第3話 蘇我馬子 下

 鎌足はわあわあと泣きながら走り回る。大袈裟にわめき、本気で逃れようとした。

 もっとも相手は、訓練を受けた男たちである。すぐに取り囲まれ、鎌足は馬子と思しき人物の前に引き出された。

「やめて、なんにもしてないよぉ」

 鎌足はぐすぐすと、泣きじゃくる。逃げ回ったせいで、衣服は泥だらけだ。

「ふむ。かなり小汚いが、着衣は上等じゃのう」

 男の声は面白がっているようであった。明らかに、鎌足に興味を持っている。

「見たところ、どこぞの豪族の子息であろう? こんなところで何をしている?」

「なんにもしてないよ。ケガして馬から降りたら、馬が逃げちゃって、追っかけてたら、こんなところに出ただけだよぉ」

 しゃくりあげるふりをしながら、鎌足は言い訳する。

 男の眼光は鋭い。背筋が凍りそうだ。

「一人でか?」

 鎌足は首を振った。

「ついて来た護衛は、馬を追いかけて行っちゃって、帰ってこないの」

「ほほう」

 ニヤリと、男は笑った。信じたのか、それとも、嘘と見抜かれたのか。鎌足は思わず、ぶるりと震える。

 泣いているのは演技だが、震えは本物だ。

 笑っていても、否、笑っているからこそ、この男は怖いーー本能的にそう感じている。

「先程、強い力を感じたのだが、お主か?」

 鎌足は答えない。どうしたらいいのか、どう答えたらいいのか。必死で考え続けるが、答えが見つからないのだ。この男にハッタリは通じそうもない。が、正直に言うことも出来ない。この男が、予想通り、蘇我の大臣であるなら、玉があることを悟られてはいけない。厩戸皇子に言われたからだけでなく、鎌足自身の直観でもあった。

「大臣、これはただの子供のようです。ほかを探しましょうか」

 子供相手に詰問する様子に、見かねたのだろう。従者の一人が口を挟む。

「そうさな。お前には、ただの子供に見えような」

 男の言葉に、鎌足の身体がこわばる。

 どういう意味なのだろう。玉は、ここにはない。ならば鎌足は、ただの子供だ。それ以外のなんだというのだ。

「これを見よ」

 男は、首飾りを外し、鎌足に見せた。ふたつの玉がついている。ひとつは翡翠だろうか。美しい深緑をしている玉だ。鎌足には価値は、はっきりとわからないが、珍しいものに違いない。だが、目を引いたのは、もうひとつの黒い玉だ。なめらかで、艶やかな表面。素材はわからない。わずかに光っている。

 鎌足は思わず、目を見開き、黒い玉をみつめる。強い力を感じた。肌が粟立つほどの恐怖を感じながらも、目が離せない。

「何が見える?」

 男に問われ、鎌足は我に返った。泣いているふりを今さらしても無駄だ。自分が、何を見ていたのか、目の前の男は見抜いている。

「力が見える」

 素直に答えた。

「このような玉を見た事があるであろう?」

「知らない」

 鎌足はごくりと唾を飲み込む。どくん、と胸が音を立てた。

「ほう。知らぬ、というのか」

 男は顎髭をなでる。鎌足は震える足を手でつねりながら、必死で男の目を見返す。

「ふむ」

 男は鎌足の顔を覗き込む。

「嘘を言うても、ためにならんぞ」

「そんな黒い玉は見たことがない」

 鎌足ははっきりと言い返す。嘘を言うと見抜かれる。だから、嘘をつかなければいい。鎌足の知っている玉は、乳白色の玉だ。黒い玉は見たことがないのだから。

「なるほど。そうかもしれんな」

 満足げに、男は頷いた。

「それはその通りじゃ。このような黒い玉は、他にはないのだからな」

 鎌足は何も言わず、じっと男を見る。

 どうやってもかないそうもない相手だが、簡単に負けるわけにはいかない。

「良い度胸じゃの」

 男は声をたてて笑った。

「儂を蘇我馬子だとわからぬわけでもあるまいに、少しも臆することがない。お主、名をなんと申す?」

「……鎌足」

「ほほう」

 男、蘇我馬子は、口の端をあげた。

「鎌か。お主に相応しい名じゃ。使いようによっては武器ともなる。いわば、秘めた刃を持つ少年だ。面白い」

 ちょうどその時。馬子の従者が何かを耳打ちした。

 ふむ、馬子が頷いた。

「なるほど。連れて参れ」

 何人かの男たちが引っ立ててきたのは、馬を連れた辰だった。

「鎌足さまっ」

 辰は、馬子の前に引き出されている鎌足の姿を見つけて、青ざめている。

「そなた、この少年の護衛か?」

 馬子に問われ、辰は大きく頷いた。

「ああ、馬、見つかったんだ」

 何かを問われる前に、鎌足は大きな声をあげた。

 迷子の鎌足を捜しに来たハズの辰には、これで伝わるはずだ。

「いったい何があった? 護衛ならば、こんな子供をこのような場所に、一人にしてはならんだろう?」

 ちろり、と馬子が鎌足に目をやってから、辰にたずねる。

「申し訳ございません。その……馬が逃げまして。捕まえている間に、鎌足さまのお姿が見えなくなりましたので、随分と捜しておりました」

 辰は、平伏しながら答えた。

「なるほど。そのあたりも、計算しておったか。では、アレも既にここにはないというわけだ」

 感心したように馬子が呟く。

「考えたのは……ふむ。お主の方だな」

 馬子は手をのばし、鎌足の顎に手を当て、上を向かせた。

 鎌足は逃げ出したい気持ちをこらえ、そのままにらみ返す。

 すると、馬子は急に大声で笑いだした。

「面白い。面白いの」

 馬子は立ち上がった。

「実に、愉快であった。そろそろ参ろう」

 何が面白いのか、鎌足には全く分からないが、馬子は上機嫌で再び手綱を手にして、馬に飛び乗った。周りの男たちもそれに倣う。

「鎌足」

 馬上から、馬子が声を掛ける。

「お主、我が蘇我家に仕える気はないか?」

 唐突な言葉に、鎌足はどのように返事をすべきかわからず、目を丸くした。

「お主なら、玉があろうがなかろうが、歓迎じゃ。良き目を持ち、幼くとも頭の回転も良い。しかも、度胸もある。儂はお主のような人間が好きじゃ」

 馬子は豪快に笑った。鎌足は、黙して礼をする。

「敵に回るな。儂は、敵に対しては、寛容ではない。覚えておけ。息災でな」

 それだけ告げると、馬子は馬を走らせた。



 馬子達が立ち去るのを見送って。

 鎌足は、大きく力が抜けて、地面に座りこんだ。

「怖かった……」

「……で、ございましょうな」

 辰が苦い顔で頷く。

「こちらも、気が気ではありませんでした」

 戻ってきたところを兵に取り囲まれ、しかも鎌足は馬子の前で尋問されていたのである。辰としても、肝が冷えたのであろう。

 鎌足は地面に座ったまま、水筒の水を口にし、一息をつく。

「鎌足さま」

 辰は肩をすくめた。

「このようなこと、二度と御免でございます」

「そうだな」

 鎌足も心底そう思う。

「それにしても、随分と、蘇我の大臣に気に入られておりましたなあ」

「あの人は、怖い」

 鎌足は立ち去った方角をもう一度見つめた。

「強くて、怖い。だけど、それでも目が離せない。厩戸皇子とは全然違うけど」

 そして、あの黒い玉は間違いなく、神功五玉に違いない。

「集めよ、と言われたけど、あのひとからどうやって……」

 厩戸皇子から託された仕事は、思った以上に難しいと鎌足は悟る。

 川を渡り、既にみえなくなった騎馬の方を見ながら、鎌足は思わず空を仰ぐのだった。






 






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