第7話 わたしの正体は

 転がっていってしまったボールを追いかけて、息を切らせて走る。

 体育の授業、という時間が、唾を吐きかけて蹴り飛ばしてしまいたいくらいには苦痛だ。

 運動神経もまるでよくなくて、陸上などの個人競技ならまだしも、チームプレーのサッカーや対戦相手がいるテニスなどになるとチームメイトや相手に迷惑をかけてばかりなので、惨めになるからだ。そして、だいたいのカリキュラムが、団体競技または対戦競技なのだ。体育が個人競技かつ俺でも多少は活躍できる水泳に切り替わるのは、もう少し先の話。

 今日も例に漏れず、男子と女子に分かれてサッカーの試合をしている。俺くらい運動音痴になると、もうほとんどボールすら回ってこないので、グラウンドをとりあえずボールの方角に向けてとろとろ走っていればいい。無言の戦力外通告はたまらなく惨めだけど。

 俺のすぐそばを通って、ボールがラインを割った。とりあえず、スローインすらさせてもらえないとは思いつつ取りに追いかける。ボールを追った先で、誰かの足に当たって止まった。顔を上げると、一華と瀬尾さんが並んで立っていた。ふたりがじっとこちらを見て、思わずたじろいだ。


「あ、ボール」


 言葉の前に、あ、をつけるのはよくない、と一華によく注意されるが、急には直らないし今の、あ、は正当だったはずだ。

 瀬尾さんの足に当たったボールを持ち上げてそのままそそくさとその場を去る。

 あのふたり、仲いいのだろうか、瀬尾さんは初日に女子を蹴散らしてからずっとひとりでいるように見えるし、一華は一華で友達も多いから瀬尾さんに構っている暇なんかなさそうなものだが。

 それとも、ひとりでいる瀬尾さんを気にして、一華が話しかけているのだろうか。それならばまだ納得がいく。


「おい、繁田おせえよ」

「ごめん」


 運動神経が悪ければ、当然足も遅くスタミナもない。けっこうな勢いで飛んでいったボールをなるべく急いで持って帰ってくる頃には、俺はへとへとになっていた。そんな俺に、容赦なく遅いとかなんとか声がかけられる。

 スローインはもちろんさせてもらえず、ライン付近で待機していたチームメイトにボールを手渡してゲームが再開される。そのまま、ボールに触っていたのは、拾いに行った時と、数えられるわずかな回数のみだった。それでも疲れてしまって、へとへとで更衣室に向かう。その途中呼び止められた。


「泰司」


 一華の声だ、と振り向く前に分かって、そちらを見る。となりには、瀬尾さんの姿もある。ふたりとも体操着姿のままで、今から女子更衣室に行くのだろうと思った。

 不思議な組み合わせ、と思ったところで、不意に数日前におじさんと俺と瀬尾さんで三角を描いたことを思い出す。あの時、瀬尾さんはおじさんと過去に面識があるふうな口ぶりだった、もしかして一華のことも知っていたのか、と訝る。


「何」

「希ちゃんが、話したいことがあるんだって」

「……」


 いつから、名前で呼ぶような関係になったのかはいざ知らず、そう言えば一華は物怖じしないで人と積極的にかかわっていくタイプの人間だったけど、それでも素早い。そして、不思議に思う。俺に用事があるなら、席もとなりなのだし直接言えばいいんじゃないのか。

 じっとこちらを見つめてくる、透明なふうな肌にインクを滲ませたような黒い瞳が、もの言いたげにかげりを帯びた。一華のほうに目線をずらすと、彼女もどこか思い詰めたような顔をしている。


「何なの」

「いいから、ちょっと来て」

「あ、おい」


 一華にぐいと腕を引かれ、よろめいた。そのまま俺はふたりの美少女に引きずられ、追い立てられ、普段は使われていない空き教室に連れ込まれた。そのまま、瀬尾さんが窓際まで歩いてカーテンを引き、背後では一華ドアの鍵を閉めた。

 なんかヤバくないか。

 そんなふみちゃんみたいな感想を抱いた俺を、瀬尾さんが振り向いてじっと俺の嫌いな目で見つめてきた。逸らしたくとも逸らせない。


「あたし、聞いたんだ」


 ばっと振り返る。一華が自分の足元に視線を落としながら、瀬尾さんのところまでゆっくりと歩いていく。


「希ちゃんってね」

「……」


 何を言われるのか皆目見当もつかなかったが、次の瞬間全身の力が抜けてしまいそうになった。


「ホムンクルスなんだって」


 俺はたばかられているのだと思った。内容がアホすぎる。いや、アホでももっとうまい嘘をつく。それくらい、馬鹿げた内容だと思った。

 けれどふたりはいたって真面目で真剣な顔をしている。


「この間パパが事故を起こしたでしょ? あの時に生まれたホムンクルスなんだって」


 一華の細いながらしっかりと筋肉のついたしなやかな腕が、瀬尾さんの病的に白い肌に触れる。そのまま、頬を指でくすぐって、首筋、肩、腕と落ちていく。壊れ物を扱うかのような慎重な指使いに、妙に心臓がうるさくなった。

 何かを確かめるように少しずつ服の上から瀬尾さんに触り、人差し指は心臓のあたり、体操着の胸元の刺繍で止まった。

 一華がなぜそんなことを信じたのか、分からない。けれどとにかく当人たちは真剣なようで、一縷の笑いも必要としている様子ではなかった。どう、反応すればいいのか困って、俺は結果的に必要とされていない乾いた笑いを漏らしてしまう。


「はは、何言って」

「あたしも、別に完全に信じたわけじゃないの」


 ぴしゃりと一華が俺の反論を叩き潰す。完全に信じたわけじゃない。裏を返せば、少し信じているということだ。溜めていた息を鋭く吐き出し、瀬尾さんに話を委ねるように、視線で続きを促した。彼女が赤い唇を開いて、話しだす。


「あの日、わたし気づいたらあの地下室にいた。でも、わたしはどうして自分があの部屋にいたのかを知っているし、目の前で驚いたようにわたしを見ているおじさんの存在も知っていた。この世界で生きていくためのありとあらゆる知識は、揃っていた」


 前にネットで拾った文章に、ホムンクルスは生まれたその瞬間にすでにあらゆる知識を持っている、という内容があったことを思い出す。


「そして、わたしは逃げ出したの。その直後にわたしが生まれたビーカーが爆発した。それからは、たぶん……繁田くんが見た通り」


 散乱した研究道具、割れたビーカーの破片、床に倒れているおじさん。彼は、ホムンクルスの生成に成功したと、確かに主張していた。

 確かに、瀬尾さんの話すことは、俺が見た光景のプロローグとしてはまったくもって齟齬がない。彼女がおじさんを知っていたことも、納得できる。ただ、それはあくまでいわゆる状況証拠というやつで、瀬尾さんがホムンクルスだという馬鹿げた理論の証明にはならない。


「何か、証拠はあるの」

「証拠?」

「ホムンクルスである証拠」


 そこで初めて、今まで不敵に笑むだけだった瀬尾さんが困ったように顔を歪めた。そういったものは、ないらしい。

 いったい何が目的でそんな嘘をついているのか分からない。俺たちを騙してふところに入り込むことで、彼女に何のメリットがあるのか。

 そして、不意に思い出された。


「ねえ、もしほんとうに瀬尾さんがホムンクルスなら、賞味期限なり消費期限なりがあるはずだよね」


 たとえば自分がホムンクルスであるというのが、彼女の妄想だったとする。先日おじさんと話していた賞味期限というものが、彼女にも適用されるはずである。そう思い追い詰めるつもりで聞けば、瀬尾さんが指を三本立てた。


「三ヶ月」

「……」

「わたしをつくったミョウバンの消費期限は、三ヶ月後」


 彼女がこの学校に在籍する期間だ。なかなかよくできた話である。

 瀬尾さんは、謎めいていると言うかわりと何を考えているのかよく分からない美少女であったものの、こんなぶっ飛んだ妄想を抱えている人間だったのは少し残念だ。しかし、人間何かしら欠点はある。それが彼女にとっては残念な妄想だったというだけの話だ。

 俺が半信半疑どころか、ゼロ信全疑な顔をしているのに気づく様子もなく、瀬尾さんは真面目そのものの顔をして淡々と続ける。


「とにかく、人造人間のわたしが言うのも変な話だけど、死んだ人間を蘇らせるなんて、やめたほうがいい」

「それは全面的に同意する」


 その点に関しては、俺はこの電波美少女と同意見だ。一華のためにも、そして彼自身のためにも前を向くべきだ。いつまでも死者の骸にしがみついていたところで、未来はない。


「死者を蘇らせるには、それなりの対価を支払う」


 しかし、瀬尾さんの理由は少し別のものらしかった。


「対価?」

「だって、何もないところから人体を生み出すんだよ。何の犠牲もなくなんて、ちょっと虫がよすぎやしない?」


 言われてみれば、それはそうかもしれないが。どこぞの錬金術師も腕持っていかれていたが。

 たとえばおばさんを蘇らせたあかつきに、彼は何を失うというのだろう。

 ところで、そんな妄想に付き合っているうちに、貴重な昼休みがどんどん削られているのだが。教室の時計をちらりと見ると、もう十数分も経過している。


「あのさ、悪いんだけど、俺全然今までの話信用してないから」

「泰司」


 一華が、不安げに俺の名前を呼んだ。


「一華、考えてみろよ、ミョウバンでこんな動いて喋る女の子が生成できるわけないだろ。おじさんはあの日、何か混ぜちゃいけない薬品同士を混ぜてしまって、それで爆発を起こしただけだ。ホムンクルスなんて、生まれてない」

「繁田くん」

「瀬尾さん、漫画の読みすぎだよ」


 大したことない、と言うふうに鼻で笑い飛ばすが、内心はびくびくしていた。瀬尾さんという未知の他人に対してそういう不遜な態度をとるのが、怖かったのだ。対人関係に関しては、俺はびびりのチキンである。


「瀬尾さんはホムンクルスなんかじゃない」


 はっきりと言葉にして、確信する。そりゃそうだ、こんな美少女を生成できるなら、俺だって錬金術に手を出しかねない。ああ、いや、問題はそこではなくてだ。つまり、ミョウバンとその他の化学薬品等を合成してどうにかこうにかしたところで、ふつうの人間のように動いて喋って考える生命体ができるはずがないのだから、目の前の女の子は確実にホムンクルスではない。瀬尾希というひとりの高校二年生だ。


「……信じてくれなくても、いいけど」


 心底残念そうに、彼女は深々とため息をついた。一華のほうをちらりと見ると、何とも言い難い複雑な表情をしていた。俺と瀬尾さんのどちらを信じればいいのか、まだ境界線上にいるような、どちらに針を振ればいいのか分かっていないような。

 なぜ、冷静に考えればすぐに分かる彼女の嘘に、一華が気づけないのか。俺はその理由にたどりつけないまま、ふたりを残して空き教室をあとにした。


 ◆

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