第5話

 任務が重なると休暇も用意されるのがこの組織――と呼んで良いものか――の良い所である。夜の埠頭、久しぶりに足を付けたのは日本だったが、本州ではない。南国リゾートというのも悪くはないが、秋頃のこの季節、もっと魅力的なのは動物とのふれあいだろう、というシープの方針で、俺たち一行――シープにホース、ドッグにモンキー、俺――は北海道にある『ラット』と『カウ』が営んでいるという牧場に遊びに行くことになった。万全を期して全身消毒をされたときは何事かと思ったが、変な細菌を持ち込まれても困るという正当な理由からだったので、甘んじて受けることにした。豚コレラとか狂牛病とか鶏インフルエンザとか怖いもんな。うん。

 そう言うわけで相変わらずMWの手に乗ってちょっと寒くなって来た北海道の秋、ラット牧場に俺たちは来ている。

 牛は相変わらずでかくて暖かい。羊は手がどこまでも入っていく。搾りたての牛乳はちょっと腹に来るけれどうまい。そして間が悪く見てしまった出荷の……出荷の際の牛の泣く目……! お肉になっちゃうの? って泣く目……! あれはあかん。俺みたいなのには特に感情移入が過ぎてこっちまで泣けてくる……! 牛。生きた牛に抱き着いてぐずぐず泣いていると、空気の読める動物である牛は俺の顔をべろんっと舐めてくれた。臭いと言えばそうだが、その気遣いが嬉しくて、また泣けてくる。と、ホースに見付かった。うおっと驚かれたけれど、特に弁解はしない。牛の優しさに泣いたなんて言えもしない。

「ああれれ? キャット君どーして泣いてるのっ?」

 ラット――今はその名も昔だそうだが昔馴染みはみんなそう呼んでいるので俺もそれに倣う――に見つかると、きょとんっとした丸い目で見詰められる。彼女は事故で頭を強く打ってしまい、脳に損傷があったのをナノマシンでほぼペグ化し、鼠並みの空間把握能力を得たのだという。牛舎や牧場でもそれは発揮されていて、例えば出産で腰を抜かしてしまった牛を見つけるのが早いとか、出産間近の牛が解るとか、それは便利だそうだ。天職だよねえ、と言っていたが、力仕事は夫のカウ任せだし、新商品開発も同様だそうだ。今は娘さんとキャラメルを作ろうとしているらしい。堅実な夫と子供に囲まれて、ラットは奔放だった。って言うか歳下にしか見えないのに三十ちょいって言うのが驚きだった。ドッグもだけど。事故で下垂体も潰れているので成長が遅いのだとは、シープに聞いたことだ。そしてその事故でラットを守るためにカウの左手が切断されペグになり、揃って機動課配属になったとも。ちまんっとした顔にのぞき込まれて、いえ、と俺は鼻をすする。

「さっきの牛の出荷見ちゃって、ちょっと」

「あーうちの牛は泣くからねえ。愛情いっぱいに育てたって自慢にもなるけど、うちの人とかホース君とかキャット君にはしんどいものがあるかー」

「ホースも?」

「共振感覚ってのかね。まあ、ちょっと影響を受けやすい。その分シープちゃんが何を求めているかとかはわかるから良いんだけどね。ちなみに今は羊にモフモフされて幸せいっぱいだから、邪魔しないように出て来たところ。しかしそうか、たしかにキャットと似てるっちゃ似てるな」

 確かに、求められていることが解るのも性奴隷として作られた俺たち『ナンバーズ』の特徴と似ている。馬はグルーミングなんかで相手をわかり合ったりするらしいと、モンキーからもらった動物図鑑にも書いていた気がする。ようは過剰に気づかいしてしまうということなのだろう。大変な人だ。そう言えば結局と気になっていたことを尋ねてみる。

「シープとホースはお付き合いしてるのか?」

 ブッフーとラットが吹き出し、ホースが真っ赤になった。おお、これは、見慣れないレアな顔。

「機動課以来十年下僕やってるよーなもんなのに、お付き合いを尋ねられるって……相変わらずなんだねえ、ホース君たちって」

「退職後子供六人産んでるお前に言われたくないよ、ラット。ほんと鼠算だな。シープちゃんは俺の子なんて産んでくれるつもりもないみたいなのに……」

「生んでほしいんだ」

「そ、そりゃ、一人くらいはなーって」

「一人くらい何のお話かしら、ホース」

 牛舎の入り口に背を預け、シープがにっこりと笑っている。

 あ、これ詰んだな、と俺はそっと牛の陰に隠れた。

「ラット、私はちょっと仮眠させてもらうからいつもの部屋にいるわね。羊たちに埋まっていたらなんだから気持ち良くなってしまって……あふ。そこのおバカさんも、一緒に寝たいなら来て良いわよ。ただし触れるのは指一本までとするけれど」

「指一本でも触らせてくれるなら一緒にお昼寝しますッ……あーシープちゃんてば髪くるっくるでかわいーなー、髪に懐くのはアリでありますか局長殿!」

「好きにしなさいな。ただし私の眠りを妨げた場合は蹴り出すわよ」

「はーい!」

「あいっかわらず仲良いなー二人とも」

 くふくふ笑いながらシープの背中を追いかけているホースの様子は、むしろ犬だった。忠犬か、と思ったところでそう言えば肉食獣ゾーンに行った二人はどうしているだろうと思い出す。ラット王国はさまざまな動物がいるが、ケガをした場合は自己責任なのだ。ライオンから乳牛まで各種揃っているし、爬虫類館もあるぐらいだけど、毒蛇なんかもいないではない。まさかこんなところで命を落としてはいないだろうがちょっと心配になったところで、あはははははーと笑いながら近付いてくるのはドッグの声だ。よし、一人生存確認。

「やっぱライオンってすげーなあ、メスが狩りに行ってる隙に雄にヘッドロックかましたら暴れるのなんのって! さすがに御するのに時間掛かったけど最終的にはお手してくれるようになったぜ!」

「動物虐待案件!?」

「あははードッグは新しいオスが成人すると毎回やってるよー。野生の王国の王者だね! チーターには逃げられて敵わないらしいけど、殆どの動物はCQCで落としていくよ」

「使えたのか……」

「モンキーと暮らしてっと必要になるからな。あいつ寝起きわりーし、くせーし、重いし。最近は筋肉付いてきたキャットがやってくれっから私の仕事も減って楽になったもんだぜ」

「毎回垢すりで引くけどな」

「そこまでやってるんだ。すごーい、あのモンキーに合わせらる人がいるってだけで十分凄いと思ってたけど、お風呂の面倒まで見られるなんて優秀だねー。キャット君、えらいえらい」

 赤い髪を動物のようにぐちゃぐちゃ撫でられると、自分も犬になったような気にさせられる。また犬か。この牧場には人を犬にする力があるのかもしれない。あるいはラットに。にこにこ笑う様子は娘さんと言えそうなのに、これで三十過ぎかあ。カウとは幼馴染らしいけれど、距離が近いと気にならないものなのだろうか。職場も同じだったし今となっては夫婦だし。俺は逆に気まずいと思うんだがなあ。ハナ――じゃなくて、アンネとそういうのも、だからあまり考えられない。というと、中学生だ中学生だと言われる。これでも通信教育で高卒の資格を取り、今は大学の勉強もしてるだけに、それは失礼だと思うんだが。ちなみに戸籍はシープが適当に作ってくれた。俺たちにはそういうのがないから、免許証の偽造なんかで大いに役立っている。名前はテキトーだけれど。ハチロー・トムキャットとか。この名前からは逃げられないのかなと、思うとちょっと憂鬱だが。と考えているとまた牛に顔を舐められた。俺はミルクじゃないんだが、と思えどちょっと嬉しい。

「そーいやモンキーはどしたの、ドッグ」

「爬虫類館でアオダイショウと真剣ににらめっこ始めたから捨ててきた」

 蛇とにらめっこって何したら勝ちなんだろう。

 そうこうしている間に時間が過ぎ、夕飯はビーフシチューだった。とっても複雑な気分にさせられる献立だったが、食べてごちそうさまをするまでが酪農ってやつだよ、と言われて、二十人掛けのテーブルの半分以上を占拠して食った。って言うか凄いな。女の子はみんなラット似で小ぢんまりしてるし、男はみんなカウ似でどっしりしてる。みんな俺より年下のはずだけど、長男君なんか下手すると年上に見えるぐらいだ。

 そして元気な酪農一家にとって一番珍しいのは人間という生物らしく。

「キャットお兄ちゃんの髪は何で赤いの? 染めてるの?」

「いや、地毛だけど」

「外国の人の血が入ってるの?」

「まあ、入ってるかもなあ……」

「でも赤って劣性遺伝じゃなかったか? 目は黒いのに、変わってますね」

「三対一で劣性も出るには出るからなあ」

「メンデルの法則! この前習った!」

「よくおぼえてるな、いーこいーこ」

「きゃははっキャットお兄ちゃんの撫で方お母さんみたいー!」

「撫でまわされて覚えたんだよ。お前らも自分の子供や動物こうやって撫でるのかもな」

「でもお父さんみたいにペグ化してないから噛まれたら指持ってかれちゃうよー」

 カウは左手をペグ化している。だから家畜に薬を飲ませる時は力技になることも多いとか。

 のほほんとした空気の中で、シープがまたこくりこくりと舟をこぎ出すと、すかさずホースが肩を出してその枕になる。ツーカーって言うんだっけ、こういうの。それともホースの言うところの共振感覚のせいだろうか。割と奔放そうに見えて気遣いを忘れない、彼は良い人なんだろう。少なくともシープや俺にとっては。ドッグとモンキーはビーフシチューのお代わり合戦でこっちの事見てやしないし。って言うか他人の家の飯を貪るな。やっぱり俺もうちょっと料理できるようになった方が良いかもしれない。ラットにレシピ書いてもらおう。後で。

 ぶももももも、とバイクのような音が響くと、ハッとラット家が静かになる。

「牛のお産だ。お父さんは小屋に見に行って、子供たちはぬるま湯沸かして! お客さんたちは見学に来ても良いけれど消毒は忘れずに!」

 ラットがいきなり酪農家の顔になるのに、カウは黙って立ち上がる。子供たちもてきぱきと動き出したので、ホースとシープを除いた俺たち三人はお言葉に甘えて消毒シャワーを受けてから牛小屋に入った。カウが引っ張り出しているのは後ろ足、牛でも逆子ってあるんだろうか。子供たちがぬるま湯の入ったタライを持ってきて、牛の下に置く。ラットとカウはんーっと力みながら足を引っ張っていた。やがてそれがすぽんっと抜けて、子牛がタライに落ちる。ばっしゃん。カウは呼吸の確認をして、ラットにOKサインを出す。ラットはまだ息の荒い牛の乳を露出させて、そこに無理やり子牛の口をつけさせた。ごくごくと少し零しながらもそれを飲んでいく子牛と、立ち上がろろうとする母牛。子牛はタライから出されて藁をくっつけられ、こちらも必死で立とうとするのを、カウとその子供たちはじっと見ている。手助けはしないターンらしいが、こっちがハラハラして、無駄に敷き藁を子牛に掛けてやってしまう。寒くないように。凍えないように。

 やがて子牛は立ち上がり、腰が抜けずに立ち上がった母牛について牛乳をごくごくと飲む。ほっとした瞬間は、全員同じだった。

「オスかー、お肉一直線だけど、それまでは愛情たっぷりに育ててやるんだからねっ。覚悟しろー、うりうり」

 頭と頭をくっつけて、ラットが言う。

 オスは肉一直線なのか。そりゃそうだろうけれど。

 男でも女でも性奴隷一直線だったはずの我が身を振り返ると、それは気分の良いものではなかった。

 交配して生まれさせて愛情たっぷりに育てて、そして出荷。

 気持ち悪い。

 気持ち、悪い。

「あれ、キャット君大丈夫? 顔色悪いよ?」

 ひょこんっとラットに覗き込まれて、大丈夫だと示すようにこくこく頷く。吐き気がばれないように。自分たちと重ねてしまっていることがばれないように。俺たちも同じだったと、ばれないように。

 ラットたちにはまだ、俺が『ナンバーズ』出身であることはばれてないはずだ。シープが伝えているかもしれないけれど、畜産のように生まれさせられた俺たちの事は知りもしないだろう。最低限の知識。最低限の従属性。最低限の容貌。それは牛たちに求められるのと同じようなものだ。

「ちょっと刺激強かったんで、俺も部屋に戻ります」

「そ? 搾りたてのホットミルクでも持ってってあげよっか?」

「お願いします」

「はちみつは?」

「たっぷりで」

「りょーかいなんだよっ」

 背の低いラットにわしわしと頭を撫でられて、俺は牛小屋を後にした。

 ドッグとモンキーも心配そうにしていたけれど、気付かないふりをした。

 その方が、『ナンバーズ』出身の俺らしくないとも解っていても、周囲に気遣いできる状態じゃなかった。


 こんこんこんこん、と折り目正しい四度のノックに、どうぞ、と俺は答える。ラット牧場は泊りがけでキャンプ代わりに遊びに来る家族連れも多いので、家も大きめだ。普段は空き部屋が多すぎて掃除が大変らしいけれど、子供たちが手伝ってくれるから楽になって来てはいるらしい。てっきりラットかと思ってベッドに寝そべっていた身体を起こすと、いたのはホースだった。きょとん、としてしまってから、ほいよ、と渡されたホットミルクのカップを受け取る。惰性でそうしてから、俺はホースを見上げてしまった。日系にしては足の長い、腰の位置が高い人だ。否、そんな事はどうでも良くて。

「シープほっといていいのか、ホース」

「もうぐっすりだからダイジョブだよ、一度寝ると寝付きがすこぶる良いんだ、シープちゃんは。ラットが牛の出産見てたお前の様子がちょっと変だったからって俺に相談してきたんだけど――そうみたいだな。顔色悪いし、体幹ブレてるし。……自分たちの事でも思い出したか?」

「ッ」

 カップを持つ手が震える。中のホットミルクが揺れる。

「お前はもうハチローじゃない、トムキャットだ。って言っても、分かり切ってることだよな。それでも割り切れないのはお前の前半生による。じゃあどうしたら良いか。今後を楽しく生きるしかねーわな、それは」

「……人買って戦闘術仕込んだ人たちの言うことか、それ」

「自分を守るすべは大切だ、ってシープちゃんに習わなかったか? 武器を身に着けて扱えるというのは恐怖に対しての良いアドバンテージになる、ってさ。身体でもなんでも武器に出来るならそうしておいた方が良い。それで乗り越えられないのは己の精神力の問題だ。その時はSOS出して良いんだよ。アンネちゃんにお前や父親がいるように、お前にもアンネちゃんや俺たちがいる。な、キャット」

 頭をポンポン、と撫でられて。

 にかっと顔を寄せて笑われる。

 この人は戦場を経験しているのだという。

 だからってわけじゃないが、言葉は重かった。

 頷いてカップに口をつけると、ぬるめのホットミルクは美味かった。

 俺が猫舌なのを知ってる人の味だった。

「ホース」

「兄貴って呼んでも良いんだぜ?」

「いやホース」

「べ、別に照れなくっても良いんだぜ!?」

「いや」

 へにょんとしている肩に顎を預けて、俺は言った。

「ありがとう。みんな」

 どてばたと聞こえたドアの向こうの人たちにも、俺はやっぱり感謝すべきなんだろう。

 キャット。トムキャット。それが今の、俺の名前なんだってことを、ちゃんと分かっておかなくちゃな。本当。


 ハロー、アンネ。

 今俺たちは日本の北海道という場所にいます。酪農が盛んで、そこで農場を営んでいるドッグたちの昔の仲間を訪ねているところです。

 今日は牛の出産を見ました。自分たちの事を思い出してちょっと気分が悪くなったりもしましたが、今の俺がキャットで、君もアンネであることを思い出すと、ちょっとホッとしました。名づけられていない他の仲間たちの事も気になりますが、今は取り敢えずまだ自分の事で手一杯みたいです、俺も。

 試験管から母体に移された俺たちがどれだけ人間であるのかは分からないけれど――それは俺だけかもしれないけれど――それでも俺は、俺が俺である事を誇れるようになりたいと思います。その為には牛の出産を手伝えるぐらいにならなきゃならないな、なんて。まるで農場の子供のようなことを考えてしまいますが、自分で自分を育てたり、他人に育てられたりしていると、なんとなく俺は自分がまだ子供で、子育ての終わっていない子供でしかないのかと思ったりもします。

 でもそれで良いんだと思うと、不思議と心が軽くなりました。

 信頼できる仲間たちに囲まれて、多分今の俺は幸せなんだと思います。

 君もそうであることを祈って。

 親愛なるアンネ・コルンブルーメ・フォン・フォーグラーへ。

 トムキャットより。


「ん……ホース」

「何? シープちゃん」

「枕が勝手に動くものではなくてよ……探してしまったじゃない」

「はいはい。じゃあシープちゃんは着替えてもう今日は寝ようね」

「ん……面倒だからあなたが勝手にやってもよくってよ……ふぁ」

「指一本じゃすまないよ?」

「構わないから言っているに決まっているじゃない、馬鹿な人ねぇ」

「ふはっ、久し振りに人扱いされた。白馬から白馬の王子様に格上げ? 俺ってば」

「良いから早くベッドに連れて行ってちょうだいな。今にもぶっ倒れそうよ、私」

「うわあぶなっ! ……普段頭脳労働ばっかりだもんね、シープちゃんは。ホットミルク、シープちゃんのも作ってあげれば良かったね。明日はそうしようね、シープちゃん」

「ん……」

「あー寝顔も可愛い。さてと、ネグリジェ探さないとな、荷物から」

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