死して尚、動くというのか
サイはいつだって見切りをつけるのが早い。
冷徹で合理的だからこそ、必要なものと不要なものの判断が早く、手に入れるための道筋を作るのが上手かった。
そしてその判断力は、戦闘でもいきてくる。
鬼神となったサイの身体能力は、神格を有していない者とは比較対象にならない程のレベルに達している。それは化物と称される力を持つ魔族すらもだ。
サイはひと足で魔神の
その速さは敵が何一つ反応できないほどだった。
「何!?」
ウラリュスは驚愕の声をあげた。自らが動く前に、配下の一人が殺されたのだ。神格を持たない配下達はサイを害することは出来ない。放っておけばよいものを、何故彼を殺したのか。
予想も出来なかった行動に動きを止めてしまったが、とにかくこのイカれた新神の好きにはさせない。
ウラリュスは即座に転移の歪みを作り、そこを通る。
転移先は、殺された配下の近くにいた別の配下の元。
案の定、鬼神は目にもとまらぬ速さでこちらに迫っていた。
苦虫を嚙み潰したような顔をしながらも、ウラリュスはしっかりと対応していた。自分の部下を守る為に。
ウラリュスがおこなった対応とは、実に簡単な動作であった。それは、刺突を繰り出した刀に向けて、右掌を差し出しただけ。
当然のように刀は少女の手を貫こうとするが、その手が血に濡れる事はなかった。
代わりに赤く染まったのは、刀を突きだした少年の背中だった。
ウラリュスはほくそ笑んだ。
鬼族の様に身体能力が高いわけでもなく、竜族のような戦闘センスを有しているわけでもない、ただの魔人族のウラリュスは、生まれながらにして持っていた能力を最大限活かす為に常に頭を使っていた。
そのお陰で、最初は物の収納にしか役立たなかった“空間魔法”を、肉体の転移が出来るまでに成長させる事ができたのだ。
そしてその能力を使って、自らを貫く筈だった刀身を、敵の背後に転移させたのだ。
「鬼の身体能力が災いしたなぁ。どうじゃ? 自らの馬鹿力によって自らの肉体が傷付く感覚は?」
問いかけながらも、ウラリュスは既に次の攻撃準備を済ませていた。
「滅びよ」
憎悪の籠った一言と共に、少女の目の前で巨大な炎が爆ぜる。爆風と共にウラリュスは後退した。
一人の少年を殺すには充分すぎる威力の魔法だが、果たして、その少年は身を焦がしながらも前に進んで来た。
「この鬼が……痛みすら感じないと言うのか」
少年の背中は血に濡れ、その身は所々焼けて、見た目は満身創痍だと言うのに、彼は最初とまるで変わらぬ速さで魔神に迫った。
そして直後、少年はフードから小さな蛇を取り出し、それを魔神に投げつけた。
その蛇は少年の手を離れると同時に巨大化し、魔神に噛みつこうと口を開く。
予想外の行動に戸惑うウラリュスだったが、この蛇には神を害する資格がない。
その牙は魔神に届かずに止まる。
「従魔か……? 本当に出鱈目な小僧……」
ウラリュスは蛇を殺す為に魔法を放とうとしたが、首元に寒気を感じて咄嗟に手を掲げた。
「貴様……殺気も放たずに刀を振り回しおって……気でも違えておるのか?」
案の定、少年が右手で持つ呪刀は、ウラリュスの首を斬り落とそうとしていた。
だが今は、その刀身は少年の首に触れている。そのまま振り抜けば少年の首が離れていただろう。しかし彼もまた、先程の反撃を学習していた。
ウラリュスは空いた片手で再び魔法を放とうとするが、顔面を殴り飛ばそうと迫った左手を転移させる為に、その手を使った。
その瞬間だった。
ウラリュスの両手が転移魔法に使われて塞がった瞬間、サイの脚がウラリュスの腹を蹴り上げた。
「かはっ!」
躱すことも防ぐことも出来ずに、少女は大きく飛ばされた。
血を吐きながら狼狽する。
(まずい! 知能が低下していると思ったが、確実に学習しておる。空間魔法の弱点が勘づかれたか!)
ウラリュスが思う空間魔法の弱点は、主に二つ。
手を介さなければ転移が出来ないという事。
生物の体内に直接転移させることは出来ない事。
特に一つ目の弱点は致命的だ。
今のように敵の身体能力が高い時、集中して相手を見ていなければ、その俊敏な動きに対応出来ない。
だからあの新神だけを見ていたいのに、あの神は突然配下達に襲いかかったり、訳の分からない蛇を投げつけたりする――今だって逃げる配下の後を追っている。
「この卑怯者が!」
こんなにも気を逸らされるなら、仲間を連れてきたのは失敗だったか。
歯軋りしながらも仲間を守る為に転移する。
「失せよ!」
配下の元へ移動したウラリュスは、迫り来る鬼神に強烈な風魔法を放つ。
魔人族のウラリュスは身体能力で鬼に敵わなくても、圧倒的な魔法のセンスがあった。
風は少年の躰を吹き飛ばし、それと同時に無数の風刃でその肉体を斬りつける。強靭な肉体を切り裂くには些か威力が足りないが、その傷の数は多く、無色である筈の風の色を、赤く染め上げた。
「何をしておるか貴様ら! 早く遠くへ移動を……」
鬼神から目を離さずに配下へ命令を下そうとするが、背後の争う気配に思わず振り向き、唖然とした。
「が、ぁがが、いぃい、ぃだい、いだいよぉ……」
四人の配下と戦っているのは、さっきの大蛇と、涙を流しながら不自然に動く少年だった。
「此奴は……」
そう言えば、鬼神の側でずっと座り込んでる者がいた。
あまりにも弱く、意識もしていなかったが、あの少年がこの精鋭達を足止めしていると言うのか。
驚いたウラリュスだが、更に驚愕的な事実に気がついた。
少年の身体は、ゴキゴキと音を立てながら動いている。
何の音かと不思議に思うが、直ぐにわかった。
彼は自分の肉体の限界を超えて闘っている。
関節の可動域を超えて手足を動かし、耐えられるはずもない攻撃を受け止めている。骨が折れても、神経が切れても、肉が抉れても、それでも最速で強大な攻撃を放ち続ける。
これが人間だとは思えなかった。
いや、そもそも。
ウラリュスが驚いているこの僅かな間に、少年は既に息絶えていた。
それでも動きは止まらない。
「……死して尚、動くというのか」
彼は何か。アンデットの上位種なのか。規格外過ぎる。
ウラリュスはその不気味さに思わず顔を顰めたが、直後、背後から迫った神に対応する為、振り向いた。
そして、気付いた。
「お主……左手から放たれている黒い魔力の波動はなんじゃ? もしかしてお主があの少年を操っておるのか? お主の……仲間ではなかったのか?」
鬼神は言葉を無視しながらウラリュスに斬りかかる。
「正真正銘の鬼め」
冷酷な鬼神の刀先を転移させると、今度は少年の蹴りがウラリュスに迫る。もしもそれを転移させたら両手が塞がる。そしたら次の攻撃に対応する術がない。
仕方なく空いた手で空間の歪みを作り、自らの身体ごと転移し、その場を離脱する。
サイのすぐ背後に転移したウラリュスは次の攻撃に備えるが、サイは今度は魔神の配下に狙いを定めて走った。
「くそ! あやつ、とことん合理的に動きおる」
ウラリュスは思わず毒づいた。
簡単に戦線を離脱出来るウラリュスには何度斬りかかっても無駄だと判断したのだろう。
だからウラリュスの手下を殺してウラリュスを狼狽させ、隙を狙うつもりなのだ。
「……許せ、ドラグマラ」
現在サイが狙っている竜人族の配下の名前を呟いてから、ウラリュスは両手を合わせて魔力を練った。
彼女は仲間を大切に思う者だが、このままでは全ての配下が死ぬ事になると思った。故に一人の命を諦めて三人の命を救うという選択をした。魔族の頂点に立つ彼女もまた、合理的な判断を厭わない者だった。
ドラグマラは竜人族だけあって、サイの猛攻を何度か躱すが、攻撃する事は叶わない。神に命を狙われたら諦めるほかないのだ。
軈てドラグマラの首が落ちると、配下は残り三人になった。
しかしウラリュスはドラグマラが稼いでくれた時間を無駄にはしていなかった。
直ぐに次の魔族を倒そうと動き出すサイだったが、その脚を何者かに掴まれていることに気が付く。
いつの間にかウラリュスが右足首を両手で掴んでいた。
「
極限まで練られた魔力が一気に解き放たれる。
無数の氷の刃が術者の手の中で回転している。
それは大樹をあらゆる方向から回転刃で切断するような、緻密で洗練された魔法。
鬼の肉体を切断するのは容易ではないが、ドラグマラが稼いでくれた時間の分だけ威力が高い。
そして、痛みに鈍感な鬼は、脚を切り裂くほどの攻撃に気付くのが遅かった。
サイが刀をウラリュスの頭に振り下ろした時には、少女は既に切断された鬼神の左足を持って離脱していた。
サイは薔薇が咲いた様に鮮血を撒き散らす自らの足を見て、少し体勢を崩す。
魔神は鬼神の一挙手一投足に注意しながら、切り落とした神の足を、吸血族の配下の元へ投げた。
「ヴァルミネ!
それは残酷な命令。
強者の血を吸えば、一時的に力が増すのが吸血族だ。だが、それが神のものとなれば代償は大きい。恐らく明日の命は無いだろうと、お互いが予想している。
それでも、ヴァルミネは啜った。自らが愛する魔神様の為に。
押し留めるのが困難な程の力の奔流に吞まれないように、例え理性を失っても仲間を襲わないように、ただただ己が信じた神の命令を全うする為に。
そんな配下の忠誠心を横目で見届けてから、ウラリュスは鬼神に向き直った。
彼は血を垂れ流す自らの左足を、強力な火魔法で火傷させ、止血していた。
「もはや呆れるな……命尽きるまで戦い続けるつもりか」
いくらダメージを与えても怯まないのなら、殺すほかに奴を止める手段はない。勿論、ウラリュスは元からそのつもりなのだが、その難易度の高さには酷く辟易する。
とはいえ、やはり片足を失った少年の動きは精細に欠けていた。
今まで同じ長さの二本で立っていた足の片方が短くなっているのだ、バランスがとりにくいのは当然だ。
ここが正念場か。ウラリュスはそう思う。
この気狂いの事だ、その左右非対称の足にもすぐに順応してしまうのだろう。
ならば僅かでも動きが鈍った今、仕留めなくてはならない。
ドラグマラに続いて、ヴァルミネの命まで諦めてしまったが、彼らのおかげで今がある。強大な力を得たヴァルミネが理性を保っている内なら、向こうは大丈夫だ。
だから今、ウラリュスは漸く鬼神サイだけを見ることが出来る。
もう何者にも気を逸らさせはしない。
「漸く、貴様を殺せる」
少女は無慈悲な瞳で少年を見つめていた。
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