第3話
「なるほど。施設の仲間同士だったというわけね。これでフォーグラー卿がどうしてご令嬢の存在を隠していたのか解りましたわ」
シープの言葉に、卿はぐったりとしながら食堂の血なまぐさい椅子に腰かける。掃除は専門の業者が明日にでもやってくるそうだ。勿論、シープ経由で。
「最初は――興味本位だったのです。妻が亡くなって無気力になっていた私を、仕事仲間が面白いものを紹介してやろうと。それが人間オークションでした。だがシープさん、誓って私は彼女に指一本触れていません。その青い目が、コルンブルーメのような青い目が、妻にとても良く似ていた。だから競り落とした。その青が無残に傷つけられるのに耐えられなかったのです」
「ハナ」
「お父様は私を実の娘のように可愛がってくださったわ。こんな私を」
青い目を伏せさせ、ハナは言う。女児の競売は男児より早めだ。二次性徴が来る前に売りに出されることが多い。その方が楽しめるからだ。何を、とは、言うまでもない。俺たちは人工的に作られた、性奴隷なんだから。
だけどハナはそんな事もなく、暮らしていたのだという。財産を狙う連中にばれないように、秘密に秘密に。だが獅子身中の虫、執事がまさにそれだった。上級使用人は権限も大きいし、主人に意見することもできる。その中で何か勘違いをしたんだろう。自分の方が主人にふさわしいとか。財産をぽっと出の性奴隷に持っていかれるのはごめんだとか。そのまま勤め上げていれば将来は安泰だったろうに、人は博打をしたがることがある。彼がそうだった。一発逆転を望んでしまった。そして待っていたのは一生動かない両腕だ。適当に理由をつけて施設に放り込むことは出来るだろうが、監視は死ぬまで外せまい。いっそ舌を噛んでくれればハナにも良いんだけどな、思いながら俺はぎゅっと握ったハナの手に力をこめる。ハナも同じようにした。まるであの頃の繰り返し。手を握り合って生きていた、俺たち。身近に異性を置くことでそういう感情に対し潔癖にならないようにする、施設のプログラムの一環だ。
ハナが競り落とされたのは五年前、ドイツのオークションだったと思う。欧州中から客が集まっていたから高値で売れた仲間も多かった。ハナもその一人だ。確か一千万ユーロ。競り合いの末の桁上がりの勝利だった。そうしてさようならしたはずの手がまた握られているのは、幸福な偶然なのか、彼女にとっては思い出したくない過去なのか。握られている手は冷たい。末梢血管に血液が行っていない証拠だ。緊張している証拠だ。俺は邪魔者なのかな、やっぱり。彼女の人生にとって。彼女の未来にとって。
「本当に――手を付けるつもりなんてなかった。それは信じてください、シープさん。私はこの子の父親になりたかった。この子の知らない世界を見せてあげたかった。それだけなのです。本当に」
「そんな懺悔は私たちに不要ですよ、卿。the work is over、私たちの仕事は終わったのですから。ご令嬢を救い出す。それは終わっている。せいぜい若い二人にちょっとした時間をあげても良いかな、と言うところです」
「え?」
「ハチロー」
ぎゅっと両手で手を掴まれる。
「また、会える?」
俺はシープを見る。にっこりと笑っていた。ドッグを見る。にやにやしていた。モンキーを見る。盛大にあくびをしていた。勝手にしろということなのか。だとしたら俺は。
「俺もまた、会いたい。今度はアンネとしての君に」
「解ったわ、キャット」
「……君にそう呼ばれるとすごい複雑な気分」
「でも私がアンネになったように、あなたもキャットにならなくちゃ。そうじゃなきゃ、私たち、きっと何も変われないわ。どこにいても誰といても」
それは――
正論のように、聞こえた。
「んじゃお嬢様にはこれを上げよう。キャットの電話番号だ」
「え。ドッグ、俺電話なんか持ってない」
「はい。今、支給したわよ」
「今ッ!?」
ハナ――アンネは自分の携帯端末を取り出して俺の番号を入力していく。少し伸びた爪がかしゅかしゅ音を立てるのがちょっとおかしかった。つるつるでキラキラのヌーディカラーの爪。あの頃は許されなかったおしゃれをしているんだなあ。そう言うことを許してくれる人のところに引き取られて、本当、良かった。
そして俺の電話が鳴る。
「ハロー?」
ふざけて出てみると、アンネも笑った。
「ハロー、キャット。お元気?」
「まあ元気にしてる。昨日競り落とされていきなりの戦場だったけれど、生き残ったし君も守れた」
「そうね。ありがとう、キャット」
「どういたしまして、アンネ」
通話を切って、俺たちは顔を見合わせる。五年の間に俺の方が背が高くなっていたのにやっと気付く。同じぐらいだったのになあ。本当、この目がなくちゃ気付かなかったかもしれない。コーンフラワーブルー。赤毛の俺と掛け合わせてルビーとサファイアにしようという話も出ていたけれど、あの計画はどうなったんだろうな。もとは同じ石。不純物の配合の違いで逆の色を引き出す。俺たちはよく慰め合う関係だった。わからないけれど急にふっと不安の波が押し寄せて来ては、泣き出してしまう。情緒不安定な子供同士だった。
でもアンネは卿に引き取られてそれが無くなったんだろう。なら俺もこの人たちと一緒にいることで、そうなるのかもしれない。ショッキングなことばかりで大変だろうけれど。でも、今までよりはずっとましな人生を送れるような気がする。
「電話代はお給料から引くけれど、代わりに衣食住は回天の中にいる限りタダだから安心なさい、キャット」
「って、給料出るんですかこの仕事」
「命を危険にさらすんだもの、ある程度のリターンはあってしかるべきでしょう? 驚くようなことではないはずよ。あなたの今回の仕事には三百万の価値がある。素早く令嬢を助け出し、敵勢力も無効化した。ビギナーズラックも加算してこの額、一年は電話を繋ぎっぱなしにしてて大丈夫なぐらいよ」
くすくすシープが笑う。その指には小切手が挟んであった。
「それじゃあ私はこれを口座に振り込んでから、ウズベキスタン辺りを回って日本に戻るわ。ホースがその辺りにいるらしいから補給物資の宅配がてら会ってくるつもり」
「ラブラブだねえ。まったく」
「あらあなたたちほどではなくってよ、モンキー、ドッグ。それにキャットとフォーグラー嬢」
「私らはそんなカンケーじゃねえって何度言や解るんだ……まあキャットとご令嬢は、そこそこみたいだけどな?」
「えっ」
「あっ」
繋ぎっぱなしだった手を慌てて離して赤面すると、アンネもそうしたらしかった。若いっていいねえ、言うモンキーだって三十代前半ってところだから十分若いだろう。まったく意地の悪い、だけど嫌いになれない、仲間、たち。
俺は最後に回天に乗り込み、ぱたぱた、アンネに手を振る。アンネも見送りがてら出て来てくれていたから、ぱたぱた、手を振り返してもらえた。そしてフォーグラー卿も深く、深くこちらに頭を下げる。俺は潜水艦の蓋のようなドアを閉じて、自動でそれがロックされるのを確認してから、あてがわれている部屋に初めて入った。小奇麗なホテルのような一室は、窓がないぐらいの違和感しか覚えられない。とりあえずピンとシーツの張られたベッドにダイブすると、それはとても気持ち良かった。
途端。
ドアが乱暴に開けられて、ドッグが入ってくる。
「ドッグ? どうし、うわあっ」
無言で肩に担ぎあげられ、自分の細さと軽さを思い知る。潜望鏡と思しき機械の取り付けられた部屋に通されてそれを覗き見ると、フォーグラー卿が誰かに締め上げられていた。それは――車の横にいた、従僕で。
内通者は一人じゃなかったってことか。慌てて外に出ようとするともう沈んでんだよ、と言われる。
「一段落ついてからこういうのが出てくるのも初めてじゃねーからな。キャット、お前が狙撃しろ」
「でも、あんな重なったままじゃフォーグラー卿が危ないっ」
「でもやるんだ。この仕事の最後の決着はお前がつけろ。それがお前の『ここにいる理由』にも繋がる。大体ほっといたらフォーグラー嬢も殺されるぜ?」
「ッ」
その言い方はずるい。
俺は潜望鏡の横にあるトリガーが付いたそれを取る。潜望鏡の中に赤い十字が見えて、俺はそれを従僕の頭に合わせた。アンネが従僕に噛み付いて卿と離れたところを、素早くトリガーを引く。
胸に銃弾を受けた男は、ゆっくり倒れてドナウ川に沈んでいった。
「上出来」
くしゃくしゃくしゃっとドッグに撫でられて、俺はその顔を軽く睨み上げる。
「狙撃はドッグの仕事じゃないのか」
「私はどっちかっつーと短距離の短銃が専門でな。お前にクレー撃たせてたのもスナイプ技術の向上のためだ。事実上手く行ったろ? お前にゃ才能があるんだよ、どっちかっつーと狙撃のな。モンキーが超短距離、私が中距離だから、お前には長距離覚えてもらうぜ、これから。否とは言わせねえ。ご令嬢二回も助けてんだからな」
ぷるるるるっとポケットの中で電話が鳴る。
「もしもし」
『キャット!? 今従僕さんが暴れ出して、でも撃たれて――キャットがしてくれたの?』
うぐ。
にやにや笑うドッグの革靴を踏みつけて、うん、と俺は短く答える。
『良かった、またお父様が狙われなくて。本当に良かったぁ……キャット、ありがとう。ありがとうね』
短い通話を切ると潜望鏡は上に上がっていく。もう完全に川に潜ったってことなんだろう。足を押さえてひーひー言ってるドッグを一瞥して、俺はもう一度部屋に入る。そしてベッドにダイブする。二度目はさすがに張りがなかったけれど、気持ちはよかった。羽毛布団っていうのか、施設では毛布一枚だったから、珍しくて気持ちよくてうとうとして。
シープから買われて十二時間。
俺はやっと、安眠を手に入れた。
『朝です朝です朝ですよー!』
ドッグのハスキーな艦内放送に起こされて、俺はハッと現状認識を始める。変な女に買われれて。変な二人に預けられて、ハナ――アンネと再会をして。時間は七時を示していた。壁には一面世界地図――メルカトル図法だ、知識的には知ってる――が広がって、二重丸が大西洋の真ん中をぴこぴこ光りながら進んでいるのが見える。今はあそこにいるってことか、ふっと地図に触れてみると大量のビーコンがいきなり光ってビクッとした。クック、聞こえた声はモンキーのもの。そう言えばカギをかけていなかったと、パジャマに白衣、みつあみ姿のモンキーを睨む。おー怖い、なんて肩をそびやかすけれど、そんなことは微塵にも思っていないだろう。からかわれてる。さすがにムッとなるけれど、暖簾に腕押しな気がしてやめた。この人はそーゆータイプの人だ。ムキになった方が遊ばれる。ドッグみたいに。
「そこに示されるのは現時点で潜行してる潜水艦の位置でね。ブッキングしないようになってるんだ。うまく避けて潜って浮いてを繰り返す。うちの優秀なAI――イリアスちゃんの能力でね」
「――はあ。名前あったんですか。て言うかせめてノックして」
「そうだな、お前もアンネちゃんと同じ人権のある人間になったわけだから。悪かった。ところでそろそろ食堂行かないと」
『おーい朝だっつってんだろー早く食堂来ねーとぶっ殺すぞー』
ちゃきっと金属音がして、俺は慌ててドアを出た。は良いが。
「食堂ってどこの部屋だ!?」
「くっく、こっちこっち」
ぺたぺた裸足で歩いていくモンキーについて、俺も食堂に向かう。ぱしゅ、と自動ドアが開くと同時に――
パンバンッ
……二丁拳銃で左右の耳をすれすれに撃ち抜かれ、一瞬身体が固まった。
この人は。艦内で。何をやって。
「パラフィン弾だから死にゃしねーよ。やられるのが嫌なら五分前行動を心掛ける。あとモンキーはスリッパぐらい履いて来い」
「面倒だからねえ。掃除も自動式だし、危ないもんは落ちてないだろ」
「私が嫌なんだよ。水虫移されそうで」
「げっ」
「持ってねーよ失礼だなお前ら」
渡されたのは暖められた缶詰の非常食だった。非常時に食うのが非常食なんじゃないのかと思ったが、存外たくあんと赤飯が美味い。ドッグは箸を上手に使ってきれいに食べていた。モンキーは横着してフォークとスプーンだったが、残さないのは同じ。俺も頑張ってみるが、箸の使い方なんて習ったこともないので結構難儀した。が、飯粒一つ残さず食うことには成功した。偉い偉い、と頭を撫でられて。反応の仕方が解らず固まってしまう。
「こーすりゃ良いんだよ」
ナイトキャップのままの頭をドッグの手に撫でさせ、ぐりぐり懐くモンキーは、なんとなく幸せそうだった。そのあとぐりぐりと関節を立てて殴られて机に突っ伏したが。
「っていうか男二人、ミッションの後で風呂入ってねーだろ。ドライシャンプーでも良いからせめて頭は毎日洗え。二・三日おきぐらいに港にも着くから、その時はシャワー使え。いやーこれで地獄のモンキー洗いからも解放されると思うと晴れ晴れした気分だぜー、なあキャット」
「え? へ? 俺の仕事になるんですか?」
「いーだろお前ら同性だし、わしわし剥いて洗えよー。私は乙女の恥じらいがあるから上半身までしか手が届かねーんだよ」
「乙女の恥じらいねえ……くっく」
「ああ? 文句あんのかテメー」
「ないよ。ありません、くっくっく」
二人のやり取りは本当に気心知れた感じがして、ちょっと羨ましくなって、俺はちょっと笑ってしまう。するとドッグに頭を引き寄せられて、モンキーとダブルヘッドロックをかまされた。地味に痛い。頭蓋骨も間接だと聞いたことがある。となるとこれも関節技の一つなのだろうか、いで、いででででで。なんでモンキー笑ってんの。道連れができたから? だとしたら、相当に、性質が悪い。
「さてと、ごみ片付けたらキャットは私と一緒に銃の練習な。今度はライフルだから、次の寄港地でお前の体格に合ったオリジナルライフル作ってやるぜー。職人がな!」
「はあ……」
「遠距離射撃ができない場合も考えてCQCも覚えてもらう。そっちはモンキーに。午後三時からな。昼飯の後は休憩か仮眠入れてっからよ」
「イエッサー、サージェント……」
「サーでもサージェントでもねーっての。くははっ、お前面白いやつだな」
嗜みとして見せられた映画の文句が、ドッグのツボに入ったらしかった。あんまり嬉しくはなかったが、嫌われるよりは楽なので、放っておいた。ところでそろそろヘッドロックを解いてくれませんかね。その、あの、胸が当たってるんですが。そして俺は思春期の男児なのですが。赤くなってきた顔に、ああ悪い悪いととても謝っているようには思えない軽い謝り方をされる。モンキーは楽しんでいたようでちえーなどと言っているが、この人のこの性格は作って見せかけているようにも思えた。何か心の中に傷が見える。だから必要以上の馴れ合いは拒む。でもこのじゃれ合いは、楽しんでいる、ような――俺にはよく解らないけれど、そんな気がした。
笑い方まで同じになるほどの年月。ハナ――アンネと俺もそのぐらい以上の年月を同じ施設で過ごしたっていうのに、まったくそんなことがなかったのは、時折は男女分かれての訓練があったからだろうか。訓練。話術、話法、語学。おかげで俺はこの日本語の戦艦で、アンネはドイツ語の城で生きていけている。その辺りは感謝すべきなのかな。思いながら俺は自分たちがたどり着けなかった二人を眺めた。
射撃場は前の短銃用と違って縦に広く面積を取られていた。まずは静止物を落としていくが、これはノーミスでクリア。クレーも短銃での練習で慣れていたので、やはりノーミス。ふんふん、と頷くドッグの声がスピーカーから響く。
『お前はロングレンジが向いてるかもねえ、キャット。猫なのに鷹の目みたいだ。とびっきりのライフル作らせて、その後に練習をした方が変な癖がつかなくて良いかもしれない。午前のレッスンはここまでにしとこう。ちょっとした暇つぶしなら、短銃の練習もできるけど』
「いえ、寝ます」
『それはまだ早い。休息は食事の後の方が効果的だぜ? 日本の相撲取りとかがそれだ』
「寝ます」
『えー、ころっころ可愛いのにリキシ……』
あんな身体にはなれないだろうしなりたくない。潜水艦の入り口に詰まる。俺は肩から外したライフルを元あった場所に掛けて、部屋を出る。もともと大きい艦じゃないから自分の部屋を間違えることはなかったが……
ルームネームに『Kitty』と書かれてぶら下げられてるのには。ちょっと腹が立った。
ので、机で寝ているモンキーの鼻にクリップを付けた。
んがあっと声がするのに留飲を下して再度自分の部屋に戻ろうとすると、途中でドッグとかち合う。
グッとサムズアップされたので、俺もそうした。
午後のCQCのレッスンは、そこそこハードモードを食らったけれど。
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