第13話 境部 摩理勢 上

 鎌足の話を信じたかどうかはわからないが、田村皇子は、鎌足が証人にならぬということを理解はしたらしい。

 皇子が肩を落として帰っていくのを、鎌足は不思議な気持ちで見送る。 

 蝦夷の推す田村皇子は、このままいけば順当に『天皇』に選ばれるであろう。皇子は、天皇になることが嫌なのではない。

 ただ、天皇の言葉がいとも簡単に曲げられるのを目の当たりにして、自身の言葉も簡単に曲げられていく可能性をひしひしと感じているのだ。

 自分の言葉が曲げられて、結局は蝦夷の都合の良い意見に変えられるーーそんな危惧を抱いているからこそ、『真実の言葉』を第三者である鎌足に証言してほしかったのであろう。

 その気持ちはひしひしとわかるものの、現実に鎌足は推古天皇の言葉を聞いてはいないし、正直に言えば、『あの場所にいた』ことを出来るだけ知られたくはない。

 山背大兄王は、皇族であるから、蘇我氏といえども簡単に手を出す事はないだろうが、伝統ある連家とはいえ、力のない中臣家の鎌足では、簡単に捕らえられ、玉を奪われるだろう。

 とはいえ、山背大兄王のもとに『玉』がないとわかったら、蝦夷は手のひらを返し、山背大兄王の支持に走るとも思えない。もともと、山背大兄王は馬子の弟である境部 摩理勢さかいべ の まりせと親しい。蘇我家の頂点は蝦夷とはいえ、摩理勢と蝦夷の仲は、あまり良いとは言えない。山背大兄王が天皇になれば、大臣とはいえ、蝦夷の発言力が弱くなっていく可能性が高い。

「なんだかなあ」

 鎌足はため息をつく。

 あくまで推論に過ぎないが、これはどう考えても、蘇我家の内部抗争である。そして、この渾沌とした状況が続くということは、蝦夷はそれほどの力を持っていない証明とも言えよう。

「これは、さらに荒れるかもしれないな」

 真実の言葉を曲げられたのであれば、田村皇子だけでなく、山背大兄王への言葉も曲げられている可能性が高い。

 山背大兄王は、若く、真っすぐだ。田村皇子より不満に思うに違いない。

「蘇我氏の問題に関わりたくはないけれど……」

 鎌足は首にかけた玉を手に取って見つめる。

 厩戸皇子は玉を集めよと、鎌足に告げた。

 今、わかっている玉は、鎌足と田村皇子が持っている。馬子の玉は誰が持っているのだろう。

 蝦夷の発言が蘇我氏の中で圧倒的なものになっていないというのであれば、蝦夷以外の誰かが、持っているのかもしれない。

ーー境部 摩理勢さかいべ の まりせというひとに、会ってみるべきなのかもしれない。

 鎌足は玉を握り締め、大きくため息をついた。



 翌日。

 鎌足は、父に頼んで、殯の宮での仕事を一日休むことにした。

 殯は神祇官の大事な務めではあるものの、心身の疲労が大きい。

 実際、神祇官であっても、数日に一度は休みを取り、英気を養っている。

「いい天気だ」

 鎌足は馬上で大きく伸びをした。

 空は青くよく晴れている。遠乗りに行くにはもってこいの日である。

 父には遠乗りを楽しむとだけ伝えたが、摩理勢の住む境部に行ってみようかと思っている。さすがに、正直に摩理勢に会いに行く言えば、反対されたであろう。

 摩理勢に近づくことは、蝦夷の機嫌を損なう危険もある。

 父、御食子としてはそれは絶対に避けたいであろう。

 だが、玉を厩戸皇子から授かった鎌足としては、単なる蘇我家の内紛として放置しておくのも無責任な気がするのだ。

 蝦夷が山背大兄王を嫌う理由が鎌足の持つ玉だと仮定するなら、蝦夷は神功五玉を継承していない確率が高い。で、あれば、対立姿勢を見せている摩理勢が持っている可能性がある。そして、五玉を継承しているのであれば、大臣の座を継承して正式に後継者となったの蝦夷が、摩理勢を無視できない理由も納得ができるというものだ。

 とはいえ。鎌足は未だ神祇見習いに過ぎない。会いたいと言って会えるものではないだろうとは思う。

「鎌足さま、いったいどちらまでお出でになるおつもりで?」

 馬を並べて走りながら、護衛の辰が問いかける。

「もう少し先まで」

 鎌足は言葉を濁す。屋敷に行ったところで、あてがあるわけでもない。山背大兄王を推す摩理勢としては味方が欲しいであろうが、中臣家が山背大兄王につくはずがないことくらい誰もが承知のことだ。

 それに中臣家がどちらにつこうとも、体勢を変えるほどの力はない。中臣家は名家で古の連家には違いないが、吹けば飛ぶほどの弱小豪族なのだから。

 山の木々は青々としている。陽が高くなるにつれて、汗ばんできた。

 やがて、川のせせらぎが聞こえてきた。

 田園風景が広がる。その中にひときわ目立つ建物があった。摩理勢の屋敷だ。

「鎌足さま」

 向かう先に不安を感じたのであろう。辰が声を掛けてきた。

「行くだけ行ってみるか」

 鎌足は、大きく息をついて、馬を屋敷へと向ける。

「鎌足さま、さすがにいけません」

 辰が抗議の声を上げる。

「摩理勢さまは、馬子さまのご兄弟。気性の激しいお方と伺っております。今の時期に、中臣の人間が会いに行けば、何をされるかわかりません」

「辰の言うこともわかる。だが中臣家に力がないことくらい摩理勢さまはご存知だと思う」

 鎌足は苦く笑った。

「つまり私を殺しても益はない。馬子さまの弟ぎみであれば、そのような無駄なことはなさらないと思う」

「しかし!」

「とりあえず、会ってみたいだけだ。会っていただけなければ、すぐにあきらめるから」

 鎌足は、摩理勢の屋敷の前で馬を下りる。

 そしてそのまま、摩理勢に面会を申し入れた。

 





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