閑話
イザーク・リンドベルは聖女を想い、行動する
レヴィエスタ王国の王宮の廊下に、カツカツと足早に響く靴音。その足音の主は、近衛騎士団副団長のイザーク・リンドベル。彼の目には、怒りと焦燥、そして確固たる意思があった。
そして、彼の手には、少し前に届けられたオズワルドからの報告書が握られていた。
オズワルドはしばらく前から、オムダル王国の王都に単独で潜入していた。目的は、新興宗教、ハロイ教に関する調査のため。精霊王からの情報の裏をとるという意味もあった。
実際、オムダル王国の貴族の中にも、信者が増えてきているらしかった。中でも、ハロイ教で認められた『聖女』、トーラス帝国のアイリス・ドッズ侯爵令嬢の存在感が増しているという。彼女の美しさに加え、帝国からの亡命ということが、周囲の同情をかっているようだ。レヴィエスタの学園での醜聞は、オムダルまでは届いていなかったらしい。
そんなアイリス嬢が、最近、よく王宮に出入りするようになったという。お相手は王太子であるガイウス王子。既に、婚約者候補として名前まで上がっていた。
オムダル王国で勢いのあるハロイ教の信者たちの、リンドベル領への流入と、不穏な動き。それと同時期に起こった、リドリー伯爵家での怪事件が繋がってくる。
事件のきっかけと思われる、リドリー伯爵令嬢の逃亡を手助けしたと言われている近衛騎士が、ハロイ教の信者だったことは、すぐに確認がとれた。近衛騎士の実家である伯爵家に、多くの信者が出入りしていた姿が目撃されていたのだ。そして、伯爵自身も、ハロイ教の信者であることを認めたのだ。
黒い瘴気にまみれた人だったモノにまで堕ちたリドリー伯爵令嬢。彼女をそのような存在にしたのは、何者なのか。それがどういった経緯だったのかまでは、誰も知りようがなかった。
リドリー伯爵令嬢の動きだけを見れば、単純にリンドベル辺境伯夫人、ジーナへの怨念と思えるが、リンドベル辺境伯が妻を溺愛しているのは周知の事実。
リドリー伯爵令嬢を使ってリンドベル家への揺さぶりをかけ、隙が出来たところで、『聖女』ミーシャへの接触を計る。それがハロイ教の目的ではないか、というのが、リンドベル家での大方の予想であった。しかし、イザークの頭には、接触だけではなく、誘拐、暗殺、など、最悪なことが頭をよぎる。
ミーシャの側には、この世界でも最強ともいえる精霊王が護衛としてついている。頭ではわかっていても、肉体的なことだけではなく、精神的なことでも、彼女が少しでも傷つくことがあるのではないか、と不安であった。
そして、万が一、彼女が傷ついた時に、他の誰かが側にいたら、その者が彼女の心の隙に入りこんでしまったら。そう思っただけで、イザークの胸は苦しくなった。
彼女を守り支える、それはいつでも自分でありたかった。
しかし、今までの自分は、国を、役目を優先して、いつも彼女の側にはいられなかった。むしろ、彼女に助けられることすらあったことに、忸怩たる思いになる。
彼の手に握られている書類の一番下。そこには辞意の書面が密かに加えられていた。
すでに、死んだ近衛騎士の後任は決まり、引き継ぎ自体も済んでいる。最近の第三王子、リシャールは、新しい恋に夢中だ。そのお相手である婚約者のレジーナ・シェンカー侯爵令嬢が、しっかりと手綱を握っているおかげで、護衛たちも安心しているらしい。
イザークの後輩たちも育っている。自分一人が抜けたとしても、レヴィエスタ王国の近衛騎士団は、問題などない、と自信を持って言えた。
騎士団長の執務室のドアをノックする。
『誰だ』
「イザーク・リンドベルです」
『入れ』
イザークは意を決して、ドアを開けた。
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