第253話

 翌日、まだ日が上りきらない薄暗い中、朝靄が白く煙っている港の方へと向かう私たち。

 指定された場所に行ってみると、すでに何組かの乗客が集まっていた。その多くは商人か何かか。こんな早い時間に乗り込む貴族は少ないだろう。

 それぞれの乗客に数人の護衛もついている様子からも、これから乗ろうとしている船が、相当いい船なのが予想できる。他の船の値段がいくらなのかまではわからなかったけれど、私たちの部屋の値段が三人で金貨十枚だったことを考えても、上等な船室を選んだにしても、それなりにいい船なのは予想していたが。


「……芦ノ湖に浮かんでる海賊船みたい」


 思わず船を見上げながら、呟いてしまう。

 大きな船といえば、映画のタイタニックを連想するが、この世界では、そこまで大きな船は存在しないらしい。はるか昔、学生時代に見た芦ノ湖の海賊船も、そこそこ大きい船だった記憶はあるが、この港では一番大きい船に見える。

 船に乗り込むと、案の定、VIPルームみたいな船室に案内された。


「……こんなにいい部屋じゃなくても」


 呆れながら、備え付けのソファに座って部屋の中を見回していると、部屋の外が何やら騒がしい。私の隣に座ったパメラ姉様と目を合わせる。


「なんだろうね」

「ちょっと見てくる」


 まだ立っていたニコラス兄様がドアを開けた瞬間、キンキンと甲高い女の声が飛び込んできた。


「…嫌ですわっ!」

「我儘を言うではない」

「いつもの部屋でなければ嫌ですっ」

「静かにしないかっ」


 朝っぱらから、どこぞのご夫人が喚いている模様。その相手をしているのはご主人なんだろうか。必死に声を押し殺して注意しているにも関わらず、夫人の方がその気遣いを思いっきり無視してる。


「何事ですか」


 ニコラス兄様が珍しく不機嫌そうな声で、話しかけた。うん。私でもそうなるな。


「まぁっ!」

「あぁ、申し訳ない」


 夫人の驚きの声の後、本当に申し訳なさそうなご主人の声。それなのに、夫人の方はそれをぶった切るかのように、ニコラス兄様に上から目線で文句を言い出す。


「お前、お前は護衛か何かか? お前の主は、その部屋にいるの? いるんだったら、ここに出てくるようにお言いなさいっ!」  

「お前、いい加減にしないかっ」

「絶対に嫌ですっ」


 ご主人、ご愁傷様。こんな奥さんじゃ、きっと毎日が大変だろうなぁ。


「早くしなさいっ」

「失礼ですが、貴女様はどちら様で」


 ニコラス兄様の美貌にもぶれずに文句を垂れているのは、凄いとは思うけど、本当に失礼だよなぁ、と思う私。パメラ姉様に目を向ければ、苦笑いしながら肩を竦めてみせるだけ。


「私のことを知らないというのっ!? 信じられないっ! どこの田舎者なのよ」

「……すみませんね。田舎育ちなもので」


 ニコラス兄様の背中から、チラチラと青白い炎が浮かんでいるように見えるのは、気のせいだろうか……。


「ふんっ! 私はドルント商会の商会長の妻よ。さっさと主に話を通しなさいっ」


 どこそこ商会だか知らないけど、有名なところなのか? 私はパメラ姉様に目を向けると、姉様もちょっとばかり考えてみたけど、わからない様子。頭を小さく横に振る。


「申し訳ない、その商会名は聞いたことがないんだが」

「なんですって!」


 冷静に答えるニコラス兄様の声に、商会長の妻という女の甲高い声が被さる。その後に、落ち着いたご主人の声。


「失礼だが、エシトニアの出身では」

「レヴィエスタからの旅行中なもので」

「ああ、なるほど」

「なるほどじゃないわっ!」


 いい加減、甲高い声にも飽きてきた私。ソファから立ち上がると、ニコラス兄様のところまで行くと、隙間から顔を覗かせる。

 そこには顔を真っ赤にして怒鳴り散らしてる三十代くらいの夫人と、うんざりした顔をした五十代くらいのふくよかな感じのご主人が立っていた。随分と年の離れた夫婦のようだが、持て余し気味の様子。


 ……だったらいいかな。


 私は狙いを定めて、小さな声で、呟く


「『スリープ』」


 その途端、夫人はふらりと身体を揺らして、床に倒れ込んだ。

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