第6話盗賊

「美幸さん、この御膳を富士の間に運んで頂戴」


「はい、若女将」


 美幸は忙しく立ち働いていた。

 料理人として有明楼に入った美幸だが、忙しい時には仲居の仕事もしていた。

 何と言ってもお先手組同心の娘として、厳しく行儀作法を仕込まれている。

 客がうるさ型の武士であっても如才無くあしらうことができるし、そもそも怒らせる事もない。


 それに万が一の事があれば、火付け盗賊改め方の名前をだす事もできる。

 有明楼としても、当初思っていた以上に役にたっていた。

 そんな事もあって、普通なら下働き見習として始めなければいけない料理人修行を、中見習いから始められた。


 もっともそんな事が可能なのは、美幸に料理の基礎ができていたからだ。

 嫁入り修行をしていたので、ひと通りの料理はすでに作れるのだ。

 武家の体面として下女を雇っているとはいえ、同心程度の家では、奥方といえども自分で料理くらい作れないといけない。

 それに、そもそも同じ武家に嫁げるかも分からないのだ。


「それで今度のおつとめなんだが……」


 美幸の耳に思いもかけない言葉が届いた。

 おつとめのひと言が、仕事ではなく盗みだと直感したのは、美幸の才能だっのか、それとも女故の鋭さだったのか。

 確かな事は分からないが、それが事件のきっかけであったことは間違いない。


 だがその後の言葉が届かなかった。

 相手は高級料亭有明楼に来るような盗賊である。

 それなりに名の知れた大盗賊であろう。

 偶然通りかかった美幸の気配に気がついて、会話を中断するのは当然の事だ。


 ここで美幸が残って探ろうとしていたら、この場で殺されていた事だろう。

 武家の娘として最低限の護身術は学んでいる美幸だが、人殺しになれた凶盗に勝てるような腕ではない。

 だがその事は美幸自身がよく分かっていた。

 おつとめの言葉を聞いて一瞬歩みを緩めた美幸だが、直ぐに元の速さで廊下を歩き台所に向かった。


「源松さん、急いでこれを火付け盗賊改め方に届けて。

 場所はわかる?」


「はい大丈夫です。

 任せてください」


 美幸は丁稚の中でも年かさで、機転の利く源松に使いを頼んだ。

 懐中筆を使って懐紙に事の次第を書いて源松に渡したのだ。

 台所にいた者は、最初何事が起ったのかと見聞きしていたが、美幸が火付け盗賊改め方の名前を出したとたん、露骨に聞こえないふりをした。

 それは若女将も一緒だった。

 誰だって火付け盗賊改め方の御用には関わり合いになりたくないのだ。


「若女将、草月の間は私に任せていただけますか」


「ああ、全部任せるから好きにしておくれ」

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