第260話

 聖女の浄化の力っていうのが、魔物にしか使えないっていうのが、こういう時に嫌というほど思い知らされる。魔物は近寄っては来ないけれど、人間は違う。


 ――悪意のある人間には、聖女の力は効かない。


 人間の方がよっぽども質が悪い。つくづく、そう思う。

 船に軽い振動があった。海賊船がぶつかってきたのだろうか。いよいよか、と思うと、少し緊張する。

 いつもだったら、結界を張る時は遮音にしている。だいたい結界を張るのは寝る時くらいだし、余計な音は不安になるし、眠れないから。しかし、今は、双子が外に出ているし、どういった状況になるのか、わからない。

 水の精霊王様もついてるし、双子のことだから大丈夫だって思うけれど、心配に思うのは止められない。私は地図情報を開いた。


「うっわっ、何これ」


 この地図情報は立体表示は出来ないのが難点。船の全体像の中、赤い点の集団が船の先端部分にかたまり、うじゃぁっと船全体に広がろうとしている。なんだろう、シロアリとかみたいな虫が、わじゃわじゃいるのを連想する。何人くらい乗り込もうとしているんだろうか。

 その広がろうとしている先端の赤い点が、段々減ってきているのは、双子たちだろうか。かなりのハイペースに、嬉々として飛び回る双子の姿が想像出来てしまう。

 この船に乗っている旅客たちは、多くの護衛を抱えた者も多かった。きっと他の護衛たちも、頑張ってるんだろう。思ったよりも、客室が集中している後方にまでは、あまり多くの赤い点は見当たらない。それに、この船自体にも専任の護衛がついていると言っていた。


『……っ!!』

『!!!』

『逃がっ……!』


 ドタドタと走りまわったり、ドガンドガンと何かがぶつかったり、破裂したりするような音が聞こえてくる。こうも激しい戦闘の音が聞こえてくると、大丈夫だと思っていても、段々と不安が増してくる。地図上は、この船室付近にも赤い点が見えているけれど、たぶん、これは甲板上だ。


「でも、我慢、我慢よ……」


 船室をウロウロしながら、ドアへ目を向け、ため息をつく。時々あがる叫び声が聞こえるたびに、身体がビクッとなる。魔物の断末魔の叫び声とは違って、人のそれは私の心臓を締め付けるようなモノに感じてしまう。ドラマや映画のそれとも違う、鬼気迫る声。


 ――ガンッ、ガンガンッ!


 突然聞こえてきたのは、嵌め殺しの窓のガラスを叩く音。そこにいたのは、薄汚い格好をしたボサボサ頭の醜い男。ここがこの船で一番いい場所だと目星をつけて来たのだろうか。実際、ここがこの船の中で最上級には違いない。

 上からロープででも降りてきたのだろう。片手にこん棒のような物を持っている。鍛え上げられて盛り上がった筋肉で、窓ガラスを割ろうとしているようだけど、私の結界がガラスにも反映しているのか、ヒビ一つ入らない。

 男と目が合った。ニターッと嗤う男に、嫌悪感が溢れてくる。

 男は窓ガラスを叩くスピードをあげたけれど、割れないガラスに苛立ちのほうが勝ってきたようで、顔が段々と歪んでくる。


『……ッ!!』

『うるせぇっ!』


 上から誰かに呼ばれたのか、男は見上げながら叫び返している。


『………』

『割れねぇんだよっ、どうなってんだっ』

『……!』

『畜生っ、オラッ、小僧、てめぇ、絶対殺すっ』


 野太いだみ声が結界越しに聞こえてくる。男の言葉に恐怖を感じるべきなんだろうけれど、私は怒りの方が勝っている。昔に比べて、精神的にタフになったのだろうか。

 逆にこっちがニヤリと嗤う。


「『スリープ』」


 結界越しに魔法が使えるのか、試したことはなかった。効けばラッキー。


『あ?……はぁらぁぁぁっ……』


 変な声をあげて、掴んでいたロープを手放し、男は窓から消えていった。上にいる誰かが、何やら叫んでいたようだけれど、その声も途中で聞こえなくなった。


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