メンソール

すえもり

1

「ねー君は?」

「タバコ吸いに行った」

「またか。あいつ、二十歳なったばっかじゃん」

「喫煙歴五年らしいよ?」

「はあ? ダメじゃん」

「喫煙所って、知らない人と話ができそうで、なんか憧れる」

  ゆうは半額シールが貼られた弁当を、もそもそと食べながら言った。紅音あかねはその横顔をまじまじと見つめた。

「早死にしたいの?」

「そういうのは置いといての話だよ」

  悠は相変わらず弁当に視線を落としたままだ。知らない人間と交流するより、いま隣にいる女と話がしたいと思えばいいのにと心の中で吐き捨てて、紅音はパンをむさぼり食べた。

「やめとけ」

「まあ、一回友達にもらってやってみたんだけど、不味くてダメだった」

「あたしは試したことないな。二十歳になったお祝いに一本くれた先輩がいたけど、後で捨てた」

「ふうん」

  悠はスマホをいじりながら、興味なさそうに返事する。紅音はコーヒーを流し込んで席を立った。

「じゃあお先」

「おう」

  あいつは惚れた女を追いかけることにしか興味がない。紅音の虚しい努力――休憩時間を一緒に取るために毎日時間をやりくりしていることに気付きもしない。気付いていても、その理由を聞くつもりすらないだろう。

 代わりに、彼女に振られたばかりの矢沢という先輩が、やたらと色目を使ってくる。たぶん、適齢の女が他にいないからだ。面倒なこと、この上ない。

「紅音さん、この商品、どう? 仕入れようか迷ってるんだけど」

  ファーストネームで呼びあうという奇妙な規則が先月から導入されて、矢沢はやたらと名前で呼びたがる。子どもの頃から、あかねさんという音の響きにふさわしい、上品で奥ゆかしい女ではないと思っている。だから、むず痒くて嫌だ。悠なら許せそうなのに、一度もあかねさんとは呼んでくれない。

「いいんじゃないですか」

  気の無い返事をして席に戻ろうとするが、矢沢はどの色がいいと思うかなどと、細かい質問をし始める。引き止めたいだけなのだ。自分が自意識過剰なのだと思いたいが、矢沢は隙間時間ができれば些細な用を作っては話しにくる。ハエを追い払うべく、紅音は冷たく返事することにした。

「ミナさんにも聞いてみてください。センスの塊ですから」

「ミナさん、話しづらいんだよ」

「どこが? そんなことないですよ」

「ほら、なんというかさ、近づくなオーラ出してるじゃん」

「いえ、そんなふうに思ったことはないです」

  さっさと踵を返し、コピー機室にこもる。格闘していると、喫煙所から戻ってきた、ねー君が微かにニコチンの香りをさせながらフラリと現れた。

 彼は寧という女子のような名前で、韓国アイドルのようなスッキリした顔立ちの好青年だ。

「紅音さん、また例の人に絡まれてたんですか?」

「そー。私もタバコ吸えば逃げられるかな? あの人、酒とタバコはしないってアピってたもんな」

「はは、紅音さんには似合いそうですけど、人には薦めないです」

「それよりさ、今日の新情報。喫煙所の出会いに憧れる悠」

「ああ、言いそうっすね」

「やめとけって言っといた。ねー君からも言ってあげて」

  ねー君は紅音をじっと見つめた。

「その話を振られたら、出会いなんかないって言っときます」

「よろしく」

  それから、彼は面白そうに笑う。

「悠さんも鈍いですよね。出会いより、悠さんのせいで一喜一憂する紅音さんをみてる方が楽しいと思います」

「オマエな」

「でも、紅音さんも鈍いですよ? 紅音さんの仕事の邪魔をしてるのが、Yさんだけじゃないって気付いてます?」

 紅音は目だけ彼に一瞬向け、コピー機のほうに戻すと笑った。

「え? あたしの隠れファンを知ってるの? 誰、誰」

「誰でしょう。当ててください」

「分からん。教えてよ」

「それは次回のお楽しみ」

「えー、ケチ。明日の飲み会で吐かせてやる」

  ねー君は笑いながら、紅音が作ったコピーの束を手に取った。

「持って行きますね」

「おっ助かる〜、イケメンだね」

「でしょ?」

  紅音が振り返った時には、扉は閉まっていた。

「何だアイツ。まあいつものことか」

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