一章 まだ誰も知らない

どこ行こうかな

 

 モンスター(この呼び名が正しいのかサイにはわからなかったが)が食べられない事を実験の結果から学んだサイは、腹の飢えを満たすべく、コンビニエンスストアに入った。


 入り口のガラスが割れていたため、店員がいない事は予想通りだったが、モンスターがいなかったのは僥倖だった。

 陳列棚からパンを選び、おもむろに袋を開けて齧り付く。ここにある商品に手を掛けられた様子はない。モンスターは人の食べ物に興味ないのだろうか。彼らの食べ物は人だけ? だから自分は襲われたのか。

 思考を巡らせながらレジカウンターへ向かう。

 奥の白い壁に、赤い痕を見つけて。

 カウンターから身を乗り出してみれば思った通り、店員の死体が一つ。血の匂いがするわけだ。

 警戒しながら従業員ルームの扉を開く。

 しかし中には誰もいない。魔物も、人も。

 それだけ確認してから、サイはカウンターのコーヒーマシンを使ってホットコーヒを淹れようとする。だが反応しない。

 電気が通じていないのか。そういえば店の照明も消えているし、当然か。仕方なく売り場から缶コーヒーを持ってきて開ける。あまり美味しくはないが、カフェインが欲しかったのだ。

 それよりも死体が気になる。

 レジカウンターに腰掛けながら、仰向けに横たわる人の身体を観察する。

 頭部を強い力で殴られたのだろう、頭の形が変形し、そこから血液など生臭いものが流れ出ている。

 他の部位に損傷はなく、モンスターが食事の為に彼を殺したのではない、ということがわかった。


 では一体何のために。


 サイは朝食を食べながら考える。

 思い付くのは快楽殺人くらいだ。

 化物の本能として人を殺す事に悦びを感じるのだろう。人間同士であってもよくある話だ。

 いや、もしくは。ここは既にモンスターの巣になっていて、これから食べるご馳走を巣に隠している、ということもあり得る。

 だとしたら巣の主が帰って来る前に出た方が良い。

 そうは考えながらもサイはコーヒーを飲みきるまで腰を上げようとしない。こんな時でもマイペース。


 心配なことは食料問題についてもある。

 どこからか突然モンスターがやって来たわけだが、そのお陰で人間は外を歩くこともままならない。いや、家の中にいてもモンスターは入って来る。サイの部屋に入って来たあの豚の様に。だからこうして外に出たわけだが、世界がこんな状況下にある以上、食料の生産は不可能だ。

 どんな食材だってその内腐るし、人間だって大勢生きているのだから、食料は減る。まあ最悪、人間を食料にしてしまえばいいのだが、それは最終手段だ。他の人間に見られたら、モンスターだと勘違いされかねない。


 いろいろ思案してみたが結局この後の行動予定すら決まらないまま、サイは床に降り立った。

 幼少の頃から、未来について考えるのは嫌いだった。不明確な将来の事を、どうして社会を知らない子供が決められると思うのか。“将来の夢”を決定させようとする大人の不合理さに首を傾げずにはいられなかった。

 そんな彼はいつもその日暮らしの行動をとる。目先の欲望、自らの利益、それが最優先。だから今日も“とりあえず”で歩く。モンスターを殺した時の高揚感をまた味わいたいな、などと考えながら。


 そんな風に自由なサイは周囲の警戒などしていない。そもそも恐怖を全く感じていないのだから、周りに気を付けるなんて意識していなければ難しい。故にドアの外の気配に気付かなかった。


「誰っ……サイくん!?」


 外を向いていたサイと、外から来た彼女。しっかりと目があってしまう。そしてサイは思い出す。あれは確か、担任の山場叶子やまばかなこ先生だ。


「先生! よかった、不安だったんです。この世界に一体、何が起こっているというのか」


 サイは咄嗟に怯えた表情を作る。それは恐怖を感じないサイにとって苦手なことだったが、上手くつくれただろうか。


「そうよね、不安よね……でも無事でよかったわ。今、私達の中学校に沢山の人が避難しているわ。詳しい事は安全な場所で話すから、少し待ってて」


 山場先生は無邪気な笑顔を見せるが、直ぐに険しい表情で周囲を警戒し始める。

 流石にこんな災害時にはいつものアホヅラをぶら下げないんだな。サイは現状が人々に与える恐怖がどの程度なのか、理解を深めた。




 臆病でありながら正義感の強い叶子はサイとは逆に、慎重すぎるほどゆっくりと店内を歩く。皆を守る為にこの命を簡単に亡くすわけにはいかない。

 店内で最初に見つけたのはカウンター奥の血痕。近寄って覗いてみれば、従業員であろう青年の遺体。思わず眉間にシワを寄せるが、両手を合わせて安らかな眠りを祈る。

 次に目にしたのは、カウンター上に置かれたコーヒーの缶とパンの外袋。

 これは、サイくんが?

 叶子は驚き振り返るが、怯えた少年がこんな所で悠長に朝食を取るわけないだろうと思い直す。そもそも血生臭い死体の隣で飲食など、普通の神経では考えられない。

 という事はこの青年が生前に口にしたものなのだ。その後に魔物に殺され、魔物が出て行った後にサイが来たのだ、そう推測する。

 ともかく今は食料の調達だ。

 叶子はレジ下のビニール袋をありったけ引っ張り出し、急いで売り場に向かう。


「せ、先生。僕も手伝いましょうか?」


 純朴な少年の勇気に、店の商品を無断で持ち去ろうとする叶子の手が止まる。

 この子は恐ろしい災害時でも他人の役に立とうと出来る、優しい子なんだ。胸を打たれた叶子は、だが首を振る。


「いいえ、大丈夫よ。すぐ終わるから待ってて」


 こんな世界になって何もわからない内に万引きをさせるなんて道徳観に欠ける行為を、この優しい少年にさせたくはなかった。

 今はとにかく、皆んなで無事に避難所へ帰るのだ。その後でサイくんもゆっくりとこの災害について考えればいい。

 叶子は自らが持てるだけの食料を両手で持ち、外に向かって呼び掛ける。


「みずほちゃん! 大丈夫?」


 深夜に発生した魔物は人々に大きな不安を与えた。混乱に陥りながらも近所の緊急避難場所である中学校に避難して来た一般人の数は、今朝の時点で三百人を超えた。時間が経てば避難してくる人達も増えるだろう。人口が増えるほど足りなくなるのは食料だ。

 そう考えたのは、避難所の中で一割くらいしかいない、災害時でも冷静な思考ができる人間達。

 その一割の中から、正義感の強い叶子は「自分が食料を調達する」と手を挙げた。

 本当は怖くて仕方がない。

 それでも大事な生徒達を見ていると、自分が守らなくてはいけないと感じる。優しさと責任感から生まれた勇気だった。

 また、そんな叶子の力になるために同行しているのは、不思議な力を得た少女だった。


「はい! 今の内に行きましょう。それと、声が聞こえたけど、もしかしてサイくんなの?」




 関口みずほは一年一組、サイのクラスの学級委員長だ。

 夜中、家のリビングに入ってきたコウモリが弟を襲っている場面に遭遇し、慌てて追い払おうとした。しかし敵は鋭い牙で執拗に迫ってくる。みずほは弟を守る為やむを得ず、殺す意思を持って、父親のゴルフクラブで魔物を殴った。

 両親はとっくにいなかった。数十分前に起きた大地震に怯えて何処かへ避難したのだろう。彼らは子供の事よりも自分達の事だけを考えて生きている。だからみずほはいつも、たった一人の弟を守るために強く行動した。

 しかし生物を殺したのはこれが初めてだった。

 罪悪感に苛まれ、自己嫌悪に陥る。床に膝をつき、吐き気を催す。

 それでも謎の災害から弟を守るため、再び立ち上がる。

 その時だった。

 あらゆる感覚が研ぎ澄まされていく。遠くまで見通せるほどの視力と聴力。僅かな違和感も嗅ぎつける嗅覚。身体中の筋力が向上し、柔軟になったかの様な高揚感。

 深夜だというのに、最高の目覚めを迎えた様だった。


 その後弟と共に避難した中学校で、担任の叶子先生が食料調達に行くと知ったみずほは、自分の能力を役立てて欲しいと申し出た。

 子供を危険に晒したくない叶子だったが、みずほなら遠くの魔物を感知して、敵と接触せずに目的地まで辿り着けると言う。

 勇気ある少女に言いくるめられ、叶子は「危なくなったら私を置いて逃げて」と約束してからみずほを連れてきた。


 だが実際に彼女と外に出てみれば、危なくなる場面など全くなかった。

 遠すぎて叶子には見えない魔物を察知し、遠回りしながらも静かに移動。時には頭上を飛ぶ魔物に気づかれない様に瓦礫に身を隠す事もあった。

 そうやって辿り着いたコンビニでも、みずほは周囲の警戒をするからと外で待機し、叶子が中に入り、そしてサイと遭遇したのだ。




「あ、関口さんも一緒だったんだ! 大丈夫? 怪我はない?」


 叶子と外に出たサイは、関口みずほの姿を見て心配そうな表情をつくる。彼女の衣服に血が付いていたからだ。


「うん、私は大丈夫だよ。これは魔物の返り血だから……っと、グズグズしてたらまずいね。説明は後にして、二人とも行きましょう。帰りはこっちから」


 みずほは遠くから歩いてくる狼型の魔物を認識して、反対方向に体を向ける。魔物はサイにも見えたが、叶子には遠過ぎて見えなかった様だ。


「さあ、行きましょう」


 みずほはサイの右手を握って先導し、叶子がその後ろをついて行く。


(手を拘束したら動きに支障が出るじゃないか。頭悪いな)


 サイはそう思いながらも大人しく歩き出すのだった。

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