リンドベル辺境伯は神の言葉を信じる(2)

 細くなった身体をもう一度抱きしめ、宥めるように声をかける。


「わかった。誰かを迎えに行かせよう。その子はどんな子なんだい」

「あ、そうよ、そうよね……それはね」


 どこから取り出したのか、妻は虹色に輝く小さな手鏡を手にしていた。

 いつ、そんな物を買ったのか、初めて見る手鏡に目を向ける。


「アルム神様が私にくださったの。あの子のことを見守ってやるようにって」


 差し出された鏡の中に、一人の少年が映っていることに驚いた。

 グレーのマントを羽織った黒髪の少年。十歳くらい、だろうか。野営でもしているのか、大きな焚火の前で、硬そうなパンに齧りついている姿が見える。


「この子なの、この子を探して連れてきてっ」


 私は驚きで声が出なかった。

 

『遠見の鏡』


 これはトーラス帝国に国宝級の物として保管してある物だと聞く。まさか、そんな物が妻の手の中にあるとは。

 ……本当にアルム神様が、私たちへと下賜されたのか。


「ああ、女の子なのに、こんな格好なんて……それに髪まで……うううう」


 妻の言葉に、再び鏡の中の子供に目がいく。

 少年と思ったが、少女であったのか、と、じっくりと見る。短い黒髪に、少し釣り目がちな二重の大きな黒い瞳が印象的だ。まるで、用心深い小さな黒猫のようで、可愛らしい。

 彼女の容貌は、茶色の髪に茶色い瞳と地味な私にも、金髪に青い瞳の美しい妻ともまったく異なる。

 しかし、妻の想いの深さから出る言葉につられるように、私自身も娘のように思えてくるのが不思議だ。


「わかった。わかったよ、ジーナ」


 私の言葉に、鏡から私へと目を向ける妻。


「イザークが今、ヴィクトル様の護衛も兼ねて、シャトルワースに行ってる。あいつに連絡をしよう。イザーク本人が動けなくとも、なんとかしてくれるに違いない」


 いつもなら王城内で王族の警護にあたる近衛騎士として、登城している四歳年下の弟、イザーク。

 タイミングよく、と言うべきか、第二王子のヴィクトル様が通商条約の内容の更新のために、外交官たちとともにシャトルワースに滞在しており、イザークもそれに同行しているのだ。

 これも、神のお導きなのだろうか。


「本当ですか!? ああ! お願いします! お願いします!」


 久しぶりに、妻の嬉しそうな顔を見たら、私も嬉しくなる。


「ああ、だから、ジーナもゆっくり休むといい。彼女が我が家に来るまでに、元の体調に戻さなくてはね」

「ええ、ええ! 私、元気になるわ!」


 まだ興奮気味の妻を寝かせると、軽く口づけをしてから部屋を出る。すぐに執務室へと足を向けた。

 椅子に座るとすぐさま、手紙を書き始める。

 妻の言葉と、彼女の容貌、必ず、連れて帰ってくるようにと、簡潔に書いた手紙を、小さく折りたたむ。

 伝達の魔法陣を宙に描く。青白く浮かんだそれが、掌サイズの青い鳥へと変わる。青い鳥は、私の差し出した手紙を咥えると、すぐに消えた。

 弟のイザークなら、上手くやってくれるはずだ。そして、心の中で強く願う。


 アルム神様、どうか、あの子を護りたまえ。

 私たちの娘を、再び失うことがないように。

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