復讐という感情の不合理

 

 叶子の話もまた、世界が変わったその日から始まり、美城サイの登場と同時に大きく動き出した。

 特に、サイが担当していた避難所の見張り班、第八グループ崩壊の真実を聞いた時、零士は右手で目を覆い隠し、激しい感情を抑える様に肩を震わせていた。

 それはサイに対する純粋な怒りであり、もっと早く気づけなかった自分を責める気持ちでもあり、人間の惨さを憂う感情でもあった。


「つまり、サイは関口みずほって子を殺した後にここに来て、俺に叶子の居場所を教えずに数日感過ごし、後にクラリスと共に出て行ったって事だな」

 サイを非難する様な零士の口調に叶子は頷いた。

「そしてさっき零士が背負って来たあの子はみずほちゃんの弟なの……こんなに苦しい現実と向き合う事になるなら、やっぱり連れて来なければよかったわ……」


 全ての情報を共有した二人の間に、重い沈默が訪れた。

 その中で考えることは二人とも同じ。


 自分達は一体何をすべきなのか。


 勇者として、魔神に打ち勝つ力を手に入れなくてはならない。

 人として、苦しむ沢山の人々を救わなければならない。

 教師として、道を踏み外した生徒を正さなければならない。

 ところで、正すって一体どうすれば良いのだろう。


 こういった様々な問題が更に枝分かれし、答えに辿り着けずにどんどん悩みが増えていく。



 やがて口を開いたのは零士だった。


「叶子はサイに復讐をしたいと考えているか?」


 その問いに対して直ぐに首を振った叶子だが、口を開くまで時間がかかった。


「……一緒に避難所を守っていた仲間とか、大切な教え子を殺された事は確かに許せない……恨む気持ちもあるわ」

 でも、と言った彼女は、力強い視線を零士に向けた。


「あの子も私の教え子なの……! だから……出来る事なら美城くんの事も救ってあげたい」


「そうか」零士は何度も頷いた。

「そうだよな。叶子らしいな」


「だだ、一つだけ気を付けて欲しいんだ。もしもサイと対峙する事になったら一切の感情を捨てて冷静になるんだ。復讐という生産性のない不合理な感情はもちろん、あいつに対する慈悲や優しさなんて絶対に持っちゃいけない。そこに付け入るのが奴らサイコパスの特技だから」


 叶子は不安げな視線を向けた。

「零士は美城くんに会うつもりなの?」


「あぁ。そのつもりがなくても会う事になるだろうな。魔神はこの地域にゲートを創ってやって来るそうだ。クラリスが生きているなら彼女は魔神を放っておかない。だからサイと共にこの近辺に来るだろう。サイ自身も恐怖を感じない人間だしな、魔神と会う事に躊躇いは無い筈だ」


 零士の予測を聞いた叶子は尚も不安そうな表情でいる。


「サイの事か」零士はため息をついた。


「あいつをどうするか、まだ迷ってるんだな……いや、構わないさ。全てを救おうとする叶子の優しさは美徳だ。俺はお前にそのままでいて欲しい。だから全て俺に任せてくれ」


 零士の強い視線に惹き込まれるように叶子は彼を見つめた。


「サイの罪も命も、全部俺が背負う。俺の大切な生徒が、これ以上他人を不幸にしない為にも……俺の手で終わらせる」


 それは零士の決意だった。

 叶子には何が正解かわからない。

 ただサイを救いたいという幼稚な願いを抱いただけで、それは彼をどういった状態にする事なのか具体性が無かったし、自分に何が出来るのかも思いつかなかった。

 だから零士の強い瞳に何も言い返せなかった。


「サイを発見したら、叶子は即座に逃げてくれ。でないと俺たち二人がやられる事になる」


 その言葉に頷く事しか出来ない叶子は、自分の弱さを噛み締めるのだった。











 情報を共有し終えた二人は、誰にも邪魔をさせずに朝が来るまで語り合った。

 それは束の間の休息。この一晩だけは勇者の使命を忘れ、災害前のような幸福な時を過ごそう。どちらかが言い出したわけでもなく、自然とそんな時間になった。







 そして、それは唐突に終わりを迎える。


「水谷先生! 昨日の子供が逃げました!」


 ドアを叩きながら叫ぶ大和健の声に、零士は首を傾げながら立ち上がった。


「逃げる? 一体どこに」


 鍵のかかったドアを開くと、息を切らした健と目が合う。そういえば今の時間の見張り当番は健だったな、と零士は思い出す。校門からここまで走って来た様だ。


「あ、えっと、逃げたのは俺が追いかけたからで、俺が追いかけた理由は、その、なんていうか……普通じゃない様子で出て行こうとしたからです。話しかけても口を開かないし……」

 落ち着いた零士の態度に影響された健も、努めて冷静に状況を説明しようと試みた。


「普通じゃない?」


「はい、怒りに顔を歪ませたみたいに、真っ直ぐ向こうを睨み付けて……」


 零士と叶子は思わず顔を見合わせた。


「……復讐か」


 翔太が姉を殺されて平静ではいられない事も、彼が優秀な探索者である事も、二人は知っている。故に自然と翔太の行先がわかった。


「健、その子がどの方角へ向かったか案内頼めるか」


 零士は魔法で冷たい水を手から出し、顔を洗う。

 水滴をタオルで拭い終えた彼の表情は、既に魔神と対峙しているかの様な真剣さだった。


「は、はい!」


 健にはいまいち状況が掴めなかったが、零士から発せられる重圧だけはひしひしと感じられた。


「叶子はここに――」

「私も行くわ」


 意見が分かれた二人は睨み合う。


「分かるだろう。あの子が向かったのはサイの元だ。昨夜話した通り、全て俺が――」


「分かってるわよ! でも、私は今貴方と行かなかったら絶対に後悔する。零士に全てを背負わせた事も、美城くんのことを投げ出した事も。だから、お願いだから着いて行かせて。迷いを捨てきれない私が邪魔なら、後ろで控えてるから……」


 零士はため息をついてから頷いた。

「分かった」

 彼女の責任感や共感能力の高さは美徳だが、それは時に零士の意思と食い違う。その食い違った意思が頑固に塗り固められている時、零士は叶子の説得を諦めるのだ。


 零士は再び健に向き直った。

「健、話の流れで分かっただろうが、俺はサイと戦う事になると思う。お前も案内をしたら直ぐに避難所に戻った方がいい」


 健は返答に迷った様な表情を浮かべた。


「まあ、とにかく。サイと翔太を捜しに行く。ただ、その前に隠密の魔法を……健は使えるよな。叶子、直ぐに覚えてくれ」


 零士はクラリスから教わった技術魔法を、叶子に教える。健は偶に零士と共にクラリスから魔法を教わっていた為、この技術魔法は習得していた。


「魔物はあらゆる感覚で獲物を探知する。視覚、嗅覚、聴覚……もしくは、それ以外の第六感。まぁ、第六感で気付かれたらこの魔法は意味を成さないんだが、それ以外の感覚からは逃れられるんだ」


 叶子はサイを捜しに行く為に何故隠密の魔法を習得する必要があるのかわからなかったが、零士の指導はわかりやすかった。

 光魔法で視界を遮る様に、風魔法で匂いを流さない様に、また、空気の壁で音を伝えない様に。

 叶子の学習能力の高さも相まって、魔法の習得は数分で完了した。



「さぁ、行くぞ! 健、案内してくれ」


 三人は隠密魔法を身に纏ったまま走り出した。

 魔法の精度は完璧で、校門を出るまで何人かの人間の前を通ったが、誰にも発見されなかった。




「ところで先生……どうして美城サイをそんなに警戒してるんですか?」


 健は走りながら零士に近寄り、言いづらそうに疑問を投げかけた。

 サイに関するトラウマを持つ健はサイを恐れていたが、零士ほどの実力者がサイを警戒する理由が、健にはわからなかったのだ。


「あいつは対人戦となると、誰よりも強い。少なくとも感情と共に生きている俺たちは、あいつと比べて圧倒的に不利だ」

 零士は横目で健を見た。

「だから……出来ればお前と叶子には来て欲しくないんだ。俺にとって大切なものは、あいつと戦う上で弱点になる。なぁ、健。翔太が走って行ったのはこの方角なんだな?」

「はい、真っ直ぐこの方角に……」

「それならここまでで大丈夫――」

「先生の足手纏いになるのはわかってます。俺だってサイを恐いって思うし」


 健は不安そうに零士を見つめ返した。


「……でも! あいつには……伶奈が着いて行ったんです」


 零士はその一言で気付かされた。

 誰かを守りたいと思うのは、自分だけじゃないんだ。

 その強くて尊い気持ちを無視して「来るな」なんて言った自分は、なんて浅はかだったのだろう。

 零士は後ろにいる叶子と、隣にいる健の瞳を見て、深く反省した。


「そうか……ならせめて、隠密だけは解かないでくれるか?」

「わかりました。俺だって先生の邪魔はしたくありませんから」


 健の言葉を聞き終えると同時に、零士は急停止した。

 隣にいた健を左手で止め、後ろにいる叶子に右手で止まる様に指示した。


 零士の視線を追った二人は、彼が何を見つけたのか理解した。

 ただ、それが捜していた翔太だと理解するまで一秒は掛かった。


 三人の視線の先には、前傾姿勢で、何かを探す様に忙しなく首を動かしている少年がいた。姿格好は間違いなく翔太なのだが、三人の強化された視力は、少年の表情が酷く醜く歪んでいる事まで見抜いた。

 それは復讐を目前に怒りを抑えきれない人の顔であった。


「……」


 言葉を失いながらも、零士が一人、翔太を保護する為に歩みはじめた。

 彼の表情は、翔太を憐んでいた。

 可哀想に。絶望だらけのこの世界で、大切な肉親を殺されてしまって。

 その怒りを鎮める事は叶わないかもしれないが、どうかその綺麗な手を汚さないで欲しい。


 君の哀しみは俺が晴らすから。


 その時だった。


 翔太は目を見開いて倒壊した家屋の向こう側を睨み付けた後、大きく跳躍した。それはまるで、獲物を見つけた肉食動物の様に。

 零士がいる場所からは死角になっていて、翔太が見つけたを見る事は出来なかったが、視認せずとも翔太が何を見つけたのか勘づいた。

 だから直ぐに走り出したというのに。


 零士の視界に再び戻って来たのは、鮮血を散らす翔太の生首だけだった。


 遅れてやって来たのは、聞き慣れた声。


「なに? ああ、あまりにも醜悪な顔をして殺意をぶつけて来たから、ゴブリンと間違えたんだ」


 それは自らの非道な行いを、誰かに弁解する言葉。


 それと同時に、声を発した少年が家屋の陰から現れた。


 美城サイ。


 彼を見たその瞬間、零士は自分の中の何かが、音を立てて崩れ去っていく様な感覚を覚えた。

 それは一縷の望みだったのかもしれない。

 零士はサイの本性に勘づいていたし、実際に叶子からサイが犯した罪を聞いていた。

 しかし、サイがまるで罪悪感無く殺人を行う場面を目撃したのは、初めてだ。

 自分が手塩にかけて育てた生徒が、こんなに惨たらしい過ちを犯すなんて。


 強いストレスを受けた零士の視界は明滅を繰り返す。

 胸の鼓動が早すぎて、押し出された何かを吐き出しそうになる。

 平衡感覚すら失い、地に足が付いているのかもわからない。


 そんな気絶すらしそうな零士だが、直後彼を襲った漆黒の刀は、零士の右手にいつの間にか現れた剣が、しっかりと迎え撃っていた。


 刃がぶつかり合う甲高い音と同時に零士の意識は戻り、今現在、目の前に集中する。

 その目は、漆黒の刀の持ち主が後ろへ飛び退いた事を認識した。



「わぁ、驚きました。水谷先生でしたか。姿の見えない何かを感じたので、魔物かと思ったんです」



 さっきまでとは打って変わって、零士の思考はどんどんクリアになっていく。




 お前は自分の顔に翔太の返り血が付いてる事にも気付かずに演技を続けるんだな。

 その刀は誰の物だ。最初の持ち主はどこに行った。

 フードから顔を覗かせている小さな蛇は、お前を追いかけた女の子じゃないのか。なんて姿だ。




 いつの間にか、零士の頬を一筋の涙が伝っていた。


 もう、やめよう。


 こんな悲劇をこれからも繰り返す前に。


 いま、ここで――



「――終わらせよう」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る