第8話

 自軍が保持しているだけの戦力を相手が保持しているのは当たり前で。

 自分が持っている情報を相手が持っているのも当然だ。

 と言うわけで奇襲をうけているのはロシア居留地の一つだ。ウラジオストク。ロシア語は苦手だったけれど日本語で通じるのはありがたかった。さすが日本に一番近いヨーロッパ。それはともかく、基地内に入り込まれたものが問題だった。オート・マルチ・ワーカー。……AMWである。オートという名前の通り、操縦者は別にいてモニターでこっちを見ながら自分は安全な場所で虐殺を見る、って代物だ。勿論本来は危険な場所での作業を想定しているだけに、頑丈だし足が速い。

 俺はライフルを持たされてシープに追い出され、夜の高地でどこに操縦者がいるか当ててこいとの命令を賜った。何機も動かせるけれど人形使いは一人だ。それがAMWの強みであり、弱みでもある。

 暗視スコープを覗き込み、周囲に不審な車両がないかを感じ取る。基地内のAMWはホースが引き受けてくれているから、あまり心配はしていない。モニターなんかを多量に積んでるから大型車両になるはずだ。ここから死角になっているのかもしれない。目を閉じて気配を探る。楽しんでいる気配を。人を弑して何も感じないでいる気配を。

「遅いわよ坊や」

 ぎくっとしたのはその声が何の気配もまとっていなかったからだ。思わずカスタマイズを繰り返したライフルを構えると、簡単に銃身を握られてひねり上げられる。やっとその薄い気配の正体に気付くと、『彼女』はにっこり笑って見せた。年かさはシープと同じぐらいだろう、ちょっと逆立った前髪をしていて、それが鶏のようだと思う。そしてメガネにみつあみ。事実『彼女』は鳥だった。

 『バード』。第一次機動課の人間だ。

「感覚を広げるのは悪くない発想だけれど、フィールドが広すぎるならやっぱりスコープに頼った方が良いわよ。そうすれば――ほら見付かった」

 彼女の構える銃のスコープを追って自分もスコープを覗き込むと、エンジンが掛かっているのに特に動くこともせず明かりも点けていない車が一台見付かった。あれか、と思うと同時、ぱしゅんっとサイレンサー越しに音がして彼女の銃が火を噴く。運転席のガラスが割れた。それから後部座席から細身の男が出て来るのを、ぱしゅんぱしゅんと二連続で片足と右肩を打ち抜く。

 鮮やかだった。それはとても鮮やかなライフリングで、見惚れてしまうほどだった。ジジ、と付けていたヘッドホンに無線が入る。

『ご苦労様、キャット。それともバードかしら』

「私よ、シープ。丁度FBIから内偵に来ていたの、良かったわね」

『僥倖僥倖。それで、あなたから見たキャットの評価は?』

「能力に頼りすぎてちょっとばかし技術は疎かかな。って言うか、『シープ機関』も私たちにとっては広域武装勢力保持で結構目を付けられているんだから、私の事は秘密にしておいてちょうだいね。地を這う鳥は一度で十分だわ」

『はいはい』

 笑いを含んだ声で通信が途切れ、伏せていた身体を起こしたバードさんは、俺より少し背が高いようだった。すらりとしたモデル体型。トランジスタグラマーなドッグや普通に肉付きの良いシープとは違って、いかにも大人の女と言う感じにはちょっと威圧感も覚えたり。せめて身体を起こして視線の位置を近づけると、ぐしぐしと赤い頭を撫でられた。

「見事な赤毛だねえしかし。ルビーも真っ青になってサファイアになっちまいそうだわ。まあ聞いての通り、私はバード。元機動課職員、ペグ化されてるのは目。この目でスコープ越しでも対象が見えやすい。ようは目が良いのね」

「いろんな人がいるんですね……」

「そりゃ人間ですもの。MWみたいには行かないわ」

 くつくつと笑ったその人は、鶏と言うよりは極楽鳥のようだった。


「改めて紹介するわね、キャット。私たちの機動課時代の仲間、バードよ」

「またの名をロングレンジ・クィーンと呼んでくれても良いわよ。能力はさっき説明した通り。本当は眼鏡やスコープを使わない方がよく見えるんだけれど、さすがに夜は暗視スコープがないとねえ」

「鳥目だから?」

「それもあるけれど、色んなものが見えやすいのよ、夜は。赤外線だとか浮浪者の焚いてる煙だとか。ところでキャット、あなた実戦経験は豊富なようだけれど、それ以外は?」

「訓練を少々」

「なるほど。狩りには慣れていないと言うことね」

 狩り。そう言えばライフルと言えば狩りに使うものだった。ずっと人やクレーばかりを相手にしていたからすっかり忘れていた。

 人形使いの男は捕縛して、すでに自白剤を使ってどこの組織の人間かは割れている。その後適切な処置を施し、救命胴衣と縄付きで海に浮かべる予定だ。潜水艦乗りとしてその落とす時の快感がたまらないんだとドッグ辺りは言う。モンキーは悪趣味だねえと笑い、シープは何も言わずにただにっこり笑う。ちょっと怖い。

 ぐい、と首に腕をかけられてバードに引き寄せられる。

「シープ、少しこいつを貸してくれないかな。一磨きして返すからさ」

「こっちは戦力も上々だからキャット一人ぐらいの穴なら埋められるけれど――『狩り』には気を付けてちょうだいね? 使い物にならなくなったら大金要求するから。そう、二千万ぐらい」

「円? ドル? ユーロ?」

「今ならドルかしら。買った時は半額だったけれど」

「仕込んでるってことか、それだけ。でも基本的な所は忘れちゃダメなんじゃない?」

「回天暮らしで狩りは出来ないものねえ」

「異様にはしっこいのとナマケモノじゃあなあ」

「ねえ。無理でしょう?」

 くすくす笑いあう二人に置いてけぼりにされつつ、俺は明日から三日間バードが今行っている作戦に貸し出しされることが決まってしまった。それにしても狩りって何のことだろう。ドッグやモンキーでは出来ないこと。いったい何のことなんだ。思いながら俺はそろそろ血流が止まりつつある首から手を放してもらうようぺちぺちと叩く。黒いスーツの腕は、上等だと一触りで分かるほどだったけれど、そんな高級な布で絞め殺されても浮かばれないと思った。


 翌朝気付くと俺はトラックの荷台に幌を被せた中にいるのが分かった。

 昨日と良いなんで俺はこの人の気配に気付けないんだろう、思いながら身体を起こすと、『もうちょっと寝てなさい』と言われる。

「……どこに向かってるんです?」

「サンクトペテルブルク。旧称をレニングラード。人通りの結構ある街だからね、あんたの修行にはてきめんだと思ってさ。対象は上着のポケットに写真を入れてある」

 いつの間にかコンバットスーツに着替えさせられているのにも今更気付き、本当に分からなくなる。この人は幽霊か何かなんだろうか。だったら俺の感知対象に入らないのも頷けるのだが。写真を見てみるとどこにでもいそうな黒いジャージにサンタクロースのような白い髭面の男だった。こいつをやれば良いんだろうか。バードに聞こうとすると、先回りで答えが返ってくる。

「殺すのは私の仕事だよ。キャット、あんたにはこいつを狙撃できる地点まで追い詰めてもらいたい」

「追い詰める……」

「そう、狩りの基本だ。そんでもってスナイパーの基本もある。分かるわね?」

「地点を探られてはいけない。一撃離脱」

「オーケィ。それを繰り返してそいつを袋小路に追い詰めたら、このロングレンジ・クィーンの腕の見せどころよ。ちなみにキャット、あんたの射程距離は?」

「五十から百」

「あら立派なものねえ。ちなみに私は一キロ離れててもできる」

「キロっ……!?」

「まあペグのおかげよ。ついでにどうしてあんたが私の気配に気付けないかも教えてあげましょうか?」

「お願いします」

「ラビットに言わせれば、気を消しているから。気配を湖の真ん中みたいに保っていれば、どんな相手にも悟られない。そこにいてもいなくても同じにしか感じられないから。アダプター適正のあるカウやあんたにもね」

「アダプター……?」

「まあ、気配に敏感で人の心を読むのに長けた連中の事よ。ドクトルA8って人の書物によれば、次の人類と今の人類との間を繋ぐ、ちょっと早めに世に生まれ出て来てしまう進化って言うのかしらね。うちの課にも何人かいたわ。ホースもその亜種ってところじゃないかしら」

 人の心を読むのに長けているのは、俺の先天的な遺伝子のいじくられた結果だ。物静かなカウやけらけら笑って適当に人を勇気づけるホースと、それは同じなのだろうか。そんなのは――おこがましいと、思う。俺は少なくともそういうのじゃないだろう。

「ところでいつまでこのトラックなんですか」

「言ったじゃない。サンクトペテルブルクまでよ」

「長っ」

「極地には慣れていた方がよくってよ。ライフルは弾を込めたままで置いてあるから、適当にチェックしておくと良いわ」

「適当にって、できませんよこの状況で! 後ろにも車走ってんですよ!」

「常識的な突っ込みされると安心するわー」

 ほほほほほほっと笑うバードに、俺は再び横になる。

 これは本当、眠っていた方が良いだろう。

 何が起こるか、分かったもんじゃない。


 久しぶりに昔の夢を見た。男の悦ばせ方と女の悦ばせ方を習う授業だ。勿論模型でやったけれど、喉の奥が気持ち悪かったのを覚えている。気持ち良いはずなのに吐き気のする授業を繰り返してきた。ようやっと買い手がついてああ本番が来るのかと思ったら、待っていたのは兵士への道だった。しかも割と緩い。あの訓練は何だったんだろうとは今でも思う。俺の運が良かっただけなのか。

 だとしたらアンネ、君はどう思いますか? 今の生活は幸せですか?

 俺は結構大ピンチだと思っています。いつでもどこでも。


「ット、キャット。起きなさい」

「はい……?」

 身体を起こすと日は暮れていて、どこかの飛行場にいるようだった。

「あなた飛行機の経験は?」

「ヘリなら何度か……」

「じゃあ初体験ね。貰っちゃったわ、あとでシープにも教えてあげなきゃ」

「余計なことせんで下さい」

「えー」

「鳥がブーブー言わない。って、結局飛行機で行くんですか」

「当り前よ、トラックなんか使ってたら何日かかるかしれないじゃない。まして回天で海を大回りしていくなんてもっと馬鹿馬鹿しいわ」

 しれっと言い放つ。否確かに合理性を突き詰めればそうだけど。そうなんだけどさあ……!

 敬礼してくる兵士たちの間を都合悪く通り抜け、俺は飛行機に乗り込む。そうして空に飛び立てば、夜景と言うのはやっぱり星の雫のようで、いつかアンネに見せたい光景だった。

 そうしてしばらく飛んでいるうちに、ごそごそとバードが何かをしているのに気付き、窓にくぎ付けだった首をちょっと傾げる。

 と同時に。

 抱き寄せられた。

「なっ」

 背中には胸が当たって、嫌なことを思い出せさせられる。だけどバードはそんな俺の身体を自分に括り付けるようにベルトで固定した。それからリュックのようなものを背負い、こちらもばちんばちんと硬質的な音で固定していく。これは。まさか。

「パラシュート……?」

「そう。これも初体験?」

「です……」

「暴れたり叫んだりしないでね。教会の上に降りるつもり。あなたはただの重しとして硬直していればいいから」

「ら、ライフル」

「とっくに持ったわよ、二人分。あんたには教会から屋根伝いで対象を追い詰めてもらう。私は所定の位置に待機して、そこに対象が来るのを待つ。いつまでも待つ。あんたがこの狩りを覚えるまで、何時間でも待つ。良いわね? トムキャット。男の子の意地を見せなさいな」

 そして。

 俺たちはサンクトペテルブルクの街に降下した。

 アンネ。

 こんな恐怖は君に味わわせたくないです。

 細かいパラシュートの調整で、俺たちは目標の教会に降り立った。ボタン一つで収縮されるパラシュートは、確か日本の菊園院グループが特許を持っている奴だったと思う。西のフォーグラー、東の菊園院と言われる巨大グループだ。軍事にも陰ながら力を入れていると聞いている。最近は宇宙開発にも。時代の最先端技術で酔ったとは言えない俺は、渡されたライフルを抱えて感覚を広げる。バードはもういない。持たされた地図には口紅でペケ印が付けられていた。そこに誘い込めと言うことなんだろう。延長感覚、とも言われていた力で俺は通りを行く。あるいは教会に向かう人々の視界を覗き込む。相手から自分がかわいらしい奴隷に見えているか、それをチェックするために付けられた感覚だ。白い髭の――

 ――いた。

 すかさずスコープを覗き込んで対象を撃とうとして、これが狩りなのだと思い出す。ならばまず――

 ちゅいんっと音がする程度の近さで足元に、弾丸を打ち込む。

 ひっと気付いたのは対象だけだ。

 心当たりがあるからこそ注意する。速足で去っていくのをもう一度同じ間隔で撃ちながら、俺も教会の屋根を滑り降りた。二つ行った通りの右、そこが袋小路になっている。一つ目は十字路。見逃す。二つ目。少し前の方に打ち込む。男は慌てて逆方向の路地に駆け込んで――騒がしい街中には響かない、だけど俺はよく知っているライフルの音がした。

 そう言えば何で追われてるのかすら知らない男だったことに、ちょっと自分でぞっとした。任務なら何でも殺せる自分に、驚愕した。殺してないけど殺人幇助だ、こんなの。それでも何も感じていない自分が、ほんの少し、兵士に近付いていることを自覚してしまうと言うのは、恐怖だった。兵士だからこそ、人の感情を忘れないようにしないといけないっていうのに。なんで。どうして彼は殺された?

 FBIだと言うバードが狙っていたとしても、ここはロシアで、その管轄じゃない。

「管轄じゃないからこそ追わなきゃならなかったのよ」

 帰りのバスは飛行場まで。シープたちと落ち合うのは日本の成田らしい。ぴこぴこと火の点いていない煙草を揺らしながら、バードは俺の質問に答えてくれる。

「あのままバックレられたらこっちのメンツ丸潰れだったの。麻薬で何億も稼いでる、いわゆる麻薬王だったのよ。あの男。そしてその情報をくれたのはあんたの仲間」

「え」

「テキサスのヒューストンで娼館一つ潰したことがあるでしょ。あの時の子が自分を売った男の事を覚えててねえ。かすかに耳にした電話の内容まで。人工生物って言っちゃうと味気ないけど、アダプター適正持ちが生まれる進化の最先端、進化の源泉の第一世代ならそう悪くもないのかしらね、人工的な性奴隷製造ってのも。おっとベレッタなら抜いてあるから探しても無駄よ。でも本当、今回はあんたたちの協力無しじゃ立ち上がりもしなかったミッションだからね。お礼は言っとくわ。ありがとう。それで、狩りのコツはつかめて? キャット」

「……行かせたい方向の反対側に弾を打ち込む?」

「ふはっ大体合ってる合ってる。しかし筋が良いわねえあんたも。戸籍偽造したげるからFBIに来る気はない? 元機動課のラビットとドラゴンもいるから、話題は尽きないと思うけど」

「俺は『シープ機関』の人間です」

「あらつれない。ま、たまに力を借りることもあるかもしれないからね。おねーさんのことも覚えててくれると嬉しいな」

 慣れないロシア語を隠すために咥えていた煙草を指で挟み取った彼女は、俺の頬に――

「あぎゃっ」

 キスする前に、顎を上げてやった。

 初めて勝った、と思った。


 ハロー、アンネ。

 今回はロシアでの仕事でした。FBIのお手伝いをした、と言ったら君は驚くでしょうか。麻薬王の暗殺で、その情報は俺達の仲間から齎されたものだったそうです。自分の事をどこか卑下して見ていた俺としては、それは結構なショックでした。自分なんかが、と抑圧されて生きていたようです。自分で思っている以上に。そんなものなんだと思うけれど。

 君はどうでしょう。お父さんは肯定的に接してくれていますか? なんて聞くと疑っているようですね。失礼しました。俺としてはフォーグラー卿は信用しておきたい人物です。アンネの一番傍にいる人なんだから。

 俺の方は癖の強い大人にばかり囲まれていますが、なんとかやっていけているようです。どうか君もそうであるようにと願わずにはいられません。でも癖の強い大人には本当に気を付けてください。何されるか分かりません。平気でファーストキスとか童貞とか狙ってこられたら、本当、たまらない。

 俺たちもはたから見たら随分大人なのだと思いますが、中身は子供の頃とそう変わった気がしないので、知らない人にほいほいついて行ってしまいそうなのが怖い所です。お互いに。

 大人には気を付けてくださいね。

 親愛なるアンネ・コルンブルーメ・フォン・フォーグラーへ。

 トムキャットより。

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