第14話 境部 摩理勢 下

 断られることを覚悟していた鎌足であるが、意外にも面会を許されることになった。

 馬子とは違うけれど、蘇我氏の有力者の一人には違いない。鎌足は、広い板の間に案内されながら、身体がこわばるのを意識した。

 魔理勢まりせの館は、天皇の館ほどではないが、やはり中臣の家とは違い立派である。

ーー馬子さま?

 部屋に入ってきた魔理勢まりせの姿を見て、鎌足は思わず呟く。兄弟だから当然ともいえるが、その姿は亡くなった馬子に酷似していた。

 ただ、馬子よりやや柔和な顔をしている。もっとも身体は馬子以上に大きく、鍛え上げられているようだ。

 鎌足は、馬子とは違う、強い命の輝きを魔理勢に感じた。ただ、神功五玉の気配はなく、玉の継承者ではないのかもしれない。

「中臣の子が、儂に何の用だね」

 魔理勢の目に好奇のいろが見える。

 中臣家は日本古来の神を祀る一族だ。そのこともあって、蘇我氏の意向に関係なく、田村皇子を次期天皇に推している。仏法を尊び、また、仏教を奉じている山背大兄王を推す魔理勢とは、どうあっても相いれない。そんな中臣家の子供が、何の用なのかと、興味を持ったのだろう。

「このようなことをお伺いしてよいものか、わかりませんが、一つ、教えていただきたいのです」

 鎌足は、床に額が付くほど頭を下げた。

「許す。申せ」

 魔理勢は、鎌足に話をするように促した。

蝦夷えみしさまが田村皇子さまを推すのは、どういうことなのでしょうか?」

「なんだと?」

 魔理勢は目を丸くした。

「中臣の家は田村皇子を推しておるのであろう? なぜそのようなことを知りたいのだ?」

 中臣家としては、大きな実権を持っている蝦夷が田村皇子を推すことは歓迎すべきことだ。疑念を持ったりすることは、不思議に見えるのだろう。

「私は両殿下にお会いしたことがあります。家のこととは関係ない意見を申し上げれば、両殿下、どちらが天皇となられても不思議はないと思うております」

 鎌足は、魔理勢の目を見ながら説明をする。

「ですから、純粋な興味で、なぜ血縁関係の強い山背大兄王さまを蝦夷さまが推さぬのか。そこにどんな謎があるのか、知りたいのです」

「知ってどうする?」

 魔理勢が問いかける。声音は普通であるが、鎌足はぞくりとする威圧感を感じた。

「身内に厳しい方は、他人にはもっと厳しいものです。そのような方がたまたま、私どもと意見を同じにされている。これは、心強いと同時に、恐ろしいことです」

 鎌足は静かに首を振る。

 田村皇子は、厩戸皇子の影だという。

 鎌足自身は、神功五玉を山背大兄王が継承したと蝦夷が考えて恐れているのではないかと思っているが、確信はない。

 そして、ひょっとして魔理勢が馬子の玉を継承しているのではないかと思っていたが、ここにはあの玉の気配は感じられない。それに、もし魔理勢がこの世のものではないものを見る力があるなら、鎌足の玉に気づくであろう。

「蝦夷は、兄、馬子を恨んでおる」

 魔理勢は苦く笑った。

「恨む?」

 信じられない言葉に、思わず鎌足は言葉を返した。

「兄は、表向きのものは全て、蝦夷に譲った。だが、蝦夷の一番欲しかったものは、譲らなかったらしい」

 それは、あの黒い玉のことだろうか?

「それが何なのか、また誰に譲ったのかは、儂は知らぬ」

 魔理勢は肩をすくめた。

「兄は、誰よりも親族を大事にした。兄ならば、山背大兄王さまを間違いなく推した」

「まさか、それで田村皇子さまに?」

「それだけではないだろう。あえて身内を推さぬことで、誰が自分の意に反するかを探っているのだ」

 ふっと魔理勢は息をついた。

「兄に譲られた何かを持つ人間は、必ず自分に反するだろうと思っている」

「まさか、そんな……」

 いずこかにあるはずの神功五玉を得るために、あぶり出しをかけているというのだろうか。もしそうなら、蘇我家の頂点に立つ、それでは足らぬということだ。

 鎌足は、天皇の言葉が曲げられてしまったと嘆いた田村皇子のことを思い出した。ことによっては、言葉を曲げるだけの問題ではないかもしれない。

「それに、山背大兄王さまは、まっすぐなご気性で、蝦夷の機嫌を忖度などできない方だ。それもあるだろう」

「それは……そうかもしれませんね」

 山背大兄王は若く、理想も志も高かった。そして、本人も蝦夷と考え方が合わぬと言っていた。もし、山背大兄王が天皇に即位しても、蝦夷とうまくいきそうもない。

「つまり、恐れ多くも申し上げるならば、蝦夷さまは、田村皇子さまのほうが御しやすいとお考えなのですね」

 真っすぐにそう話す鎌足を見て、魔理勢はにやりと笑った。

「随分と、率直なことを言うやつだな」

「もちろん、私は田村皇子さまが御しやすい方だなどと思っているわけではございません。田村皇子さまも、聡明な天皇になる器量をお持ちだと思うております」

「ふむ。そこは、中臣の人間として譲れぬのだな。聡い少年だ」

 魔理勢は面白そうに鎌足を見つめる。

「そなたが神祇官でなければ、山背大兄王さまの側近にしたいところよ」

「……恐れ多いお言葉です」

 鎌足は恐縮する。

 魔理勢は馬子と似ているけれど、馬子より、真っすぐな目をしていると鎌足は思った。

「もう一つ、お尋ねしてもよろしいでしょうか?」

 当初の目的とは違う疑念を鎌足は感じて、口を開く。

「なんじゃ」

「魔理勢さまは、なぜに山背大兄王さまを推されるのですか?」

 蘇我氏の長は蝦夷である。馬子の全てを受け継いだのでないにせよ、蝦夷に異を唱えるのは、得策ではない。

「むろん、山背大兄王さまは蘇我氏に近いお方。ご器量も問題なく、推挙なされる理由がわからないわけではありません。ですが、その」

「なにゆえに、蝦夷に逆らうのか、と、問うのか?」

「……はい」

 魔理勢は、口の端を少しだけ吊り上げた。

「儂は厩戸皇子に恩がある。そして、蝦夷が嫌いじゃ」

「そのようなことをおっしゃって、大丈夫なのですか?」

 鎌足は思わず辺りを見回す。

「大丈夫じゃ。もはや、この程度の悪口を言っても言わなくとも、儂と蝦夷の仲は修復せん」

「魔理勢さま。どうか、軽はずみなことはなさいませんように」

「ほう。さすが中臣の子じゃ。蝦夷に迎合して、田村皇子を推せと説得するのか?」

 にやりと魔理勢は笑った。

「そのようなことは」

 鎌足は慌てて首を振る。

「聡い少年よ。そんな器用なことができるなら、とうにしておる」

 遠いどこかを見るように、魔理勢は顔をそむけた。

 鎌足は、それ以上、何も言うことができなかった。

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