第5話 想定外の転校生
一華の元気がないのは誰が傍目に見ても明らかなのだが、風邪かなあ、と笑う彼女に誰も何も言及しない。もしかしたら、親友あたりが突っ込んだ質問をしているのかもしれないが、俺には想像のしようもない。仲がいいと言っても、一華の交友関係まではあかるくないし、何より一華の友人とか知人に俺は、なんでお前みたいな奴が一華と仲いいの、と思われていると感じる。一華は、幼馴染でなければ絶対にかかわりのないタイプの人間で、むしろ、幼馴染だったからと言って一華がこうして俺と交流をはかってくれることがちょっと変わっているくらいなのだ。
というようなことを主張すると一華は決まって、自分を卑下するのよくないよ、とか、またそうやって人をよく知りもしないで仲良くできないって決めつける、とか、お説教をする。
「今日は転入生がいます」
朝のホームルームでいきなりそんなことを担任の先生が発表し、教室がざわつく。それもそうだ、今は新学期が始まって二ヶ月も経っていない時期で、こんな時に転校生なんて、なかなか聞かない。
「入っておいで」
先生の声掛けに、教室前方のドアがスライドされる。はっと、誰もが息を飲んだ。
入ってきたのは、濡れたようなつややかな黒髪の少女だった。すっきりとととのった顔立ちの中、吸い込まれそうな黒色をした瞳と、赤い唇が印象的で、淡く発光しているかのように白く透き通った肌が窓から入ってきた太陽光を跳ね返す。うちの高校の制服は特別なものでもなんでもない、男子は学ラン女子は紺のスカートとブレザーであれば何でもよいという緩い制服だが、彼女も同じく紺の膝丈スカートとブレザーを着ている。
特に男子は、見とれていたと思う。
「
凛とした高くも低くもないよく通る声。教室に呼吸が戻ってくる。近くの席の奴らと色めき立ってこそこそと喋り出す女子を、俺は教室を見渡せる一番後ろの席でぼんやりと見ていた。一華は誰かと喋るわけではなく真面目に転校生を見ている。
「ほら、静かに。瀬尾さんは、親の仕事の都合で三ヶ月しかこの街にいないそうだ。だから、登校するのは夏休みまでの短い間だけど、仲良くしてやってくれ」
はーい、と心ここにあらずな返事がちらほら聞こえる。それから先生は、俺のとなりの空席に目をつけた。
「
「いや。空席です」
「じゃあ、瀬尾さんはあそこに座って」
「はい」
彼女が動くたびに、背中まで伸びた黒髪がさらさらと揺れて、男子も女子も目で追う。それをまったく気にする様子も見せず、俺のとなりの席までやってきて、座る。そして俺ににこりと微笑みかけた。
「よろしく」
「よ、よろしく……」
意味もなく眼鏡のつるを触ってしまう。動揺しているのが誰の目にも明らかであろう。
一華のような健康的な美少女とはまた違う、見るからに病弱そうで箸より重いものが持てなさそうなタイプの美少女だ。一華はあっけらかんとすべてを受け入れる寛容さがその表情から垣間見えるが、彼女の場合何だか来るものを選ぶような、警戒心の高い家猫のような雰囲気を感じる。一癖ありそう、と言うか、腹に何か抱えている、と言うか。
そして、ホームルームが終わり俺のとなりの席は一気に騒がしくなる。
「どこから引っ越してきたの?」
「三ヶ月だけとか、さびしくない?」
「お父さんって何の仕事してる人なの?」
女子が群がり、個人情報を聞き出そうと必死である。そして、急な転校に関する質問が飛び交う中で、血液型は、とか、誕生日は、とか、どうでもいい質問も散見する。その、聞きたがりの女子の中に、友達に連れられてきたふうの一華の姿もある。
瀬尾さんは、わっと寄ってきた女子の大群に最初驚いたように目をぱちぱちとしばたかせたが、にっこりと笑ってそのよく通る声でとんでもないことを言った。
「答える義務はないと思う」
え……、と女子たちの空気が凍りついていくのが、感覚で分かった。何を言われたのか分からない、と言うふうな彼女たちに、追い打ちをかけるように赤い唇が再び開いて、ゆったりと言葉を紡ぐ。
「仲良くもない人に、そういうことを教えたくない」
クラスの中でも目立つグループの、リーダー的存在の女子の上履きが一歩後ずさるのが見えた。
「こ、これから仲良くなればよくない……?」
「初対面で遠慮もなしに何でもかんでも聞くような人たちと仲良くできるとは思わない」
「……」
そんな、そこまで言うほど彼女たちはぶしつけだっただろうか。転校生は質問攻めに遭うのは世の常だし、この街に三ヶ月しかいないような仕事をしている父親なら、きっとほかの街にも長居していないはずで、そうするとこれまで点々としてきた学校生活で何度もこういう状況には陥ってきたはずだ。軽く受け流すことはできないのだろうか。
いやそうに眉をひそめて、女子のかたまりはすうと波が引くように瀬尾さんから離れて行く。その様子を、当事者でもないのにそわそわしながら横目で見ている俺の視線と、瀬尾さんの視線がふとかち合った。彼女は、にっと頬を持ち上げた。
不思議に思い、眉を寄せる。瀬尾さんのことを気にしていた様子の男子たちも、彼女がすげない態度で女子をあしらうのを見て、何か面倒事を察知したらしく、近づいてはこない。瀬尾さんは俺を数秒じっと見つめたあと、自然な感じで目を逸らしてノートを開き、何かに気がついたように目を丸くした。
「ねえ」
「あ、うん、何」
不意に声をかけられる。慌てて返事を返すと、瀬尾さんは先ほどまで不敵に笑っていたのが嘘のように真面目な顔で、言う。
「教科書、見せてくれないかな」
いいけど、と言おうとしてふと視線を感じる。曖昧に返事をしながら、そちらを振り返ると、さっと一華が顔ごと俺から逸らしたところだった。たしかに見られていたとは思うものの、逸らされてしまえばそれ以上言及はできない。一時間目の英語の教科書を取り出して、くっつけてある瀬尾さんと俺の机の間に置いた。身を乗り出してきた瀬尾さんは、勝手にシャンプーなどのいい匂いがすると思い込んでいたせいもあってか、意外なハーブ系の匂いがした。
昔どこかで嗅いだことのあるような、不思議な懐かしい匂いだった。
授業中、黒板のほうを向いている教師の隙を縫い、真剣に授業を聞いている瀬尾さんの様子をばれないように密かに観察する。すっと通った高い鼻筋に赤い唇が強そうでありつつも儚い印象を残す横顔は、頬の皮膚がひどく薄くて少し青白いくらいだった。唇以外に血の気を感じない顔に、まるでつくりものみたいだ、と思う。美人ではあるけど、一華のように親しみやすくはなく、現に先ほど女子たちを蹴散らした。
一華がその名の通り、花であるなら、瀬尾さんは宝石のようだと思った。
「…………何?」
じろじろ見ていたのがばれて、瀬尾さんがこちらを見ないまま囁いた。どぎまぎして、彼女がこちらを見ていないというのに首を振る。顎でシャープペンシルをノックしながら、舌が覗いて唇を舐めた。そしてこちらを目だけ動かして、見る。
にやり、と。
「……っ」
心臓を鷲掴みにされて身体から引き離され煮えたぎる湯の中に放り投げられた気分になった。顔が、恥ずかしくて赤く染まるのが自分でも分かる。歯を食い縛り、心臓を茹でられる感覚に耐える。
そのままチャイムが鳴って、俺は勢いよく椅子を蹴って立ち上がる。クラス中の視線を集める中で、一華の驚いたような顔を見てほんの少しだけ安心した。
まるでこの世界から、自分だけが切り取られてしまったような錯覚だった。
先ほど群がってきた女子たちとはまた違う。俺はたしかに、今のうつくしい笑みに原因の分からない嫌悪を覚えてしまった。
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