第12話

 年末も近付いた頃に、組織ではお馴染みになっている身体測定を受けた。ただ今回は目の項目が入っていて、俺がスナイパーとして正式に認定された印のようにも思えてそれはちょっと嬉しかった。まだ成長期の身体は背も伸びて、この調子ならモンキーも見下ろせるな! とドッグに太鼓判をもらうほどだった。アメリカ人にしてはドッグは小柄な方だと思うけれど、アメリカ人だってノッポばっかりじゃないんだぜ、と言われた。そうなのか。でも百五十七センチはやっぱり小柄だと思う。

 最初は見降ろされていたのになあ。と思うとあの時舐められた頬がちょっと火照る。あれから二年。もう少しで三年だ。政府機関から離れても『シープ機関』は変わらず機能している。バードもたまに傭兵たちを貸せと言って来るし、その傭兵たちは資金調達の重要な要である。規模の小さい仕事は俺たちに回されることも多く、体力作りは欠かせなかった。

「お、っと、そろそろクリスマスだな」

 ドッグが日付感覚を忘れないようにかけているカレンダーに書き込みながらそんなことを言う。いつもならラット牧場で七面鳥の丸焼き食べたりするけれど、今年は日本に近づくこと自体どうなるやらだ。ボジョレー・ヌーヴォーの解禁時は意地で行ったけど、そして俺は未成年と言うことで飲ませてもらえなかったけれど、今年はどうなるんだろう。大体未成年って。何を基準に。俺だって俺の歳の正確な所なんて知らないっていうのに。

「今年は何入れよっかなープレゼント交換。やっぱり赤飯の缶詰かな」

「当たった人が泣いちゃうからやめてやって……って言うか、今年も日本に行くの?」

「うんにゃ、日本がやってくるの」

「日本がやってくる……?」

「ついでにドイツもタジキスタンもアメリカもやってくる。あと久々に宇宙からもやって来るな」

「はあ」

「なんだよーもっとわくわくした顔しろよなー! 面白味がねーって言われたらお前も傷つくぞ、ったく」

 適度に訳が分からないから驚くこともできないだけなのだが。

 胸からぶら下げた0.1カラットのコーンフラワーブルーの小さなサファイアは、俺が小遣い――と言う名の給料――をためて買った唯一のものだ。それ以外は差し出せないから、俺も何かプレゼント交換に出せるものを作っておこう。去年は柔らかく煮込んだ牛すね肉の冷凍パックだったから、カレーに一振りで本格の味になるスパイスセットとかで良いかな。辛いの苦手な人は――あ、モンキー甘口派だった。意外にも。まあ良いだろう。ピンポイントで当たるわけじゃあるまいし。

 ラット牧場に行けないのはちょっと残念だけれど、そう頻繁に出入りして変なウィルス持ち込めもしないから、丁度良いぐらいだろう。と、自室の机の上で落ちてたモンキーをとりあえず肩に担いでベッドに横たわらせる。そう言えば去年はドッグがいたずらに仕込んだ胡椒入りびっくり箱でくしゃみ止まらなくしてたな、この人。籤運悪いのだろうか、機動課解体と良い。

 壁の地図を見ると回天の場所がわかる。どうやら日付変更線を跨ごうとしているようだ。と言うことはそろそろ今日がまた始まる頃だろうか。が、そこで一時停止した回天は、潜行を続ける。はて。ここが何かの合流ポイントなのだろうか、俺は聞いていないが。ぺちぺち、と無精ひげが生えたモンキーの顔を叩いていて見ると、うーんと唸って嫌がられた。女の子なら可愛くもあるだろうがおっさんじゃなあ。メガネは取り敢えず外してやって、それもフケで汚れていたからクロスで拭いてやる。俺、この二人の下で育てられたにしては良い子に育ってると思う。自画自賛ながら。

 イリアス直結のデジタル時計は自動訂正されて、今日は十二月二十四日だ。クリスマスなんて言葉にあまり縁のない前半生を送ってきた俺には、いまだにこの行事がよく解らない。なんでターキーを焼くのかとか、なんでプレゼント交換が義務付けられているのかとか、まったく。誰も教えてくれなかったし、俺もいらない知識だと切り捨てて来たからだろう。由来だけは知っている。キリストが生まれた日だ、確か。だがアラブ圏に売られることも想定されていた俺たちには宗教情報と言うのはまるで持たされていないから、それだけだ。ムハンマドの肖像がないのは偶像崇拝を禁止してるから、とか、基本中の基本しか教えられたことがない。

 ぐおん、と艦が揺れて、ちょっと驚いた心地になる。やっと目を覚ましたらしいモンキーが、ふわぁ、とあくびを鳴らして見せた。それから時計を確認。ん、よし、と呟いて、ニヤッと笑いかけられる。潜水艦が急浮上していく。ちょっと耳が痛い。モンキーは両耳に指を突っ込んでいた。何が起こってるのか聞いても無駄だろう。ドッグのところに行こう、とてけてけ歩いていくと、丁度上につながる梯子のところでかち合った。それからこちらにも、にやーっとした笑いを向けられる。なんなんだ、一体。

 艦の上昇が収まると、海面に出たようで、静かになった。するとモンキーが何やら小箱を持っておっとり刀でやって来る。そう言えばドッグも小さな箱を持っていた。なんなんだろうと思っていると、イリアスが二重構造になっているハッチを順番に空けるのがわかる。出ろ、と言うことだろうか。

「お前は一番最後な」

 とすっとドッグに胸を叩かれて、はあ、と俺はまた気のない返事をする。いったい何なんだ。

 梯子はいつもと違って上に伸びているようだった。しかも相当上だ。艦とドッキングしている何か――船だろうか。船舶も所有していると聞いたことがある。オランダなんかの水路の多い街ではその方が楽なのだそうだ。でもどう考えてもボートハウス、って感じじゃない。どっちかって言うと豪華客船めいた――モンキーが上がっていく。きちんと上まで行ったのを確認してから、俺は梯子を上り始めた。かつん、かつんと音が鳴るたび上で何か密やかに囁かれているのが分かる。延長感覚に頼ろうかとも思ったが、そんなに長い距離でもない。


 と、最後の段に腰かけると、そこに居並んでいたのは――ラットに見せてもらった、旧機動課のメンバーと。

 その中央に、予期しない目がある。

 コーンフラワーブルーの、真っ青な目。

 アンネ・コルンブルーメ・フォン・フォーグラー。

 およそここにはいないはずの――彼女が。

 確かにそこに、立っていた。


「キャット……!」


 ぽかんっとしてしまった俺は慌てて船の上に乗る。

 彼女が抱き着いて来たのはその直後だった。

 危なかった。ハナ、じゃなくて、アンネは感情が高ぶりやすく作られているんだった。もちろん、その為に。


「最後の手紙でひどいことを書いてしまったみたいじゃない、キャット。ふさぎ込んでいるってフォーグラー卿に泣きつかれての茶番劇だけど、上手く行ったようでよかったわ。もう会えないかもとか、そんな手紙で告白とか、恋する乙女には残酷なことこの上なくってよ?」

「って検閲やっぱり続いてたんじゃないですか」

「フォーグラー嬢に読ませて頂いただけよ。だからこんな茶番なんじゃない。この船はフォーグラー卿からの借り物、まあ誕生日プレゼントってところかしら」

「誕生日? 誰の?」

 まさかキリストじゃあるまい。

「あなたのよ、キャット」

 俺はまたぽかんっとする。

「網膜に製造年月日が書いてあるのは知っていたからね、それで今日があなたの誕生日だと知った。結構掛かったのよこの投資。身体で返してもらうけれど、勿論。二十歳の誕生日おめでとう、キャット」

「シープちゃん言ってることがえぐいえぐい。ま、と言うわけでこれが俺たちからお前への誕生日プレゼントだ。びっくりしたか? ドッキリ成功か?」

「驚きました……今回の身体測定で目を見てたのはこのためだったんですね。でもアンネ、どうして。君はもう俺と関わらない方が良いのに」

「好きな人と関われないことの良さなんて分からないよ! せっかく会えたのよ、手紙だって何度も何度も交し合って、あなたいつも私の事心配してくれたのに私はそれに応えることも出来ないばっかりで……! 私はキャットが好き。愛してる。愛してる!」

「俺は――」

 そっと抱きしめていた彼女の身体から手を放す。

「キャット?」

 胸元のチェーンを首の後ろで外し、向きを変えて彼女の首にそれを掛けた。

 0.1カラットの、コーンフラワーブルーのサファイアのペンダント。

 確保だけはしていた石。

 手紙が何も嘘じゃなかったと、伝えるにはそれしか思い付かなかった。

 ぱちぱちぱちぱち、どこからともなく拍手が響く。

 俺は赤くなって、彼女も赤くなって、まるでルビーのようだと思った。



「酔えば酔うほど~あははっ」

「だから紹興酒は持ち込むなと! 後で吐いても知らんぞ、まったく」

「ラビットさん、ドラゴンさん、お久しぶりです。って、ラビットさんお酒飲めたんですか?」

「三半規管がぐちゃぐちゃになるから普段は飲まないけど、今日は特別ね! 二人の再会を祝して乾杯あるね!」

「法律でクリスマスが禁止されている国の出身なんだ、すまんが許してやってくれ……」

「え、中国ってそうなんですか? 知らなかった……」

「ドラゴンー、ちゃんと私を支えるねー、倒れちゃったら大変ねー」

「はいはい、まったく」

「ま、そういう関係の二人なのよ。察してあげて、キャット」

「察するまでもないですが、異色ですね」



「ボアさんその子は……娘さんですか?」

「えいっ」

「いだっ」

「私は娘さんじゃなくお嫁さんのイオンですっ! もー、みんな子供扱いするー!」

「ボアさん……」

「籍入れるのは二十歳まで待ったんだ、これでも」

「確かこの前三年目って言ってましたよね。ってことは俺より年上!?」

「です、年上は敬いなさいっ。これでもボアが戦場行ってる時は家を切り盛りしてる、立派な主婦なんですからね!」

「立派じゃない主婦とは」

「ドッグみたいなのかな……」



「おい私のどこが立派じゃねーんだ、ああ? こきたねえおっさんと寝食共にして戦場にも出張る私のどこが立派じゃねーっつーんだ」

「そりゃお前、プレゼントボックスから赤飯とたくあんの缶詰出て来たら疑われても当然だろ……くっくっくっ。まあ主婦としては立派じゃないかもしれないが、兵士としては立派だ思うぜえ?」

「今回は入れてねーよシツレーだな」

「じゃ何入れたの」

「ワルサーPPK。ジェームス・ボンドと同じ型」

「あの、私に回ってきたこれ……ですか?」

「アンネは銃なんか持っちゃ駄目ッ!」

「武器を身に着けて扱えるというのは恐怖に対しての良いアドバンテージになる。銃一丁ぐらい持たせとけよ」

「……ほんっと母親としても立派だよ、ドッグは。ちなみにモンキーは反面教師の父親かな」

「だから私たちをニコイチで扱うんじゃねーよキャット! またキティに戻りてえのか!?」

「ドッグの仕業だったのか……てっきりモンキーかと」

「あっやべっ」

「あれを外すのに一年待った俺を褒めて、お母さん」

「こえー目で話すのやめろ! って言うかお前酒飲んだな!? アメリカじゃ州によっちゃ満二十一歳まで飲んじゃいけねーとこもあんだぞ、逮捕だ逮捕!」

「ここ公海じゃないか。州法なんて知ったことじゃない」

「きゃ、キャット、落ち着いて、ね?」

「んーアンネー」

「きゃっ! ふふ、本当に猫みたい」



「で? あなたたちやることはやったの?」

「へ? やること……って?」

「決まってるじゃないのセックスよセックス。童貞処女だとは思ってるけどあなたたちだって『ナンバーズ』なんだからそういう欲求は人より高いはずでしょ? したの? してないの? どうなの、応えなさいなキャット」

「シープちゃん何飲んで……ってバランの原酒!? ふ、二人とも離れて、俺がセクハラされてるうちにっ!」

「あなたなんてセクハラしすぎて飽きているのよホース。爪が痛い。いつまでもへたくそ。でも舌使いは好きよ」

「し、舌ってシープちゃん、んー!」

「あはは、おっぱじめやがったぞシープとホース!」

「あの酒癖だけは変わらんな……お前の大酒飲みっぷりもだが、タイガー」

「お前みたいにちびちびブランデー舐めてるより、一気に飲んだ方が気持ちいいからな! しかし流石はフォーグラー卿の船、ビールに余念がなくて良いねえ! お前も少しは一気に飲んでみたらどうだ、スネーク」

「俺は酒との付き合い方は弁えてる方なんでね……」



「ら、ラットとカウは子供たちも連れて来てるみたいだけど、牛たちは大丈夫なの? 放っておいたら大変じゃない?」

「そんなこと言ってたら家族旅行も楽しめないよーあははー! 農協が賃貸でAWD出してくれるからそれ任せ!」

「うちの牧場の規模なら十体もいればカバー出来る。普段子供たちとやっていることだからな」

「それに産気付くまでコンバインに乗ってるのもしんどいしねえ。っと、蹴った」

「!? ラット妊娠してるの!?」

「そう、八人目ー。もしかしたら九人かもしんないってお医者様に言われてるの、だから今日はぶどうジュースなのさっ。本当はカレーとか刺激物めっちゃ食べたいけどね!」

「よく体力が持つな……」

「本当に鼠算だからな……」

「仕込んでるカウに言われたくないよ」

「仕込んッ」

「やめろ、公共の場でそういう発言は!」



「……あなたが十三人目の機動課職員ですか」

「正確には博士たちもいるからもう少し多い。けれどあの頃騒がれていたのは多分俺」

「シンジ・シドー。みんなから話は聞いてます。シドー君、シドー君って」

「それは光栄だな」

「今は菊園院グループの宇宙開発事業に徹しているとか」

「妻子を地上においてな。だから今日休みが取れて久し振りに家族に会えたのは嬉しい。お前を出汁にした言い方で悪いが」

「構いません。俺は俺で、みんなに大事にしてもらっていることが分かったから」

「『キャット』でも?」

「中国の十二支には豚がいるそうなので、そっち狙っていこうかなと」

「それは……推奨できないな。シープ辺りに『この豚野郎』とか言われて踏まれるぞ」

「ははっそうですね。……でも本当、あなたには会えてよかったです。シドーさん」

「シドーで良い。キャット。ドッグやモンキー、地上のみんなの事はお前に任せたぞ」

「え」

「子供の言うことなら聞いてくれる人たちだからな」

「まさに二十を超えた俺を子供扱いですか……」

「良いじゃないか。こうしてナイトクルーズ組んでくれるぐらいには、お前は愛されてるんだ。みんなに」



「キャット? どうしたの、飲みすぎた? お水持ってこようか」

「いや、いろんな人に会ってちょっと感慨深くなってただけ」

「でも本当にいたのね、手紙の人たち。正直疑ってたわ、そんなとんでもない人たちがいるものなのかって」

「僕たちだって十分だよ。アンネもあるでしょ。延長感覚」

「それは……、」

「代わりに毛生え薬やペグでそれを補ってるのが彼らなんだ。僕たちは進化の源泉にいるのかもしれないって言われたことがある。そういう感覚を持った、第一世代になるのかもしれない。そういう意味では研究を否定しきれないって」

「それは」

「俺はそう思いたくない。俺で終わる進化でない変化であってほしいと思う。でももしも本当にそういう人たちが出て来た時、今と繋ぐ存在でありたい」

「ドクトルA8提唱の、アダプター理論?」

「って言うのかな。よくは知らないけれど、俺は人と人を繋げる存在になりたい。ドッグとモンキーみたいなのでも。君と僕みたいなのでも」

「……サファイア。綺麗」

「うん。君の目と同じ色だ」

「今度は私が、キャットにルビーを送るね」

「そんな気にしなくても」

「私がしたいの。だからさせて? ね、ハチロー」

「……そっか、ハナ」

「うん」

「ふふっ」

「あははっ」


 満天の星空は、いつも見降ろしていた夜景とは逆で、世界がひっくり返ったようだった。

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