第340話
イザーク兄様は真剣な顔で乗合馬車を見つめている。
「ミーシャ、馬車を買うのはいいが、御者はどうする」
その言葉に、一瞬、頭が真っ白になる。
「あー……イザーク兄様は……やったことない?」
「いや、無くはないが、私だけではな」
確かに、私はやったことはないけど、長時間の運転は車でも大変だった気がする。助手席専門でナビしかしたことなかったけど。
それをイザーク兄様だけに任せるのは、確かに大変だし、万が一の時、すぐに動けない可能性の方が高いか。魔物は私の力である程度は襲ってこないだろうけど……盗賊とかは、また別だものね。やたらと精霊王様に頼るのも……なぁ。
「そうだよねぇ……私もやったことないしなぁ」
大概、双子とかイザーク兄様と一緒に馬での移動だったしなぁ。
ここでも馬での移動にするか。いいアイデアだとは思ったのだが。
『ふむ、美佐江』
「何?」
そう言って不意に現れたのは、今日の担当の火の精霊王様。当然、ミニチュア版が、私の肩の上に座っている。
『もしよければ、この町に御者を任せられそうな者がいるようなのだがな』
「え?」
『私の信者……のような者たちなんだが』
「え、信者? まさか、エルフ?」
この国で精霊を信仰していると言うと、あの怪しいエルフしか頭に浮かばなかくて、思わず顔を顰めてしまう。ああ、どんどんエルフのイメージが……
『何を言っとる。獣人じゃよ、獣人』
「エルフじゃないの?」
『うむ、確かにこの町には数人、エルフはおるがなぁ、お前を任せられそうなのはおらん』
どうも、あの厄介そうな宿のエルフを見て、精霊王様たちでお話し合いが持たれたそうで。早速、この町の調査をしたらしい。
……『精霊王』なのに、イザーク兄様並みに過保護になってませんか?
「でもさ、エルフって、精霊を敬ってるって話だったよね」
『多くはそうだ。しかし、この町におるのは……あまり質がよくない』
眉間に盛大な皺がよってますよ?
その様子に、あんまり詳しくは聞いてはいけない気がした。
『とにかくだな、目星はつけてある。私の後をついてこい……そうだ、先触れを出しておこうか』
そう言うとすぐに、火の精霊王様よりも一回り小さくて、もう少し派手でない子が一人、ぽよんと現れ、ぺこりと頭を下げたかと思ったら、ヒュンッと消えてしまった。
『よし、あっちだな』
何やらご機嫌な精霊王様に、ついていって大丈夫なのか、逆に心配になる。
町の大通りを、スイスイと人の流れを縫うように動く火の精霊王様。しかし、誰もそれに気付かないっていう不思議。私とイザーク兄様にだけ見えるようにしてるって、凄いな。
「あ、痛っ」
私はイザーク兄様のマントの端を掴みながら歩いていたのだが、私よりも体格のいい男の子にぶつかってしまった。それでもマントの端を離さなかったせいで、イザーク兄様の方が引っ張られたことに気付いたようだ。
「ミーシャ!? どうかしたか!」
「ごめん、ごめん、大丈夫、それよりも、君……あれ?」
ぶつかった子の方が大丈夫かな? と思ったのに、その子の姿は、もうなかった。
「……まぁ、いっか」
私は肩をすくめると……イザーク兄様に抱えあげられた。おい、私はそんなお子様じゃないぞ!?
「……兄様」
「これなら、ぶつかることもあるまい?」
「いや、そうだけどさ」
中身おばちゃんには、ちょいとばかり……いや、かなり恥ずかしいんだけど。
『美佐江、イザーク、早くしろ』
「すみません」
「ごめーん」
呆れたような火の精霊王様の声に、私たちは同時に謝って、思わず、笑ってしまう。
『もう少しだから、早くいくぞ』
「はいはい……はぁ、兄様、お願いしますね」
「おう」
私たちは、火の精霊王様の後を追い、港の方へと向かうのであった。
…… イザーク兄様がご機嫌だったのは言うまでもない。
* * *
港町の裏町には、表通りに出てこないような連中が、いくらでもいる。
薄暗がりの中をニヤニヤしながら歩いている子供もその一人。
先ほど、ミーシャにぶつかった子供だ。
「やったね、こんな上等な髪飾りだったら、親分も喜んでくれるかな」
ミーシャはまだ気付いていないが、あの忌々しいエルフに渡された髪飾りは、この子供によって掏られていた。
「いくらぐらいになるんかなぁ」
掏りの頭に渡す時に、盛大に褒められることを期待しながら、子供は裏町の舗装されていない道を嬉しそうに走っていった。
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