第256話

 所詮、よその夫婦の話だし、私たちがどうこう言う話でもないんだが、苦労している様子は、伝わってくる。私自身はあまり夫婦喧嘩みたいなのをしたことはなかったけれど、自分の親の、特に母親のヒステリーが酷かったのを思い出し、ご主人が亡き父と重なって、気の毒になった。

 私はこっそり、ニコラス兄様に耳打ちする。


『ちょっと森の家に行って、ヒステリーを抑える薬、取ってくる』


 びっくりした顔になるニコラス兄様。ゆっくりと振り向いて、声に出さずに『そんなのあるの?』と聞いてきた。私は小さく頷いた。

 正直、これが正解、というのがあるわけではないけれど、鎮静剤的なものならある。いわゆる更年期の苛々を抑えるヤツだ。街の薬屋で、地味に売れていた。それだけ苦労している人がいたってことだ。

 この世界、女性のそういうのには、かなり鈍感な感じで、専用の薬も特にない。さすがに私たちがこの旅行で使うとは思ってもいなかったので、当然、持ち歩いてなどいない。

 奥さんは、まだ更年期になるような年齢ではなさそうだったけど、若年性更年期障害なんていうのもあるくらいだ。薬がどのくらい効くかはわからないけれど、せめて、この航海の間だけでも、大人しくしてもらえるくらいに、効いてくれればいいんだが。


「あー、ドルントさん」

「は、はい、すみません、こんな愚痴をお聞かせしてしまって……」

「いえいえ……あのですね、よろしければ、うちの専属の薬師が、そのぉ、奥方のイライラを抑えるような薬を作ったことがありまして……」

「は? 薬師、ですか?」

「ええ、もしよろしければ、それをお分けしますが……ちょっと仕舞い込んでしまったので、探すのにお時間をいただければ」

「そ、そのような薬などございますので……?」


 訝し気に効くご主人に、ニコラス兄様も苦笑い。

 仕方がないので、兄様の後ろから少し前に出る。


「あの、女性の血の道のお薬みたいなものです」


 私の抑えた声に、ご主人は目を瞠る。


「ああ、なるほど」


 苦々しそうな顔になったところを見ると、生理中の奥さんの様子が、よっぽど酷いのかもしれない、と想像してしまう。




 ご主人が深々と頭を下げて部屋を出て行った後、双子が大きくため息をつく。私も久々に気を使って疲れた。


「ミーシャ、ところで森の家に戻るのはいいけど、この船室には戻って来られるの?」


 パメラ姉様が心配そうに聞いてくる。

 実は私の転移、移動中の場所には戻って来れない、という難点があったのだ。一度、馬車に乗って移動中に忘れ物を取りに行って戻ろうとしたら、森の中の一本道に取り残されるという目にあった。その後、ちゃんと止まった馬車の中で合流出来たけど。


「私の転移では無理でも、精霊王様の力でだったら大丈夫。ね?」

『ああ、任せろ』


 私の声に反応して現れたのは、ミニチュアタイプの風の精霊王様。泳げる、泳げないに関わらず、さすがに、海の上に落とされるのだけは避けたいもの。下手したら、大きな魚に食べられてしまう可能性だってある。


「すぐに戻るね」

「気を付けるんだよ」

「はーい」


 私は二人に手を振ってから、すぐに森の家へと転移した。

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