がんばったね

 

 睨む少女に、少年は片足跳びで迫る。速さは先ほどよりも僅かに鈍い。

 その為、少女は落ち着いて魔法を構築することが出来た。

 右手を前に掲げる。

 少年はその手を避けるように少女の背後に回り込む。またその手を介して転移させられると思ったからだ。

 しかし転移したのは少女の方だった。

 彼女は少年の背後から突然現れ、彼の背中に触れる。

 その瞬間、少年の姿はその場から消える。


「くっ……」


 ウラリュスは吐血しながらも魔力を扱い続ける。

 この戦いが始まってから、ウラリュスは何度も自分の肉体を転移させたり、サイの肉体を転移させている。偉大なる神の肉体を転移させるのは酷く消耗する。

 それ故の吐血だったが、ここで無理をしなければ他に勝ち目はない。だからウラリュスは自分の身すらも疎かにして、僅かに残った勝ち筋を掴もうとしていた。




 サイが次に姿を現した場所は空中だった。

 彼は自分がいる場所を確認しながら、重力に任せて落下して行く。

 だが、魔神の攻撃がそんな生易しいものである筈がなかった。


 サイが転移させられる前から準備してあった特大の魔法陣が起動する。

 ウラリュスが手をかざすと、赤色の紋様が空に向かって大きな火柱を上げる。

 天と地を繋ぐほどに膨大な炎のエネルギーは、天上の神が下界の鬼に下した天罰のようで。


 サイは苦手な風魔法で自分の身をその場から離脱させようとするが、ただでさえ苦手な属性の魔法を、魔神の手によって練られた魔法の中で扱える筈がなかった。

 仕方なく自分の身を得意属性の水魔法で守ろうとするが、まさに焼け石に水。魔法の実力で彼女に勝てる筈がない。全ての水は蒸発し、サイは身を焦がし、皮膚を爛れさせながら地面に激突した。








 蒸気と砂煙の濃霧の中から、人が潰れるような音が聞こえた。

 全ての魔力と体力を使い果たした無防備な少年が、高所から堕ちた音だ。



「力は潰え、神は消滅……奴も数多の神と同じ様に、神格を奪われたか。後は死を待つのみ」


 過去に生きた全ての神は、神格を失くしてから絶命した。神格を失くすのは、神として相応しくないと見放されたからだと言われている。誰に見放されたのかは、誰にもわからない。


 今、鬼神の威圧感はなくなった。

 少年の生死はわからないが、生きていたとしてももう何も出来ずに死ぬだけだ。


 ――終わった。


 ウラリュスは片膝を付く。

 立っていることが厳しかった。

 鬼神から受けた攻撃といえば、腹を一度蹴られたくらいだが、そのせいで内臓と骨の数本がダメになっているらしかった。

 更にそんな状態のまま、極限まで集中し、高度な魔法を複数扱っていたのだ。

 いくら魔神とは言え、既に限界を超えていた。



 振り返って見れば、自身の配下達と大蛇の闘いは終わっていた。ヴァルミネは大蛇に上半身を喰われた様だが、その上半身は蛇の心臓を貫いていたようで、彼女らは相討ちとなって息絶えていた。

 配下の内二人は生き残ったようだが、彼らも満身創痍だ。動ける様子ではない。

 鬼神サイに操られていた人の子は、魔力の供給がなくなって既に事切れていた――いや、ずっと前から命は無かったのだが、ようやく亡骸として正しい静けさを取り戻したのだ。



 ――失敗、か。



 ウラリュスは初めて味わう敗北感に唇を噛み締めていた。

 鬼神との闘いには勝っても、配下を三人も失ってしまった。それに、先行させたクラリスだって殺されてしまった。

 これは魔族を統治し始めてから、初めて犯したミスだ。

 自らが率いた精鋭達を守れないなんて、屈辱的。



「帰還、する」


 ウラリュスの力ない宣言だったが、離れた場所にいた配下達は傷だらけの体を引きずってやって来た。


 何もかもが規格外だった。

 そもそもアルスティアが異世界にまで加護をもたらした時から計画は狂い始めていた。

 世界の均衡は、崩れない。

 魔族が全てを支配する事は叶わない。

 ウラリュスは歯軋りをしながら片手を掲げる。

 その手でゲートを作り、転移先を自らが住む魔王城へと繋げる。

 まともな転移ゲートが創れてよかった。

 とはいえ、かなり無理をしている。

 今はとにかく、安住の地に帰還すべきだった。配下の為にも、自分の肉体の為にも。


 しかし創ったゲートから、見慣れた人族が顔を出した。



「あーらら。ウラちゃん酷い格好ね。乙女が台無しじゃない?」


 深刻なウラリュスの内心など読もうともせず、少女はゲートからこちらへ足を踏み入れた。


「シルヴィア……」


 シルヴィアと呼ばれた少女はクスクスと笑っている。


「なになに? ウラちゃん予想外の敵にやられちゃった? もう死にそー? 今ならあたしでも勝てる?」


 彼女は弱っているウラリュスを見て楽しそうにシュッシュと拳を突き出している。

 シルヴィアは神でも勇者でもなく、ただの人族である為、幾らウラリュスが弱っていても彼女を害することが出来ない。それを分かっていながら軽口を叩いている。


「それでそれで? どうするの? やっぱやめる? 帰るとこだったんでしょ? ねぇねぇこの世界はどうするの?」


 シルヴィアは全て知っている。

 異世界の事も、ウラリュスがこの世界を侵略しようとしていたことも。

 何せ彼女は人族の大国、アルステッド国の賢者と呼ばれる程の才能を持っており、その頭脳を気に入ったウラリュスは、彼女と共に異世界への干渉方法を研究していたのだ。


「アルスティアが干渉して来た時点でこの計画は失敗だった……もうこの世界に用は無い」


 ウラリュスはシルヴィアを置いて帰還しようとするが、シルヴィアは慌ててウラリュスの手を引っ張り、この地に留めた。


「あ、配下のお二人は帰っていいよー! サヨナラー」


 シルヴィアがそう言った後、ウラリュスが頷くと、配下達はゲートを潜ってティスノミアに帰還した。


「何用じゃ。早く済ませよ」


 ウラリュスはシルヴィアが内密に話がしたいのだと察してここに残ったが、正直早く帰りたかった。鬼神はもういない筈なのに、さっきから嫌な予感が続いていた。


「あーらら。ちょっぴりオコだね。本当に疲れてるんだねー……わかったわかった! 話すから殺気を放たないで!」


 シルヴィアのこの調子はいつもの事だし、彼女のお陰で、人族との関係は険悪にならずに済んでいる。

 今回、次元の狭間を使って異世界に干渉した事だって、人族の魔導大国には気付かれているだろうが、シルヴィアが上手く言ってウラリュスを庇う事になっている。

 だからシルヴィアにはそれなりに恩があったのだが、今だけは彼女の戯れに付き合っている余裕が無かった。


「あのね、この世界、アルステッド国が管理してもいいかなぁ? もちろん、ウラちゃんの転移魔法ありきの異世界だから、ちゃぁんと謝礼はするよ? え? 何故この世界が欲しいのかって? そんなんこの発達した文明を見ればわかるでしょー! あたしたちティスノミアの人族が悪い魔神ウラリュスを退治したって事にして、この地球の人達と、仲良くするの! 魔物退治してあげたりぃ、武器を作ってあげたり? そしたらそのお返しを貰うのよ! あたしたちの知らない沢山の事を教えてもらったり、技術者をこっちの世界に雇い入れたり――」


「――わかった。わかったから黙れ。余は帰還する」


「え! いいのぉ? ウラちゃん大好き! あ、でもね?」


 ウラリュスはいい加減にしろと睨み付けるが、シルヴィアが指差した方向を振り向いて硬直した。


「その人が、まだ用があるみたいだよ?」


 そこに立っていたのは、人に堕ちたサイだった。

 彼は刀を振りかぶってウラリュスの背後に立っていた。

 気付けなかった。いや、気付かなくても問題は無い筈だった。

 彼はもう神格を失っているのだから。

 それなのに、この恐怖はなんだろうか。

 人風情に殺される筈がない。

 なのに逃げたい。

 だけど身体が動かない。

 火傷に肌を爛れさせ、他者か自分のかもわからないほど大量の血を被った鬼の眼が、無慈悲に見下ろしている。

 明確な死の気配が、今振り下ろされる。






「がんばったね」




 その声は、鬼のすぐ後ろから聞こえた。

 サイは振り上げた刀を、背後に振るった。

 鮮血が散る。


「がんばってこんなに強くなって、生き残ったんだね、サイくん」


 声の主はまだ生きていた。


 鬼の胸を、光を帯びた剣が貫いた。

 それは勇者水谷零士が持っていた聖剣だった。


「君はやっぱり僕のヒーローだ。こんなに傷だらけになるまで戦って、魔神様を撃退しちゃうんだから……でも、もういいんだよ」


 サイはユラリと揺れながら倒れた。

 鬼を殺した小太りの少年も、後を追う様に倒れた。


「どうして誰もわかってくれないんだろうね……君が、どんなに人を傷つけたとしても……そのお陰で救われる人は確かにいて……きっと一部の人からしたら君はとんでもない悪者かもしれないけど……君の今までの行動が繋がってここに辿り着いて、そして魔神様に勝ったんだ……ありがとう、サイくん……誰もやりたがらない残酷な事を君が引き受けてくれて、誰もやりたがらない、勇気が必要な闘いを、君が終わらせてくれた……本当に君って人は……」


 血と涙に濡れた少年は、もう絶命寸前だった。


「もう、誰も殺さなくていいんだ……誰も君を傷付けないから……もう……自由になれるんだよ……」


 その掠れた声を残して少年は逝ってしまった。




 ウラリュスは漸く硬直が解けた身体を持ち上げ、サイの腕を掴むと、引き摺りながら魔王城へ帰還した。


 シルヴィアは珍しく静かに、後を追いかけた。

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