12

「紅音さん、頭真っ白になったことありますか?」

「あるよ、電動歯ブラシで試した時」

「なにやってるんですか、もう」

 ねー君は歯を見せて笑った。いつも思うが、白い歯だ。ちゃんとホワイトニングしているんだろう。

「めっちゃよかった」

「俺、電動ハブラシには負けたくない」

「どうかな、あれ高かったよ」

「そんな顔しながら普通の会話するの、変です」

「じゃあ言葉責めしてよ。久しぶりなのに電動ハブラシの話なんかイヤ」

「誰が言い始めたんですか。それならキスしながらします」

「手抜きだ」

「違う。好きだからキスしたいんです。でもタバコの匂いが嫌ならやめておきます」

「じゃあ、おっぱい。困った時はいつもそうする」

「わかりました」

  何をさせても加減が分かっている。全く、最近の若者ってやつは。だんだん、もどかしくなってくる。

「紅音さん、ほかにリクエストは」

「キスしながらがいい」

「やっぱりキスがいいんじゃないですか。ほら、脚を俺の腰に回して」

「え……」

「こう」

  腕で掴まれ、なんだかカエルみたいな格好にされてしまう。ちょっと可笑しい。

「この方が紅音さんの奥に行ける」

  彼はそう耳元で囁く。やっぱり言うことが童貞っぽくて可愛い。でも声を堪えようとしても、できない。知らない女の声だ。

「紅音さん、まさか、悠さんのこと思い浮かべてませんよね?」

 首を横に振る。

「旦那さんのことも?」

「考えてないって」

「本当に? 俺のことだけ考えて。好き。紅音さん、好き」

  唇を塞がれた。レモンと懐かしいニコチンの味がする。嘘をついてしまった。柔らかい舌が絡みついてくる。目を閉じる。彼の吐息も声も聞き慣れないものなのに、その間考えていたのは、あの人のことだった。


  起きると、ねー君はベランダでこっそりタバコを吸っていた。

「やめるって言ったろ」

  紅音は彼の指から、煙を上げる白いタバコを奪い取った。

「だんだん頻度を下げるほうがリバウンドしないと思うんです」

  彼は紅音の手からタバコを奪い返し、火を消すと携帯灰皿に仕舞った。

「紅音さんの髪に匂いがつくといけないから」

  それから、寝癖がついたままの髪を撫でてくれた。

「もうついてるよ」

「そうですね」

  それから、ねー君は横目で紅音をちらりと見た。

「ちゃんとやめますよ。やめないと、紅音さんは俺を見てくれないみたいだから」

  そして、息を吐き出した。

「でも、やめたらやめたで、俺としてくれなくなる気がします」

  紅音は何も答えなかった。電線の上でかしましくお喋りするスズメたちを見つめていた。飛行機雲が弧を描いていく。

「するよ」

「するだけじゃダメなんですよ」

 彼は柵にもたれかかった。

「しないよりいいけど、それじゃ嫌です」

「私に期待しちゃダメだよ。誰にも期待しちゃダメ」

「知ってます」

  彼は紅音の手を取ると、包み込んだ。その手は少し冷たい。

「相手に期待するのが恋、捧げるのが愛、でしょう?」

「キミ、私を愛してるっていうの?」

「そのつもりです」

  それから、ねー君は吸血鬼みたいに、紅音の唇を強引に奪った。ニコチンの香りしかしない。なのに、身体は熱くなってくる。そして、寂しさは私にまた嘘をつかせる。

「私も、キミを愛したいと思ってる」

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