となりのホムンクルス

宮崎笑子

第1話 父親は錬金術師

 足元に転がった石を自分だと思って蹴り飛ばす。


「青春なんて泥水だよ」


 夕焼けが街の奥のほうに吸い込まれてゆく。俺たちの歩く影は、長く細い。

 高校二年生という時代は何らかのドラマが起こり得るのに最適の時代だ。後輩も先輩も存在し、高校生活の新鮮味も少し薄れ、受験や就職といったものにせっつかれることもないから。漫画で描かれる高校生は、特別何かその学年で描きたいことがある、という信念がある場合以外はだいたい高校二年生だと思っている。ほのぼのとした日常ものなんて特にそうじゃないか。俺はあまり日常ものの漫画を読まないから、ちょっとよく分からないけど。(じゃあ言うな、というツッコミはよしていただきたい)

 そんな花の高校二年生には、そうそうドラマなんか転がっちゃいないのが現状である。だいたいの高校生は、青春という名の泥水をそうとは知らず口にしながらどうにかこうにか日々をやり過ごしている。


「泥水」

「そう、泥水」


 そもそも俺を先輩と呼んでくれる可愛い女子の後輩もいなければ、俺を後輩と可愛がってくれる男子の先輩も存在しないのだ。ストーリーが始まらなさすぎる。


「そんなに青春が嫌い?」


 一華いちかが呆れたふうなため息をついて、ペットボトルの底のほうにほんのわずかに残っていたサイダーを、傾けて飲み干した。口の端からしずくが垂れて顎を伝う。二酸化炭素を含んだ水分は、ぷちん、と弾けて首筋に渡る前に消えた。それをハンカチで拭ってからもう一度、今度は何か思案するような探るような長い息をつく。


「たしかに、泰司たいしはちょっとオタク入ってるし、別にオタクが悪いとか言ってないけどなんていうかさあ、泰司のオタクっぽさってよくないタイプのやつだし、ほらいるじゃん、リア充のことうるさいとか言ってるけどその実リア充たちをよく知ろうともしないで勝手にバリケードつくっといて、向こうが俺たちを見下しているんだ~って言うタイプのオタク」


 幼馴染で、今更なんの遠慮もいらない間柄だと言っても、この情け容赦のないマシンガンのごとく乱射される悪口はいかがなものだろうか。

 春先のたるんだ空気を裂くように、紺色のプリーツスカートから伸びる長い足をさばきながら一華はアスファルトを我が物のように踏みしめている。白い字で止まれと書いてあるその上の横棒を焦げ茶色のローファーが踏みにじり、角を曲がる。


「もうちょっとオブラートに包むとかそういう」

「オブラートか。じゃあ……泰司はもう少し周りを見ようよ」

「全然包んでねえ」


 バスに二、三十分揺られた先にある俺たちが通う高校は、偏差値は少し高めの準進学校ながら、部活動や文化祭などの行事にも力を入れる、いわゆる高校生らしく青春しろよ、と言わんばかりの校風の学校である。家から一番近いし、学力も自分に見合っているし、という妥当な理由で入学した俺は正直なところ、生徒の部活動所属率九十九パーセント、という謳い文句を聞いても残りの一パーセントをのんきに見つめていた。しかしその実態は、部活動に入っていないのは不登校の生徒のみ、という実質百パーセントの所属率だった。つまり強制参加。何が何でも、教師陣は生徒に青春させたいらしかった。

 散々逃げ回っていた俺もついに一年生の夏休み前に根負けし、生物部、というもっとも稼働率の低そうな部活の戸を叩いた。それが失敗だった。


「そういえばさ」


 空になったペットボトルをくるくると振り回しながら、頭の高い位置で結ったポニーテールを揺らし、一華が唇を尖らせる。


「パパが、泰司くんに見せたいものがあるからうちにおいでって言ってた」

「見せたいもの?」

「また、なんかしょうもない研究の成果だよ、どうせ」


 一華の父親は別に何かの研究者であるとかではない。言い方は悪いが、親が遺した不動産やらなんやらを転がし、自分と一華を養ってなお有り余る富で、やりたい放題やって働きもせずに好き勝手暮らしている変わり者だ。

 昔から、ずっと彼女の父親はそうだったので、俺の評価は小さい頃は「変なおじさん」で、今は「変で駄目なおじさん」なんだが、ここ数年はそれに拍車がかかっている。


「何したって、ママが戻ってくるわけでもないのにねえ」

「だよな」


 あっさりとしたその物言いに、だよな、としか言えないでいた。

 五年前、一華は母親を病で亡くしている。当時の一華の落ち込みぶりといったらそれはもう見ているこちらが涙してしまうくらいにひどいものだったが、変人の父親はもっとひどかった。親に連れられて参列した通夜で辺りをはばからず泣きわめき、静かに眠る妻に縋るようにしがみつくのを見て、こどもながらに思ったのだ、「変なおじさん」と。

 もちろん、最愛の妻を不意に喪ったのだから、その反応も仕方ないだろうと今では思う。しかし、当時小学五年生の俺にとって、大人がそういうふうに取り乱すというのはなかなかに衝撃的だった。

 そして、それから時は経ち。俺に、駄目な、という烙印まで押されているその彼が今何をしているかと言うと。


「漫画の読みすぎなんじゃないのかな……」


 ぶつくさ言っている一華に強く頷く。

 一華の父親は、なんと錬金術を使って亡き妻を生成しようとしているのだ。あほらしい。

 誰もが一度は夢を見るだろう、錬金術であらゆる物質を思いのままにつくり上げることを。多くのフィクション作品の題材にもなっている錬金術の究極の成果、それは卑金属から貴金属を精錬すること……ではなく、人体の生成である。ホムンクルス、という単語を聞いたことがあるかもしれない。ネットで検索すればつくり方も出てくる。けっこうえげつない材料が勢揃いしているそのホムンクルスというのが、いわゆる人造人間である。

 文献もいろいろ残されているらしいそのホムンクルスについて、一華の父親はいろいろ考察を交えながらある日思いつく。これをうまく利用すれば、妻を蘇らせることも可能なのでは?

 はっきり言おう、漫画、小説の読みすぎ、アニメの見すぎである。

 俺も一応ホムンクルスについて調べてみたものの、死者を蘇らせるとかそういった技術ではないことは間違いない。無の状態、何もない場所からあらぬ方法で新たな生命体を生み出す、それがホムンクルスだ。どうがんばって解釈しても、死んだ妻は蘇らない。

 しかし、五年前から錬金術に憑りつかれてしまった彼は、今日もせっせと独自の手法を使いホムンクルスの生成に勤しみ、亡き妻の再生に邁進している。

 一華は、家の地下にあやしい研究室兼実験室までつくってしまった父親を嘆きつつ、まあ自分には害はないしいいか、と能天気に構えるしかない。たしかに、下手に干渉されないのは気が楽だが、いい年して漫画の読みすぎで頭がおかしくなってしまった父親なんて、年頃の娘としては複雑な気持ちだろう、胸中お察しする。

 バス停から、家までの短い道のりを並んで歩いている。夕陽が伸ばす影を、一華は踏まないように気をつけながら歩いている。陸上部らしい健康的に日焼けしたふくらはぎがアスファルトを跳ね返す勢いで躍動する。

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