第2話 天文部はいやだ

「で、いつ行けばいいの?」

「いつでもいいよ、あたしが家にいるときにして」

「じゃあ……」


 なぜ俺に彼からお声がかかるかと言うと、それは俺が悲しいかな生物部に入部してしまったせいだ。俺が生物部に入ったというのを、一華経由で知った彼は、生物部ってカエルの解剖とか生命の神秘とか学んでいるんだよね、それならば錬金術および人体生成にも興味あるよね、というこじつけの中のこじつけをぶちかまし、事あるごとに実験室に俺を呼びつけて視界に入れたくもないえぐい物体を見せたり、よく意味の分からないレポートを見せたりしてくる。言っておくが、生物部はカエルの解剖なんかしていないし生命の神秘も学んでいない。

 そして今回もきっと、どうしようもない進捗を見せられるのだ。なんせ前回は、もうちょっとで試験段階のホムンクルスがつくれそうなんだ、という報告とともに訳の分からないなんだか異臭を放つ腐った肉のような物体と、まったく理解不能な計算式が連ねられたレポート用紙数束を見せびらかされたのだから。あの、真夏に日の当たる窓辺で十日ほど放置した牛肉がこちらになります、みたいな物体がどうやったら人間になるというのだ。


「とりあえず、明日の放課後部活ないし、行くわ」

「うん、そうして。パパはお勉強の成果を誰かに見てほしいだけなの。お子様だよねえ」


 娘にいろいろ失礼なことを言われているけどいいのか、父よ。

 一華の横顔をぼんやりと眺める。暗い茶色に染めた長い髪の毛をポニーテールにし、すっきりと切れ長の二重まぶたの下には意志の強そうな黒く賢そうな瞳が覗いている。小さめの鼻の穴の下にはしゅっと猫みたいに笑っている唇がお行儀よく落ちていて、シャープな顎のラインをたどれば小ぶりな耳たぶがそこにある。ふくらはぎ同様、小麦色に日焼けした頬にはニキビ跡のひとつもない。陸上部なだけあってほっそりとしなやかな筋肉のついた身体をしている、健康的な美少女だ。

 対して俺は、と自分を見下ろす。不健康にもほどがある、仏壇の前の蝋燭みたいな指や、細い枝のような身体。肌がきれいなことだけが自慢の顔は、どうあがいても並み以上にはなれないし、何より緩くウェーブを描く天然パーマは眉にかかって、その上黒縁の度の強い眼鏡が表情を垣間見ることを邪魔している。一華に、髪を切れと何度言われたか知れない。もう見た目からもろにインドアのひ弱な男である。

 よく、なんで仲いいの、と不思議そうにもやっかみ半分にも聞かれることがあるが、そんなのは俺が知りたいくらいだ。昔からなぜか一華とは、趣味も、好きになるアニメのキャラも、友達の種類も、得意な教科も、嫌いな給食のメニューも、何もかもが合わなかったのに馬が合った。高校が一緒になったのはまったくの偶然だが、それでも同じ通学路ならばとこうして一緒に帰るのは偶然でもなんでもない。

 そうして、健康的な美少女は俺の家のはす向かいに建つ豪邸へと帰ってゆく。今頃あの家の地下室でどんなグロテスクな行為がおこなわれているのか、想像するだけでも身の毛がよだつが、一華はよくもまあ平然とあの門扉をくぐることができるものだ。もう慣れたし、あたしは地下室に近づかないようにしているから、と本人はあっけらかんと笑っていたが。

 自分の家のドアを開けると、ふわりと漂うカレーの匂い。今夜は辛口、と。


「ただいま」

「おかえり。手洗っておいで」


 十七歳になろうとしている息子に手洗いの指示とは、なんたる過保護っぷりであろうか。しかしここで歯向かえばろくなことにならないのはもちろん承知なので、俺はすごすごと洗面所に向かう。何より、手洗いとうがいは大事である。

 洗面所を出て、自室に戻り制服から楽な格好に着替える。スマホのホームボタンを押して何の通知も来ていないことを確認してから、階段を下りて対面式のキッチンの棚にあったポテチの細長い筒を取り、流れるようにリビングのソファに沈み込みテレビをつける。夕方のニュース番組で、芸能人の誰々が自動車事故を起こしたとか、どこそこで不審死があったとか、そういうものを聞き流しながらポテチを貪る。

 一心不乱にひとパッケージまるごと食べ終える勢いで貪っていると、中学生の妹が帰宅する。ただいま、おかえり手洗っておいで、はいはい今日の晩ご飯なに、カレーよ匂いで分からない?

 ニュースが、悪質な税金滞納者の特集になってしまい、チャンネルを変える。週末に都内の大きな公園でおこなわれる催しの特集をしていて、またもチャンネルを変える。どんどん追い詰められて、とうとう民放が手詰まりとなり、仕方がないので最後につけたチャンネルに固定した。リポーターが、なんだか深刻そうに、もやがかかったようなモザイク処理が施された住宅街をカメラ目線で歩いている。なんでも、数年前に行方不明になった少女を今も両親が探しているという特集のようだった。

 遺体でも出てくればある種の諦めはつこうが、事件性があるのかないのかも確かじゃないまま、娘が何年も生きているのか死んでいるのかすら分からない状態にある、というのはつらいものがあるなあ、と他人事感覚で思いながら、いや待てよ、と思い直す。遺体があっても諦めきれずに人体を生成しようとしている大人もいるよな、と。

 カメラは、少女の家の近所にあるという神社を映す。どうやら、特集の趣旨としては、少女についての情報を求めつつ、何か神隠しのような霊的な現象かも……というふうな流れに持ち込みたいようだった。

 あほらしい。神隠しなんかあるわけない。神様などの類はそんな人さらいをしているほど暇ではないに違いない。


「お兄ちゃん、なにアホ面してんの」

「ふみちゃんは辛辣だね……」

「いや、リアルにヤバいくらいアホ面だよ、今」


 リアルにヤバいというのはどれくらい何がどうなのだろう。

 妹は、俺が嫌いないわゆるリア充体質の女の子なのである。親族じゃなかったら絶対関わり合いになっていないタイプの女の子なのである。

 そして一華も、幼馴染で家が近くなかったら、絶対に仲良くなっていないタイプの女の子なのである。

 ふみちゃんが俺の手から、ほとんど残っていないポテチの筒を奪い取り、ぱりぱりと食べ始める。それからふと言う。


「そういえば、いっちゃんのパパってまだ錬金術師やってんの?」


 錬金術師をまるで職業のように表現しているあたりがなんていうか腑に落ちないものの、たしかにおじさんはまだ錬金術師をやっているので頷く。


「なんか、また研究の成果見に来てって言ってた」

「お兄ちゃん、生物部とか入部しちゃうからそうなるんだよ」

「だよな」


 これ見よがしにため息をついた妹は、最後の一枚を口に放り込んでから一息つき、もっと、と続ける。


「もっと、楽しそうな部活に入ればよかったのに」

「たとえば」

「お兄ちゃんとこ、天文部あったよね?」

「ああ……」


 天体を学習するというよりは、主に星を見る部活である。高校生の深夜の外出は基本的によろしくないとされているため、顧問が張り切って保護者役を務めている。

 生物部と並んで静かな文化部に分類されがちだが、正直言ってあそこに集まる生徒たちはいわゆるリア充ばっかりだ。何せ、陽が落ちていない放課後の部活の時間は何をするんだということで、近所のプラネタリウムによく行っている。あんなムード満点のところに行けばまあカップル成立率も高い。


「絶対カエルの解剖するよりプラネタリウム行くほうが楽しいじゃん」

「いや、カエルの解剖してないから」


 おじさんもふみちゃんも勘違いしているようだが、生物部は基本的に強制的に部活に参加することを逃れたい奴らの集まりである。理科的なことは一切と言っていいほどやっていない。

 俺たちは、部室の集まる棟でただただ無為に時間を過ごす、穀潰しのような存在なのである。


「生物部ってのは、絶対部活やりたくないってやつらのための部活なんだよ」

「それ、威張るところ?」


 呆れたような顔で、ポテチのごみをごみ箱に投げ入れながら、テレビのリモコンに手を伸ばす。七時を少し越えたところで、バラエティが始まっているのだ。

 ふみちゃんは、今日はどうしても見たい番組があるらしく、迷うことなくチャンネルを合わせて変えた。ぱっと切り替わった画面では、セットの中でわいわい騒ぐ俳優たちがクイズに答えているところだった。

 いいよな、イケメンはイケメンであるだけで価値があって。と卑屈になりながらソファにより深く沈み込む。

 頬を指で掻くと、この間できた小さなニキビを潰してしまった。


 ◆

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