第11話
シープを誘拐した、と脅迫メールが届いたのは、回天が日本近海にいる頃だった。
ホースに連絡を取って仔細を問うと、どうも複数人でホースを殴り付けその間にシープを連れ去っていったのだという。それからメール。要求は『シープ機関』の解散。日本国内での出来事で日本語だったことから相手は日本人と思われる。政府に援助協力願いをしたが却下。あの狐どもめ、言うホースは殴られて痛む腹を押さえながらちっと舌を鳴らした。
『キャットにはまだ言ってなかったからこれは俺の独断で話すことだけれど――『シープ機関』ははぶかれた機動課職員が問題を起こさないように見張っておく機関でもあったんだ。だから半数以上の元第一次機動課職員が機関には所属してる。シープちゃん、俺、ドッグにモンキー、ボアやタイガーにスネーク、ハーブ博士っていう技術者。他は他組織にいる。FBIにはドラゴンとラビットにバード。民間に戻ったのはラットとカウ。もう一人は宇宙開発事業に行った。まあそれはそれとして、『シープ機関』は政治屋たちのシンジゲートでもあるんだ。日本国の裏側を全部知ってると言って良い。だからそれの協力がないってことは――』
「いよいよをもって政治屋たちが力をつけて来た『シープ機関』を持て余し始めたってことかねぇ」
『多分、そんなところだろうと思う。回天はまだ日本近海にいるんだよな? すぐこっちに来てくれ。今回はラットとカウにも手伝ってもらうし、タイガーとボアとスネークには連絡済みだ。シープちゃんが何かされる前に――』
ぞっとした想像にか、鳥肌を収めるようにホースは腕を撫でた。
「りょーかいだぜ、ホース。今更機関の解体なんてできると思ってる政府の馬鹿どもに、一つ喰いついてやろうじゃねーか。心躍るねえ、解体された時の雪辱を果たせるってもんだ」
「あんまりはしゃぐなよドッグ。くっく……しかしまだ『シープ機関』が手のうちにあると思っていたとはお笑い草だねえ。こっちはとっくに振り切ったつもりでいたって言うのにさあ」
『集まるのは多分永田町だ。あの辺りは地下シェルターも多い。シープちゃんのピアスに付けてる発信機も、そこを指してる』
「発信機なんか持ってたのか……」
『まあ、こんな稼業だから一応ね。役に立って欲しくなかったけれど、今回はシープちゃんの用心深さが功を奏したってところかな。二時間でこっちこれる?』
「イリアス。日本までの時間は?」
『およそ一時間半です』
「だってよ。永田町まではMWで送り迎えしてくれや」
『オーケイ了解した。バードたちは他国の公職だから呼び出せねーし、シドー君は宇宙だけど、九人も集まれば十分だろ』
にぃっと笑ったホースの顔は、今まで見たどの顔より悪かった。それだけシープを大切に思っているってことなんだろうと思うと、意外とあの女王様な所のあるシープにも人望があることが分かって、それはちょっと意外でおかしかった。そして俺が頭数に入れられていることも、おかしかった。言ってみると、もっと悪い顔でホースは笑う。見たことのない黒さにちょっと引く。っていうか誰なんだよシドー君って。
「まあ人にはそれぞれ価値観ってもんがあるんだよ、キャット。俺はシープちゃん第一主義。他はどうなってもシープちゃんさえ助けられればそれで良い。じゃあ作戦の説明な。シープちゃんが捕らわれているのは多分一番奥のこの大きな部屋。入ったらキャットは狙撃で連中をシープちゃんに向けて追い詰めて。理由はまあそうすれば分かるから。ダクトから侵入したスネークには、催涙弾を地下全体回る程度に撒いてもらいたい。その間の陽動は俺とタイガーとボアのMW部隊が引き受けるから」
「陽動って普通戦力が劣る方が引き受けるものじゃないんですか」
「この場合スネークより戦力が劣るのが俺たちだからね。騒ぎに気付いて出て来た連中をしとめるのは、ドッグに任せるよ。モンキーはその間にコンピューター制御室に行って、全ロックを開放。ラットは連中の間をかき回してくれればいい。カウも出来る限りで良いから一派の捕縛を。大体そんなところかな」
「俺の荷が重すぎないか」
「出来る出来る。スネークはやれば出来る子」
「馬鹿にされてる気がするんだが」
「そんなことないったら、いけず」
「言葉が古い……」
「キャットが若いだけだって。とりあえずそう言うわけで、まずはMW隊が出動して、スネークの催涙弾で口が空いたらモンキーとキャットが潜入してくれ」
「りょーかい、ホース」
って言うか前回も思ったけど。
まともな作戦立案とか出来たんだな、この人。
そんな失礼なことを思いつつ、俺はガードマンの立っているあからさまな小路の一つに立っている。
そこを駆けていくのは軽量化されたMWと重量級のMW、キャノン付きの砲台系MWの三台だった。
まずはボアの砲台が一発、シャッターに当てる。勿論そのぐらいじゃ壊れないけれど、警備員はすぐにコックピットを狙って射撃した。セーフティシャッターは下りているから中に被害はない。他の場所にいた奴らもそっちに向かっていく。勿論通気ダクトの警備をしていた奴もだ。スネークはちょっと錆びたネジを外して、ガスマスクを着けて中に入っていく。ごき、ごきっと肩の骨を外す音がした。しばらくすると砲台がわずかに開けた穴から白い煙が吹いてきた。そこをタイガーの乗る重量級が一気に押し込んでシャッターを突破する。俺とモンキーはガスマスク越しに目を合わせて、侵入した。
新鮮な空気を求めてシャッターの方に折り重なっている黒服のガードマンたちは、ちょっとだけ死体にも見えた。防空壕に毒ガスを入れられた、みたいな。心配になって注意深く観察してみるけれど、どいつも涙が止まらなくて動けないだけでいるようだった。ほっとして、ドッグが放つ銃声を聞いていく。なんだなんだと奥から出て来た催涙弾がまだ薄い連中は、ラットが引っかいたり齧ったりとまさに鼠の攻撃で無力化していった。それでもどうにかしようとする気配を見つけると、入ってきたドッグとカウが打尽する。一番奥の部屋――地図を思い出しながらそこに向かうと、鍵がかかっていたが、突然それがするりと抜ける。モンキーがロック解除に成功したってことだろう。身体を猫のように屈めてドアを小さく開け、俺は明かりの点いていないその部屋に入る。広いシェルターはまだ催涙ガスが効ききっていなかったらしい、パァンと明かりの差したドアを撃たれて、ひゅぅっと思わず息を呑む。
部屋は出入口一つ、それにたどり着くには左右に展開されている階段を上って二階に出るしかないようだった。スコープを暗視モードに切り替える。シープを囲んでいるのは四人。二人がSPで二人は政治屋さん、と言ったところだろうか。俺はそっと足音を立てないゴムの靴でキャットウォークさながら部屋の隅に向かう。それから一発、政治屋の足元に撃ち込んだ。
「ひぃっ」
それから動いて反対端へ、今度はSPの足元を撃つ。本来なら殺してしまっても別に構わないと思うんだけれど――思っていると、くすくすシープの笑う声がする。
「十全よキャット。そう、スナイパーは動き回らなくてはならない。バードにその基本はしっかりと教わったようね。そして相手を翻弄しなくてはならない。短い時間でよくも身に着けたこと。褒めてあげるわよ」
「シープ貴様か、貴様の仲間かッ!?」
「あらそれ以外に何か心当たりがございますの? でしたら教えてほしいものですわ。第一次機動課解体では随分な犯罪者が見逃されたと言いますものねえ。そちらの方々のお礼参りと言う可能性もありましてよ」
「この、女狐がッ」
「あら私はシープでしてよ? 狐ほど狡賢くはない。さてどうなさいます? このまま私を開放してくださるのなら余計な犠牲は出ませんでしてよ。それともまた死体を増やしたいのかしら。自分たちの手で」
「このっ、この女がッ!」
「――ビンゴ」
シープを囲んでいた全員が一定距離に入った瞬間、黒い何かが全員を締め上げた。
「ッ!?」
驚いたのは俺も同じだ。シープは何かを使って、彼らを締め付けている。その何かは――髪だった。いつも豊かでくるくるしている、ホースがよく懐くあの髪。驚いてスコープから目を離すと同時、明かりが付けられた。そのまま壁を走って四人全員の首筋を叩き、気絶させたのは――ホースで。
「怪我はない、シープちゃん!?」
「あらあなたこそわざわざMW捨てて生身で走って来るなんて、熱烈ねえ。マスク付けて無かったからか涙目よ?」
「シープちゃんが心配で出てる涙です! キャット、ナイスシューティング!」
「それは……そうと、シープの髪……」
「ああ、まだ教えていなかったわね。私は自分の髪を自在に扱えるの。毛生え薬の実験だったのだけれどねえ、最初は。気が付いたら機動課入りよ。ペグとは正式に言えないのにねえ」
おまけに後継機関の局長にまでされちゃって。個人としての戦闘力が弱いと判断されたからなんでしょうけれど。
言いながらホースが彼女の手に掛けられていた縄を解く。
っていうか毛生え薬の副作用って。俺もうあの染髪料使うのやめた方が良いかな。
いやそれより。何よりもご機嫌に。
「一切聞いてねえ……」
「話していないんですもの、あたりまえでしょう? ホースの馬鹿が移ったの、キャット」
「流れるように罵倒したっ。二年一緒に仕事してて聞いてないことがある方がおかしいでしょう……」
「まあ気にするなってキャット。シープちゃん、怪我はない? 手に擦り傷出来ちゃったね。暴れないようにしたみたいだけど、赤くなってるよ。痛そう。ごめんね、俺が付いてたのに」
「まったくだわ。まあ私はあなたたちを信用していたから、怖くもなんともなかったけれど」
「シープちゃん強い……俺なんかシープちゃんの貞操まで心配したっていうのに……」
「エロ馬。黙らないとあなたの口も髪でいっぱいにしてあげるわよ」
「何それ怖い! あ、っと、忘れるところだった。はいシープちゃん」
ホースが背中から出したのは、まだほかほかと湯気の立っているレトルトのレバニラだった。
「髪使った後だと鉄分欲しがるでしょ。ちゃんと近くのコンビニであっためて来たから。はい、箸」
どういう状況だこれは。
押しかけて来た全員が、思ったことだろう。
どういう……どういう状況で誘拐現場で至福の表情でレバー食ってる被害女性がいるというんだ。
髪はホースが持っていたハサミで適当に切り、長さもそろえていた。毛根の付いていない髪ならDNA鑑定は出来ないんだっけ? それともそれは細胞核が必要なクローンの話? どっちにしても髪で縛られているという時点で容疑者はたった一人に絞られるだろうけれど。
レバーをとりあえず食べ終わったシープは、その場で座り込み、髪の中からマジックを取り出す。それから床に何かを書き始めた。なんだなんだと俺たちも覗き込みに下の階に行ってみると。
『『シープ機関』を長らくご利用いただきありがとうございました。
これより機関は独自の方針のもと動く自由機関となりましたので、ご了承ください。
長い間お世話になりました。薄給で。
『シープ機関』局長 シープ こと 羊ケ丘洋子より かしこ』
薄給で、の辺りで全員が噴き出す。本当に薄給なのはこっちだよ、と言うラットに、あとで報酬振り込んでおくから、とシープが笑う。笑ってる場合じゃないと思うのに、こっちを睨み上げてくる政治屋さんとかいるのに、俺たちは大笑いした。
「って言うか給料って結局どうなってるんですか?」
「光熱費差っ引いてちゃんと振り込んであるわよ。ゆうちょに」
「堅実な蓄財っ」
「そろそろ一億ぐらいになるんじゃないかしらねぇ。何かフォーグラー嬢に買ってあげたら? キャット」
「え……あの目より綺麗なものって思い浮かばない……」
「のろけかよ、かーッ! 若いってないいなぁおい、なあボアよう。お前はあの嫁さんとどうしてんだ?」
「い、イオンの事は関係ないだろっ」
「え、既婚者だったんですか?」
「まあ一応……三年前に籍入れた……」
「結婚式は危ないかもしれないってので、私たちの牧場でやったんだよ! 機動課みんな集まってさ! そのうちキャット君にもアルバムで見せたげるよ! メールでも良いけど届かないところに潜りっぱなしなんだもん、回天ってば」
「隠密機動戦艦だからねえ、一応」
「え、そうだったのか? 初耳……」
「はは、世界をひっくり返すにゃ戦力がなきゃな! でもイオンとかお前とかカウみたいなやつが増えたら、そんな必要もなくなるのかね」
「……アダプターって、バードが言ってた?」
「そ。延長感覚ってのか? 私らはまだ駄目だったけど、次の世代には託したい夢だねえ」
「え、何ドッグ、今夜俺のベッド来る?」
「あはははははははは」
「やめて笑いながら三十八口径向けるの止めて」
そんなこんなで。
とりあえずミッションは終わったけれど。
いろいろと問いただしたいことは増えた、戦場だった。
「政府機関だったんですか? ここ」
「そうよ。言ってなかったかしら。でなかったらあんな潤沢な資源あるわけないじゃない。もっともこの十年でお得意様を増やして、自分たちだけでもやっていけるように調整はしていたけれど」
「ホースが持ってたレバニラは」
「髪に鉄分持って行かれて貧血になるのよ。だから使用後は鉄分必須。牛乳とかも最近は入ってるから良いわよねえ。レバニラが一番美味しいけど」
「なんで今まで隠してたんですか」
「隠すだなんて人聞きの悪い。単に言う機会がなかっただけよ」
「いや二年前聞きましたよ俺。そしたら『まだ秘密でしょう』って言われましたよ」
「そんな昔の事は知らないわ」
「俺たちこれからどうなるんです?」
「そんな未来の事も知らないわ。日本には独自のドックを作ってあるから、寄るのにやぶさかではなくってよ。ラットたちの牧場なんかね。本州も開拓していかないと。何で日本って細長いのかしら。日本海側にも欲しいのに」
「独自に」
「独自に」
「ホースが壁走って来たのマジびっくりしたんですけど」
「早く走ることだけが特技だからねえ。下手するとMWより速いから私も乗せて貰うことが多くてよ」
「乗せるって。せめて抱いてとか負んぶしてとか言ってシープちゃん……」
「あふ……そろそろ眠っても良いかしら、キャット。私の場合ペグじゃないから肉体的にダイレクトに疲労が来るのよ。もう眠いわ」
「はあ……じゃあ、おやすみなさい」
「おやすみなさい。ホース」
「はいはい。『スリープ』ちゃん」
くうくう寝ているシープを回天の部屋に連れていくホースは、この上なく幸せそうだった。
シープ。スリープ。羊を数える。なるほど。
ハロー、アンネ。
いろいろと驚かされることがありました。実は機関が日本国所属のものだったり、そこから離脱した一勢力になってしまったり。シープの秘密とか、ホースの純愛とか。いや、純愛なのかな。分からないけれど、もしかしたら国に目を付けられてもう君にこうして手紙を出せなくなるのかもしれません。そうなったら寂しいので、一言だけ君に告げておくことがあります。
君の事が好きです。
焦がれるほどのものではないからもしかしたらちっぽけな恋なのかもしれませんが、俺は君に恋をしています。いつからか分からない、施設にいた頃からか再会してからなのかも分かりませんが、君のブルーの目が俺を見上げて来るのが好きでした。いつか君の目によく似た石を探してプレゼントするのも夢でした。夢で終わらせたくないので石は確保しましたが、君に会う確率はどんと落ちてしまったので、俺のお守りにしようと思います。赤毛にブルーの石なんてあべこべで、ちょっと笑えてしまうけれど。
君の事が好きでした。
さよなら。
親愛なるアンネ・コルンブルーメ・フォン・フォーグラーへ。
トムキャットより。
※
「これが、キャットの手紙?」
「はい……もう、会えないってことなんですか? 私、もうキャットに会えないんですか? こうやってシープさんと接触することも、できなくなっちゃうんですか? そんなの嫌です。私はキャットとまた会いたい、会って話がしたい。電話越しでも手紙越しでもなく言葉を交わしたい。それってそんなに、難しくなっちゃうことなんですか? 私、何にもできないんですか? キャット、キャット……!」
「そんなに泣いたら綺麗な目が溶け出してしまってよ、フォーグラー嬢。部下が不用意なことを書いた責任は私にもあるけれど、あなたの身を案じての事だとは分かってちょうだいな」
「分からないです、こんなの分からないです! 分かりたくないです、こんなの優しさなんかじゃないです……ッキャット、キャット、ハチロー……!」
「仕方ないわねえ……ここはひとつ、大人として手を打ちましょうか」
「シープさん?」
「ただし危険は付き纏うことになるわよ、フォーグラー嬢。私達は戦場に身を置いているのが常なのだから、あなたがそれに巻き込まれることもあるかもしれないし、その時に真っ先に駆けつけることも出来ないかもしれない。それでもよくって? 覚悟は、できていて?」
「それでキャットに会えるなら。私、なんでも我慢します! ハナに戻ってでも、キャットに、ハチローに会いたい。だからお願いします、シープさん。私をキャットのところに連れて行ってください!」
「オーケーよ、覚悟完了、この目でしっかりと見届けたわ。あなたは強い子ね、フォーグラー嬢。いいえ、アンネ。アンネ・コルンブルーメ・フォン・フォーグラー。あなたのような強い女性なら、きっとキャットを支えられるわ。いいえ、支えてもらわなくちゃならないわね。これからも私たちの役に立ってくれるように」
「人質みたいな言い方止めてください。私も銃とか頑張るんですからっ」
「あなたはそんな事しなくて良いのよ。そうだからこそ、意味があり価値がある。どうかあなたはこの水辺に咲く一輪の花でいてちょうだいな」
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