略方法とか、ネットで話題のあれこれを斜に構えてそれらしく評論するとか。

 そもそもこの生物部という部活自体俺のような、部活なんか絶対に入りたくないでござる、という奴らの隠れ蓑なのだ。顧問はバスケ部との兼部なので、滅多にこちらにやってこないし。

 ところが、全部員が揃っているはずの部室のドアが開く。皆が思わず戸惑い気味にそちらに目をやると、禿げ散らかした顧問が入ってくるところだった。


「入部希望の生徒がいると聞いたので、入部届を受理しに来た……」


 言葉の途中で、たらこ唇が黙る。その視線は瀬尾さんにそそがれていて、えっ、と思わずというように声が漏れた。


「……きみはたしか二年生の転入の……」

「瀬尾です」

「そう。瀬尾さん。えっ、本気?」


 ぱちぱちと、無駄につぶらな瞳をしばたいて顧問が俺たちにとって失礼極まりない質問を投げつける。本気、とはどういう意味だ。


「本気、って、どういう意味ですか」


 不思議そうに問いかける瀬尾さんに、顧問は自分が周囲の十人あまりにとっての失言を犯したことすら知らずに暴言を重ねる。


「いや、だってこんな場末の部活にわざわざ入部しなくても、たとえば吹奏楽部は活動も活発で友達もたくさんできると思うよ」

「グループ系の部活は、わたし三ヶ月で転校してしまうので参加できません」

「じゃあ、美術部は? 女の子も多いし、和気藹々としてて楽しいと思うよ」


 この顧問はたぶん俺たちを感情のある一個体と見なしていないぞ。というのが、今の生物部既存部員の全会一致での感覚だった。後藤の眉がぴくぴくと動いている。


「こんなむさ苦しい男ばかりの部活である必要なんか、全然ないじゃない」


 もし俺たちがガリガリくんじゃなく、もっと発言する勇気がある人間なら、間違いなくこの顧問はひどい罵詈雑言を浴びせかけられている。それがないことが、たぶん彼を付け上がらせる原因とは分かりつつ、俺たちは沈黙を守ることで抗議する。同じ沈黙でも、不買運動とは違って、まるで意味のない抗議だ。これでは顧問に同調していると思われてもしょうがない。俺たちは情けない。

 そこへ、瀬尾さんのよく通る声が、言い放つ。


「そうですね。先生みたいな失礼な人が顧問である部活に入部する必要はないですね」

「えっ」

「先生は、ここにいる皆さんが傷つかないと思っているんでしょうか。場末とか、むさ苦しいとか、失礼だと思うんですけど」


 そこで初めて顧問の視線が俺たちを捉えた。そして、ばつが悪そうに目をしょぼしょぼさせる。


「わたしはクラスに友達がいませんし、そんなわたしを気にかけてくれる繁田くんはとてもよくできた人だと思います。先生よりずっと」


 顧問が俺を見て、苦々しげに顔を歪めて瀬尾さんに吐き捨てる。


「教師にそんな舐めた口を利くもんじゃないよ」

「生徒をひとりの人間として認識できない人は、教師とは呼べないと思います」

「瀬尾さん、もういいよ」


 あくまで戦闘態勢の瀬尾さんを慌てて宥める。これ以上の言い争いは無意味だと思うし、どう考えても顧問がボロ負けすることは目に見えていて、そしてそれによって今後彼女の立場が悪くなると、かばわれた俺たちの後味も悪い。なので、止めた。


「繁田くんは悔しくないの?」

「……悔しいけど、たしかに俺も、男ばっかりのこんな部活に誘ったのは悪かったなって思ってるし……」


 きゅっと引き締まったきれいな瞳に見つめられ、たじろいで結局自分をけなす羽目になっているこの状況と顧問を呪っていると、ひんやりと冷たい手が俺の手に触れた。瀬尾さんが、俺の人差し指を握ったのだ。


「大丈夫、ホムンクルスのわたしは」

「ああー!」


 ホムンクルス、と彼女が発音したのを慌てて大声で遮る。突如耳を裂いた俺の叫び声に、ここにいる全員が漏れなくぎょっとした顔をした。それから、瀬尾さんだけが、驚いた顔をすぐにととのえて、きゅっと歯を見せず笑った。


「そっか、ヒミツだったね」


 しい、と人差し指を唇に当ててミステリアスな笑みを浮かべる瀬尾さんは、俺の人差し指を握ったままだ。それを振り払い、俺はぽかんとしている後藤をせっついた。


「ほら、ミーティングやるんだろ」

「あ、あ、うん」


 ぎこちない動きで、後藤が席に着く。俺も、瀬尾さんを促して空いている席に座った。入口で立ち尽くしていた顧問が不愉快な声色を使って席に着いた瀬尾さんの背中に投げつけた。


「担任の先生には僕から報告しておくから」


 何をだ。

 捨て台詞のようなそれを言って満足したのか、顧問はどすどすと苛立ちもあらわに廊下を去っていった。足音が遠ざかって、部員のひとりが細く長くため息をついたのを合図に、後藤が呟いた。


「生物部史上稀にみるクソ発言オブザイヤーだな……」

「いやまあ、前からああいう人だったよ」


 ため息まじりに応えて、それからふと思い出す。


「瀬尾さん、ありがとう」

「え?」

「俺たちをかばってくれて、ありがとう。……格好よかったよ」


 謝意を述べる俺に、瀬尾さんはきょとんとしてから小首を傾げて微笑む。俺の嫌いな例の笑みである。


「別に、お礼を言われるほどのことはしてないよ」

「いや。うれしかった」


 後藤が口を挟む。ほかの部員も、声には出さないものの頷いたり、目元に力を込めたりしている。こういう時は声に出したほうがいいのだけど、何しろ対人スキルが低いので仕方あるまい。

 そうして、俺の陰謀による瀬尾さんの入部は、クソ顧問という思いもよらない刺客によって案外あっさりと、あたたかく受け入れられた。ひとつ問題があるとすれば、今後ミーティングで彼らが思うままにちょっとエッチな漫画の話や、ちょっとエッチなゲームの話をできなくなったくらいだ。

 それが、ちょっと痛手なだけである。


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