情報が欲しいな

 

 無事に避難先の中学校に辿り着いた三人は、敷地の外を覗いている青年に迎えられた。


「ああ! 二人ともご無事で良かった! その少年は新たな避難民?」


「遠藤くん、見張りご苦労様。彼は私のクラスの生徒よ。今のところ異常はない?」


 大学生くらいの臆病者に答える叶子の言葉を聞いて、サイは耳を疑った。


(こんな使えなさそうな奴が何を見張るって言うんだ?)


 塀の内側から外を覗いていた彼は、三人が近くに来るまで気付いた様子はなかった。きっとモンスターが来ても目前に来なければ気付かないだろう。

 その後はどうするのだろうか。

 彼が戦える様には見えない。何も出来ずに殺されそうだ。

 では、皆が避難しているという体育館に「モンスターが来た」と伝えに行くのだろうか。しかし人よりもモンスターの足の方が速い場合が多い。その場合、彼は体育館に辿り着く前に死んでいるはずだ。つまり彼の存在は全くの無意味である。せめて戦える人間を配置すればいいのに。


 サイはくだらない場所に連れてこられてしまったな、と考えながら適当に二言三言話してから、みずほと叶子に連れられて校舎へ向かう。


「どこに行くんですか? みんなは体育館に避難しているんですよね?」


「ええ、でもまずは、表校舎の多目的室に来てほしいの。そこで食料や情報の管理などをしているから」


 サイの疑問に答えた叶子は「それに……」と付け加える。


「こう言うのもよくないのだけど、突然の災害で殆どの人がまともではいられないのが現状。だから、冷静で優しいサイくんには、出来れば皆んなの助けになって欲しいの。もちろん無理にとは言わないわ。でも、取り敢えず話だけでも聞いて欲しい」


 サイは自分が他人から“優しい”と思われていることを不思議に思った。まあ理由はどうであれ、都合がいい。

 タダで情報が得られるなんて儲けだ。


「いえ、僕なら大丈夫です。必ず皆さんのお役に立ってみせるので、どうかよろしくお願いします」


 サイの言葉に対して叶子は瞳を潤ませ、みずほは握っていた手に力を込めた。


(なるほど。こういう状況でこういう言葉が好印象に繋がるんだな)




 それから間も無くして三人は表校舎に入った。

 ここは三階建の校舎で、一年生が一階に三クラス、二年生が二階に三クラス、三年生も三階に同じく三クラスある。

 一階の奥に体育館に通じる外廊下があるが、三人が最初に向かうのは体育館とは逆側の階段を上った先にある、三階の端にある多目的室だ。

 非常事態だけあって、当然のように土足で出入りする。



「おお、二人ともよく帰ってきてくれた! 無事で何より! して、君はどうした?」


 開けっ放しのドアから出て来たのは、もうすぐ還暦を迎えるとは思えない程元気な男だ。白が混じった髪の毛は短く整えられており、背筋はまだ伸びている。筋肉の衰えも少ない彼は、この学校の校長である斎藤道重さいとうみちしげだった。土曜日なのにスーツ姿という事は、今朝も仕事に来るつもりだったのだろうか。

 廊下から見えた中の様子は、まるで教員たちの会議室。ただ、中にはサイ達のように若い者もいたり、見ず知らずの大人達もいる。叶子が言っていた通り、“まともな人”が分け隔てなく集まっているのだろう。

 ということは、体育館の方は異常者が集まっているのだろうか。少し見てみたいな、とサイは思う。



「ええ、校長先生。みずほちゃんのお陰で無傷で帰ってこれました。そして彼は……」


 サイは叶子の言葉を遮って挨拶をした。


「僕はこの学校の生徒、一年一組美城サイです。途方に暮れていた所で二人と出会い、助けてもらいました。さっきそこで、少し話を聞いて、皆さんのお役に立てればと思い、ここに来ました」


 校長先生はサイに対して問いかけた為、サイは自ら答えた。自分の有用性を示しておけば、与えられる情報も多くなるだろう。信頼される者には情報が集まるのだ。


「うむ、いい子だ」

 斎藤道重は背の低いサイの頭を撫でながら言った。

「歓迎する。他者を思いやる心は尊くて強い。力と知能を合わせて、皆んなで助け合おうじゃないか」




 室内に入った三人を、無遠慮な視線達が迎える。特に新参者のサイに向けられた。

 中には好意的に「先生、ご苦労様です」と声を掛ける者もいたが、ほぼ全員が不安感を隠せずピリピリしていた。


 “空気を読む”という言葉があるが、サイは幼い頃、それが苦手だった。

 いや、正確には、空気を察するは出来ても、皆んなに合わせる事が出来なかったのだ。

 周囲に対して無関心で、周りが自分にどんな感情を抱くかなどと心配する事などあり得なかった。

 だから合唱コンクールの練習が自由参加だった場合、クラスメイトの全員が参加したとしても、サイは当然の様に不参加だったりした。

 尤も、授業中に引っかけ問題が出て、全員が間違った答えを出す中で、サイ一人だけが正解である、周りと違う答えを出す事もあったりしたのだが、空気が読めない人が得をするのはこういった限られた場面だけだ。


 そんなサイでも、少しずつ成長し、中学生になった今ならわかる。

 平凡な人間達から信頼を得たければ、彼らに合わせていればいいのだ。

 だからサイは多目的室の端、並べられた机と椅子の、最も目立たない場所に大人しく座る。

 周囲から浮かない様に、みずほや叶子から話しかけられない様にピリピリとした雰囲気を醸し出す。


 そうしてサイがこの部屋の空気と同化した頃、校長が多目的室の正面、広い黒板の前にやって来て話し始めた。


「みんな聞いてくれ」

 その言葉一つで静まり返り、誰もが校長の顔を見上げた。

 この場を制しているのはあいつなのか、とサイは認識した。


「たった今、食料を調達に行ってくれた勇気ある二人が帰って来た。先ずは彼女らに感謝の拍手を送ろう」


 斎藤が言うと、室内にまばらな拍手が響いた。


「彼女らが見てきた外の世界の話も交えて、今、この世界に何が起きているのか、現実を一から整理しよう」


 彼は一瞬サイを見た。整理すると言いつつ、自分の為に最初から話をしてくれるんだろうな、とサイは思った。気が利く爺さんだ。


「皆も知っての通り、今日、日付が変わって間も無くの深夜、大地震が起きた。正確な震度も震源地も不明だが、ここにいる者の意見により、震度五から六強はあったと予測できる」


(地震があったのか)

 サイは身に覚えがなかった。ただ、いつもよりは少し早い時間に目が覚めたのは事実。そういえば本棚から本が落ちていたのは地震のせいだったのか、と思い出す。


「その地震の直後、我々が暮らす町に魔物――人間に危害を加える、凶暴な化け物が発生した。一番早い目撃談は、揺れが収まってから五分後だそうだ。そして時間が経つにつれて魔物の姿は頻繁に見られるようになってきた。これからどれほど増え続けていくのかは定かではない」


 逆に夜が明けてからも魔物に気付かなかった者は多いだろう。

 サイがそうだ。

 朝、台所で水が出ない事に疑問を抱いていた。その時、玄関のドアが蹴破られ、二足歩行の豚のモンスターが入って来たのだ。

 幸いにも台所には何本かの包丁があり、豚はサイに気付いていなかった為、サイは勝手知ったる我が家で豚に奇襲をかけ、難無く勝った。

 その後カーテンを開けて外を見れば、まるで世界の終末の様だった。

 緑色の肌を曝け出した化け物が闊歩しているのも、巨大な犬が人間の死体を咀嚼しているのも、崩れた家屋も倒れた電柱も。

 何もかもが壊れる世界を描いており、現実離れした日々が訪れることを予感させた。

 その時にサイは高揚感を覚え、手から炎を出せる様になったのだが、この事実は隠しておこう。


「現在、我々の文明の利器は何一つとして役立たない。電気もつかなければ、蛇口をひねっても水は出ないし、車のエンジンもつかない。ラジオも使用できないからニュースなど入ってこないし、携帯電話は圏外どころか、電源も入らない。これはゲーム機器に関しても同じだ。また、電池式の機器も動かない。時計も午前零時――地震発生時刻から時を刻む事をやめてしまった」


 おかしな話だ、とサイは思う。

 地震が起こって停電しても、充電式の携帯や電池で動く時計の電源が入らないわけがない。

 これではまるで――


「これではまるで、我々の理解が及ばぬレベルの技術者達が、意図的に我々の文化を破壊し、生命的に不利な状況に陥れたかの様だ」


 斎藤道重の仮説に、サイは全面的に同意した。


「いや、今のは仮説だ。忘れてくれ」校長は失言だったと首を振り、明るい話を持ち出した。


「尤も、我々にとって素晴らしい変化も起きた。さっき外に出ていた彼女も変化を受けたその一人だ」


 校長はサイの隣のみずほに視線を向けて言った。


「簡単に言えば“超感覚”と名付けられるか。彼女はその鋭くなった感覚で敵を察知し、魔物と出くわす事を意図的に避ける。そのおかげで食にありつけた」


 校長は右手に掲げた特大のビニール袋から、菓子袋を取り出し、小さな袋に入ったクッキーをこの部屋の全員に配って行く。合計三十人ほどに配り終えて、校長は再び話し始めた。


「他にも不思議な力を得た者は教えて欲しい。冷静でいられる君達だからこそ、私は信頼しているのだ。僅かな変化でも構わない。因みに私は昨日よりも身体に力が漲っているのを感じている。時間にして言えば、今朝“人面花”を誤って踏み潰してしまった、あの時からか」


 嫌な事を思い出すような表情の道重。それから次々に「確かに自分も……」と声を上げる者が出て来た。その全員が、魔物と呼ばれている異形の生物を殺めていた。


「ふむ、どうやらこれは……」

 室内の人々の声を聞いて、校長は苦い顔をした。


「これは倫理的に考えれば最低な結論だが……若く純粋な子がいる前でこんな事を言いたくもなかったが……我々が生き残る力を得る為には、魔物を殺めるべきなのだろう」


 皆が静まり返る。彼らもそれぞれの体験談を聞いて予想していたのだろう。


「まるでゲームみたいな発想だな。だが、これは現実。きっと身を守る為に止むを得ず生物を殺した者もいるだろう。辛かっただろうな。それでも、生きるとは即ちそういう事。この世界に蔓延ろうとしている化物たちに蹂躙されたくなければ、我々が蹂躙する側にならなくてはいけない」


「いや……」と校長は首を振ってから、力強く言った。


「これからは皆、魔物と出くわしたら殺す意思を持て! それが出来なければ何としてでも逃げろ! 相手を傷付けても構わない。どんなに非道な事をしてでも、自分と仲間を生き残らせるのだ! この世界を壊そうとする魔物を殺害する権利を、儂が与えよう!」


 皆が息を飲む中、サイは内心でほくそ笑んだ。これで周りの目を気にせずに魔物殺しひまつぶしが出来る。それで力が得られるのが本当なら、一石二鳥だ。


「まあそうは言っても、今までの日常と折り合いをつけるのは厳しかろう。今日はゆっくり休み、これからの生き方を自ら決定してくれ。そして我々を脅かす存在に立ち向かう準備が出来た者は、明日の夜明けにまたここに集まって欲しい。避難所を守るための立ち回りを決めようと思う」


 立ち向かう準備。それは即ち、知らない避難民の為に命を賭けた闘争を行う覚悟だ。

 多くの人々が顔を白くする中、彼は更に畳み掛けるように言った。


「ただ、これだけは心に留めておいて欲しい。魔物は人が集まる場所に積極的に行こうとはしないが、いつか崩される日は必ず来る。儂は、為す術なく壊されて行く世界を見たくはない。時間はあまり、残されてない」



 それは逃れられない現実を、目の前に叩きつけられるような話だった。

 殺らなければ殺られる。

 そんなシンプルなルールなのに、これが平和な日常を破って訪れた現実だと知ると、人は途端に目を逸らしたくなる。


 怖い。

 死にたくない。

 殺したくない。


 そうやって逃げようとする人々に、斎藤道重は消極的に手を差し伸べた。

 強制はしていない。

 覚悟が出来た者だけが明日の朝も集まる。

 そういう話だった。

 それなのに。

 それでも。

 きっとここにいる人々は明日も集まるだろう。サイはそう思った。


 席を立ち、体育館に向かおうと廊下に出たサイ達は、背後から追ってきた校長に呼び止められる。


 叶子が「どうされました?」と訊ねると、彼は眉にしわを寄せて謝った。


「いや、すまない事をした。君達が命懸けで調達してくれた食料を、独断で彼らに譲ってしまった」


「そんな、とんでもない。いいんですよ、校長先生のお考えあっての事でしょうから」


「そう言ってくれると助かる」

 校長は綺麗なお辞儀をしてから給食室に向かっていった。そこで食料を管理しているらしい。


 返報性の原理。サイの頭にふと浮かんだ。

 他人からの施しに対して、何かを返さなければいけない気がしてくる心理現象。

 サイの性格にはこの心理は働かないため経験したことはないが、人を操る為に机上の知識として持っていた。

 たかがクッキーだが、こんな状況下で無償で与えられたお菓子の価値は、無視できないほど大きい。

 彼らはやりきれないだろう。お返しをしたい、そんな心理が働いている筈だ。

 だが校長も、食料を調達した二人も、個人的なお礼など望んでいないし、与えられるものも持っていない。

 それならばどうするか。

 選択肢は一つしかない。


 サイはもう一度、内心で呟いた。


(明日もこいつら、集まるだろうな)


 それと同時に思うのだ。


 斎藤道重、要注意人物だな、と。

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