第6話
潜水艦なんて乗っているとちょっとは変わった場所にはいくもので、今回の戦闘区域は南極だった。幸い夏だったので緑もまばらに見え、ペンギンなんて珍しいものも見れたが――そんな場合でもない。携帯食料のチョコバーがこんなに美味しいと思ったのは初めてだ。そのぐらいに、追い詰められている。
敵は衛星をロケットで飛ばし、地球全体を弾道ミサイルの射程内に入れることを目論んでいるらしい。基地への潜入には成功したが、メインコンピュータールームが分からずうろうろしていたら、発見されて一室に立てこもっている。袋の鼠だが、ラットは間に合っているというのがドッグたちの信条だ。今回は俺とドッグだけ。モンキーは何かあった時のために艦に待機してもらっている。見付かったか? 否まだだ。ドッグはちょっと息を切らしている。見ると下に血だまりができているのに気付いた。見れば左腕からだらだらと血が出ている。下手な動脈が傷ついているとしか思えないそれに、しかしドッグは動じない。動じないで衛星通信の出来る携帯端末でモンキーを呼び出していた。俺は取り敢えず傷と思しき場所を探し、ぎゅっとハンカチで押さえながら包帯を巻いていく。しかしこの出血量じゃ暖簾に腕押しかもしれない。そのぐらいに、コートにもシミが広がっている。
この人はフォーグラー城の時から思っていたけれど、無鉄砲なところがある。いきなりロケランぶっ放したり、たまにはおとりを買って出ることもある。陽動は戦力の弱い、俺みたいなのがするべきなのに、どこか捨て鉢だ。それは仲間を大切に思うがゆえの事であると分かる、分かるんだけれど、女の人だから無茶してほしくないし、今みたいなのもやめてほしかった。人間は血液を一リットル失ったら死ぬらしい。半分は行ってるだろう。これ以上は動かすのも危険だ、思うのにドッグは自分のそんな状態を報告せずにモンキーに回線を繋げる。
「あーモンキー? 連中の基地は見付けたぜ。今見付かって立て籠もって大ピンチってとこ。そっちからこっちの場所分かるか? そっか、じゃあ一発撃ってくれ。それからメインコンピューターに人が集まるだろうから、その波に紛れてぶっ壊す。ん、オーケーだ」
回天からの援護射撃要請か。確かにそれなら、ロケット燃料だって大量に備蓄しているだろう基地には脅威になるだろう。メインコンピューターはバックアップがアメリカの砂漠の真ん中にあるって聞いたけど、そっちはホースが制圧済みだとも聞いている。モンキーの動作は早かった。二分もしないうちにドドンと揺れが走り、基地内がパニックになるのがわかる。その隙にドアを開けた俺たちは、前に張っていた連中をバンバンっとパラフィン弾でのした。今回は別に人殺が目的じゃないからって、渡されていたものだ。コンピューターさえぶっ壊してしまえば衛星はただのスペースデブリになる。宇宙ゴミ、って奴だ。人の流れが一定になっているのを。壁の陰から確認する。ぽた、ぽたっとドッグの腕から血が落ちていく音も。
「悪いなキャット、片腕やられちまってるからよ。援護はお前に任せるぜ」
「それは構わないけど、出血やばくないか、それ。一旦引くのも、」
「そしたら警備はもっと厳しくなってるだろうし、せっかくモンキーが援護してくれたのも無駄になっちまう。今ここで混乱が起きていることもな。んじゃ行くぜ青少年っ」
血まみれのコートを一気に脱ぎ捨てて、ドッグはコンバットスーツで人波に入っていく。俺も仕方なくそれに続いたが、コートの血は尋常じゃなかった。モンキーに治療ができるのだろうか、不安に思いながら俺は気付いて銃を向けてくる奴らを撃っていく。
そしてメインコンピュータールームと思しき場所にたどり着くと、全員があんぐりと口を開けていた。
モンキーの放ったミサイルは、的確に、実に的確にメインコンピューターを破壊していたからだ。
と同時にアラームが鳴り、バックアップが破棄されたことが知らされる。ひゅぅっと口笛を吹いたドッグの身体がかしぐのに、俺は慌ててその身体を支えた。人波に逆らって負んぶしたその身体が冷えていくのを感じる。死んでしまうんじゃないだろうかと胸に冷たいものが走ったところで、ありえないと俺は確信する。この人はこんなところでこんな死に方をする人じゃない。じゃあいつどんな死に方が似合うんだ?
――死ぬのが似合う人間なんていない。
「モンキー、目標は鎮圧出来た、ありがとう。ところでドッグが被弾して死にかけてる。手術の用意をお願い」
『死にかけてるぅ? 目測出血量は』
「八百cc。外に出たからちょっとは冷えて止まりつつあるけれど、呼吸は浅い。意識も今はないみたいだ」
『チッ、回天をそっちに回すから最短距離で帰ってこい』
「ラージャ」
俺は最近鍛えるようになった足腰でドッグを担ぎ直し、回天が頭を出している氷の上を走り抜けた。
「この馬鹿野郎!」
キーンッと密閉された室内に響く怒鳴り声に、さすがのドッグも肩を竦めてしゅんとして見せる。モンキーがこんなに声を張るのを見るのは初めてで、俺はそれが珍しくて思わず立ち竦んでいる振りをしてしまう。
「出血量九百cc、貫通銃創だったから穴塞ぐだけで手術は終わったが、盲管銃創だったらストックしてる血液が足りなくなるところだったんだぞ!? いくら定期的に自己輸血用の血液取ってあるからって、無茶しやがって! キャットがいなかったらどうなってたと思うんだ、この馬鹿野郎!」
「死んだら死んだで私の自己責任だろーよ。んな怒鳴るなよ、唾飛んでくせぇし」
「馬鹿言ってんじゃねえ! 俺の目の黒いうちは絶対お前を死なせないからな。覚えとけレベッカ!」
輸血用の血液をつるしながら座っているドッグに背を向け、モンキーはどたどたと足音荒く自室に戻っていく。
「……久しぶりに本気で怒らせた」
ぺろっと舌を出して俺を見るドッグには、何の悪気もない。悪気がないのが一番性質が悪いんだ、ふうっと俺は息を吐いて彼女のちょっと乱れ気味の髪を見下ろす。旋毛の多い金髪は、手術で寝かされてた所為もあっていつもよりぴょいんぴょいんとあちこちに跳ねていた。
「レベッカ、って?」
「ああ、私の本名。レベッカ・アドモア。他の奴は個人情報だから教えてやんないけど」
「苗字とかある人だったのか……」
「木の股から生まれたんじゃねーんだから、あるにはあるさ。もっとも第一次機動課解体の時に戻ってこいって言われたの断って以来、帰ってねーけど。年に一回ぐらい家族に電報は打ってるって感じかな」
俺は木の股から生まれた扱いなのだろうか。まあ外れてもいないが。人工授精に代理母出産だしなあ。一応人の股から生まれてるが、遺伝子は色々弄られまくりだ。『ナンバーズ』だから名前すらない。苗字なんて言うべくもない。だから出自がしっかりしている証であるそれがあるのはちょっと羨ましかった。ハチローもトムキャットも名前で、苗字ではないから。
機動課。そんなに居心地の良い場所だったんだろうか、そこは。彼らにとって。だから今でもつるんでいる仲間がいるのだろうか。どんなに危険な戦場でも。今回みたいに死に掛かるようなことがあっても、ケロッとしているぐらいに。ケロッとしていないのはむしろモンキーの方だった、って言うのも、俺には驚きだったけれど。いつも飄々としてマイペースなのに、仲間の生死には敏感なのか。本当に、驚きだった。オペの速さもそうだけど。ものの二十分で終わったんじゃないだろうか。まあ、縫って輸血すれば良いだけの手術だとはいえ、手術は手術だ。盲管銃創だったらやばかってぐらいの、手術。しかしそんな技術も持ってるとは知らなかった。頼んでおいてなんだけど。南極基地まで連れてくだけかと。南極にも俺たちの基地はある。誰のものでもない大陸だからこそ、どこの国も基地を作っている。どこの組織も、基地を作っている。
自己輸血用の血液は二か月に一回成分献血の要領で行っているものだ。あとは冷凍保存して、一年ぐらいを目途に捨てるらしい。だから今回は本当に危なかったんだけれど、本人にその自覚がないんじゃモンキーだって怒るだろう。俺だって少しは窘めたい気分だ。目標撃破したんだから良いじゃねーか、などと言っているのを聞くと余計に。
「ドッグ、それ以上ブーブー言ってるとモンキーの代わりに俺がげんこつ落とす」
「げっお前も私の敵かよキャット」
「敵じゃないから落とすんだ。自分の身体は大事にしないとだめだ。戦力とバックに溺れているようじゃ危なっかしい。自己防衛もできないなら、それは戦場に出るべきじゃない兵だと俺は思う。捨て身で何かを得ることなんてできない。常に自分の安全を考えていられるようでないと、それはただの無謀でしかない。だから」
びし、と俺は医療室のドアを指さす。
「早くモンキーに謝ってくると良い。そしたら夕食はラットに習ったビーフシチュー作るから」
「まじで!? じゃあしっかたねーなー!」
つられる『振り』をして立ち上がり、まだ貧血を起こしている身体をぽすんと支える。軽い身体だった。これで二丁拳銃で敵線を突破していくんだから、モンキーの心配も解ろうものだった。処置のために破かれたコンバットスーツから下着がちらりと見えて、ちょっとどきりとする。女性兵士を辱める手段は山ほどあるとは、シープに習ったことだ。だから守れ。言外にそう言って笑った。よろよろ歩いていくドッグの背中に、今度は止血用のゴムチューブも持ち歩かないとな、なんて思う。
しばらくはほっとこう、とりあえず。俺は台所に向かい、ラットに入隊祝いだよーと貰った圧力鍋に、これまたラット牧場で牛を一頭潰したときに出た肉と水、玉ねぎに人参、マッシュルームを入れる。そうして火に掛けて、あとは圧が掛かったら火を止めてしばらく放置だ。ルウを入れるのはそれからで良い。しかしそろそろ冷蔵庫の中身が乏しくなって来たな。次の基地で補給申請出しとこう。じゃないとあの缶詰飯に逆戻りだ。それは避けたい。是が非にでも。
鍋に圧を掛けている間に俺は取り敢えず、短銃の扱いをおさらいしておこう。ライフリングよりもこっちの方が機会も多い。ベレッタからパラフィン弾を出し、実弾に代える。そうしてヘッドホンをつけて耳が馬鹿にならないようにしながら、静止目標と活動目標を入れ代わり立ち代わりにしてみた。
とりあえず全弾命中したので、台所に戻ると、ドッグとモンキーがけらけらとダイニングで談笑していた。
俺に気づいて、お、っと顔を上げる。
「圧掛かってたから鍋の火は落としといだぜー。って言うか加圧中に目ぇ離すなよ、危なっかしい」
「くっく、お前より危なっかしい奴なんていないと思うけどねぇ? ドギーちゃんよ」
「ああ? パラフィン弾でも至近距離で当たるといてーぞ?」
「はいはい、分かってますって。もっとも今のその体幹状態で撃ったら吹っ飛ぶのはお前の方だと思うけれどねえ?」
「試してみるか?」
「遠慮遠慮。んー、牛肉のいい匂いがしてきたねえ」
「あー、鼻が幸せー……玉ねぎ入ってると甘みもあって丁度良いんだよなー」
「中毒は起こさないのかい? ドッグ」
「目標をセンターに入れて……」
「はい撃たないでね。ほんっと、ジョーダン通じなくてやんなっちゃうよ、お前は」
「お前ほどじゃねーよ。基地に着いたらキャットに洗ってもらえよ。普段の臭さに血生臭さプラスですっげえ悪臭だから」
けらけら笑い合っている二人は、俺が練習している間に仲直りしたらしい。
ホッとしてしまうのは、この二人が俺にとっては家族のように慣れ親しんだ人たちだからだろうか。
家族の不和は怖い、なんて、考えたこともなかっただけに、自分のその発想にこそ俺は驚く。
家族。
もしかしたら機動課も、そんな感じだったのかもしれない。
いつか未見のタイガーやスネーク、ボアたちに会ったら、それも解るだろうか。
名前しか知らないバードやラビットやドラゴンとも。
思えば機動課の半分とは面通し済みなんだな、と思うと、本当に俺はその中で異色の『猫』なんだな、と思う。
年も下、戦闘力も下、生まれもアレだし、馴染めていないところが結構あったりもする。
まあ俺は機動課じゃなくて、『シープ機関』の人間だからそれで良いんだろう。それが俺の個性なんだろう。機動課とは違う由来を持つ兵士、おこがましいことを言えば家族、そう言うものなんだろう。
そうとでも思っていなければ、この人たちと暮らしてはいられない。
「あー、戦場でラット料理食べられるとか幸せー」
「ほんっと、キャットは良い子だなー。これ習って来るってチョイスがまず良いよ」
「撫でないで、ドッグ。傷が開くよ。だって前に牧場に行った時、二人ともお代わりしまくりだったから」
「「そうだっけ?」」
「……二人って結婚してるの?」
ぶっと吹かれる。
汚い。
「してねーよ、なんで私がこんなフケくせえおっさんとデキなきゃなんねーんだよ!?」
「いやいつも呼吸ぴったりだから」
「惰性だ惰性! あーもう、お前までホースみたいなこと言うなよな!」
「ホースにはなんて?」
「くっく、熟年夫婦」
「あー……」
「納得してんじゃねえよ!」
ハロー、アンネ。今の俺は南極にいます、と言ったら驚きますか? 軍事衛星の打ち上げ阻止が主な任務だったのですが、それよりも負傷したドッグとモンキーの言い合いに持って行かれたような気がします。二人は普段はそれこそ犬猿の仲、という感じなのですが、いざという時には息の合った呼吸をするので、本当は仲が良いんじゃないかと思って
「私たちのどこが息合ってるってんだよ、キャット」
「どうみてもそうだろ……」
「いーからここ削除削除! いっそ文通じゃなくメールにしてみっか? シープ検閲付きの」
「アドレス知らないし、肉筆の方が心がこもってるって前にモンキーが」
「中学生め! この中学生め!」
「まあ、ヤンキーのお前に言わせりゃ中学生かもなあ? くっく」
「誰がヤンキーだ。てめえ表出ろ」
「この水圧じゃ死んじゃいますー。っと、そろそろ基地か? イリアス」
『Yes、マスター・モンキー』
「喋った……」
「モンキーとシープには音声認識で答えるぜ、こいつ。私の事いまだに覚えないのはムカつくけどな」
「何せ賢い子なんでねえ」
「どーゆー意味だよ、ああ?」
「そのまんまの意味! くっくっくっ」
います。この二人との付き合いは二年近くになるけれど、いまだに分からないところの多い二人です。寝食共にしてるのになあ。二年も。もしかしたらアンネよりよく知っているかもしれないのに、本当のところは謎だらけです。シープやホースもだけれど。とりあえずドッグの怪我が治るまでは南極基地詰めになりそうなので、ペンギンの写真でも送っておきますね。案外大きくて怖いです、種類によっては。ひげペンギン(くちばしの濃いやつです)とかは可愛いんだけれどな。名前も姿も。いろんな写真を撮って送ろうと思うので、また。
親愛なるアンネ・コルンブルーメ・フォン・フォーグラーへ。
トムキャットより。
「……レベッカ」
「ん」
「怪我はするな。こんな稼業しといてなんだけど、今回みたいな怪我はやめてくれ。本当に、心臓潰れるから」
「悪かったよ」
「ベッキー」
「それは『私』の名前じゃねーな?」
「……レベッカ」
「うん」
「レベッカ。レベッカ……」
「うん。分かったよ。気を付ける。皆無に出来るとは言わねーけど、気を付けるから」
「うん」
「だから、泣くなよ」
「……うん」
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