《第3章》ティア x ウィリアム(1)
ティア:夢を見た。
とはいっても内容はぼんやりとしていたが、テーブルの上にあったスコーンがとてもおいしそうだったことだけは覚えていて、そんなに食い意地がはってしまっているのだろうかといつもの時間に起きたティアは赤面しながらベッドを抜け出した。
机の上に置いてある手帳を確認すると、きょうは故郷から従兄が出てくることになっていた。
十歳年上の従兄は医者であり、定期健診と称して人間の医者にあまり世話になれない身の上であるティアの体調などを把握し管理してくれている。先週電話をした時にはこちらの仕事が終わる頃合いに分室前の広場で待っているとの事だったので、読書好きな従兄はどこかのタイミングで分室に紛れ込んでいるはずだ。
ふとティアは数日前の雨の日の出来事を思い出す。どうもよくない兆候だったような気もするので、従兄に相談しなければならないだろう。
そしてその日の仕事をつつがなく終え、帰りの挨拶をして外に出ると広場の椅子に従兄が座っていた。
ティアのようにフードで顔や耳を隠す必要のない従兄は、人間の耳と同じ位置に獣耳がある。
あちらも気づいたようで、ひとの良い笑顔を浮かべてこちらへ寄ってくる。
ディーン:「久しぶりだね、ティア」
ティア:「ええ、お久しぶりです、ディーン兄さん」
ディーン:「今回は一週間滞在するから、ティアの休みの日を教えてくれるかい?」
ティア:「ええと……明後日ですね」
ディーン:「じゃあ健診はその日に。申し訳ないけど、一日使わせてもらっても大丈夫かな?」
ティア:「はい」
そんなやりとりをしていると、分室から出てきた誰かがこちらに近づいてくる。最初は夕焼けによる逆光でよく見えなかったのだが、ウィリアムだった。どうやら彼もちょうど帰る時間だったようだ。
ウィリアム:仕事を終えて分室を出ると、出口の前の広場にティアがいたので近づいた。今朝の夢では、桜の皇帝らしき人物が再び現れた。もう一人、恐らく霧の都の中枢に座す存在らしき姿も。
恐らく近日中には戦いになるだろうことを踏まえ、彼女と少し打ち合わせをしておきたかった。正確には打ち合わせというより体調と心の状態が気になっていたから、気晴らしをさせたかった。
昨日わざわざ桜の帝都に連れて行ったのも、気分転換になればとの思いからだったのだが、あの主従に出会ってしまい裏目に出たかもしれないといささか悔やんでいる。
夕日を浴びた彼女の瞳は神秘的に見えてとても美しく感じられた。
「今帰りかい?」
声をかけてから、彼女の傍に男性がいるのに気づく。獣の耳の持ち主だった。親族だろうか、彼女はミストナイトのことを周囲に打ち明けていないだろうから、次の機会にすべきか、と悩む。
結局声をかけてしまったこともあり、足を止めずに近づいて、当たり障りのない話をして去ろうと決めた。
ティア:「ええ、帰りに従兄と待ち合わせをしていたの」
とウィリアムに返し、ディーンの方に向き直ると
「ディーン兄さん、紹介するわ。この方はウィリアムさん。わたしにこの分室の働き口を紹介してくれた方よ」
そうティアが言うと、ディーンはウィリアムをしげしげと眺める。それから
「そうか、君がウィリアムくんか。ティアがお世話になっているね。私はディーン。ティアの従兄で、医者をやってる。同族専門だけどもね」
と返しながら手を差し出してウィリアムに握手を求めてくる。
ウィリアム:男性にしげしげと眺められたが、不思議と嫌な気はしなかった。人柄の良さが表情に表れていたからだろうか。
差し出された手を快く握って名乗り
「ティア……さんはディーンさんに僕のことを話していたようですが、少しでも彼女の手助けができていれば光栄です」
と笑った。
ティアは今の言葉にミストナイトのことをちりばめたのだと気づいただろうか。彼女はディーン氏に自分の戦いを報告しているだろうか。それによっては、彼女を守るうえで心強い味方になってくれるだろうかと考える。ありふれた存在ではない彼女を守るには味方が欲しかった。
ティア:定期健診をしてもらっている都合上、ディーンにはウィリアムとの出会い、そしていまティアと共にミストナイトとして戦っていることを報告してある。
だからウィリアムがディーンに投げ掛けた言葉にも合点がいったようで、握手をしながらこう言った。
ディーン:「そうだね。君はなかなか良くティアを守ってくれているようだ。……そうだ、ここで立ち話もなんだから、良ければ途中で何か軽食を買って私の宿泊しているホテルへ来るかい?」
ウィリアム:彼の言葉に目を見開いた。
「そうでしょうか。それなら、嬉しいです」
深く安堵しながら、知ったうえで彼女を見守る存在には頭が上がらないとも思った。
「よろしいのですか?確かに色々お話しておいた方がいい気はしますが……」
少し躊躇いがちに頷いてから、
「そうと知っていれば僕が食事をお作りしたんですが。お勧めの品があるので、お好みを言って頂ければ温かいものを買っていきますので、お邪魔させてください」
屋台も含めて食事なら任せろ、という顔に見えたかもしれない。
ディーン:ウィリアムの言葉にディーンは笑顔を浮かべて
「私はビーフシチューのパイ包みと、バターによく合うパンが好みなのだけれど、バターも含めておすすめのところはあるかい?」
と言ってからティアのほうを向いてきて「今日は私がお金を出すから、ティアもおすすめを聞いてみるといいんじゃないかい」となげ掛けてきた。
ティア:断るのも躊躇われたので素直に言葉に甘えることにして
「ありがとうございます。ええと、じゃあ、イワシのオイルサーディンが食べたい気分なのですけれど……」と二人に話しかけた。
たまに魚や肉がとても食べたくなるのだが、どうやらちょうどその時期に入っているようだった。
ウィリアム:「ビーフシチュー、パイ包み、パンにオイルサーディン……」
作りたい。滅茶苦茶作りたいが、夕食の時間は迫っている。それなら、とお勧めのパン屋とグロサリーとパイシチューの屋台を挙げて、ここから15分ですべて回れることも伝えた。
パイシチューの屋台は自分が行って、パンとサーディンとバターについてはさっと地図を書いてティアに渡す。温かいものを温かいうちに食べるために、二手に分かれてホテルで待ち合わせする算段をつけた。
「すぐホテルに伺います。今なら出来立てが買える時間ですから」
そう言うと、僕は速足で屋台へ向かった。
ディーン:「よろしく頼むよ」
ディーンがホテル名を告げると、ウィリアムは頷いてそのまま人混みのなかに消えていった。
ティア:ティアも
「じゃあ、わたしも買いに行ってきますね。兄さんはロビーで待っていてください」
と言ってウィリアムとは逆方向へ歩いていく。
パンの屋台が手前にあったので少し先にあるサーディンの屋台で先に目的のものを買い求め、パンの方に戻って白パンとバターを人数分買うとそのままホテルに向かう。途中でタイミングよくウィリアムに会うことが出来たので、二人でホテルに向かう。予告どおりロビーでディーンは待っていてくれた。
ディーン:「ありがとう。じゃあ、部屋に行こうか」
ティア:ディーンについていくと、今回泊まっているフロアは三階のようだった。看ている患者を寝かす必要があるからか、ツインの部屋を取っている。
テーブルに買ったものをまとめて置くと、ちゃんと手を洗ってくるように指示される。こういうところは実に医者らしい。座る場所の指定は適当だったけれど。
ウィリアム:手を洗ってついでに適当に調達したスプーンも洗い、ふたりに手渡す。オイルサーディンも柔らかいだろうから、スプーンですくえるはずだ。むしろオイルも楽しむならスプーンのほうがいいだろう。それはともかくとして。
「改めて、全て承知の上でティアさんと僕の戦いを見守ってくださっているのでしょうか。だとしたら、本当に感謝に堪えません」頭を下げる。
ディーン氏の「シチューが冷めるよ」という視線に頷いて、とりあえずパイを崩しながら食べ、その間は寡黙になる。パンもバターもいい味だったが、自分と同年代にみえながら老成した感のある彼に、どこか感服する気持ちがあった。彼に対してやましいところは全くないが、彼女を危険に晒していると責められたら、その責を全て負い、もしも彼女が降りるというならそれに頷こうと覚悟していた。大切な、自分のパートナーをどんな形でも守りたい。
ディーン:「うん。このパン、バターだけでなくビーフシチューにも合ってる。いいね」
そんなことを言いながらディーンはご機嫌な顔で食事をしている。
その合間にウィリアムから掛けられた言葉には
「ミストナイトについては霧の帝都の伝承を読んだときに知ったんだけど、普通におとぎ話とばかり思っていたよね」
と返しながらオイルサーディンに舌鼓みを打っていた。
ひととおり堪能したあとで
「君たちは自分の意思で戦いに身を投じているんだろう? ならば私に口を挟む権利はないよ。あえて気になるといえば戦うことでティアの野生を刺激している部分があるのではないかということぐらいだ」
とディーンは口にする。
ティア:それはティア自身も気になっていたところであるが、逆にそれを燃やして戦う形でもあるのでなんとも言えなかった。
「そこは、ウィリアムがうまく止めてくれていますから」
事実、我を忘れそうになったことも何回かあるが、その度にウィリアムが文字通り髪を引く形で押し止めてくれていた。
ディーン:「そうかい。それなら、ひとまずは大丈夫じゃないかな」
ディーンはオイルをスプーンで掬うと残りのパンにかけて食べはじめた。その途中で
「ああ、ウィリアムくんから見て職場でのティアはどうだい?」
とウィリアムの方に水を向けた。
ウィリアム:彼らの会話に耳を傾け相槌を打っていたが、水を向けられてパンをちぎる手が止まる。
「そうですね、繊細で丹念な、神経を使う作業をこなしてくれていて、ありがたいです。職人気質でしょうか。その分、人付き合いは時にきついようですが、少しずつ打ち解けてきていますね。書物・資料に対する真摯な姿は、彼女の美点です。うちの職場には必要だと思っていますよ」
真実そう思っているから出た言葉だった。図書博物館分室は、書籍の公開や来訪者の要望に応じたレファレンスを業務とする分対人スキルも要求されるが、それは氷山の一角に過ぎない。やはり収蔵品の管理・保全が第一だ。その意味で彼女の指先と根気は貴重なものだとウィリアムは語った。
「ティアさんが望むなら、僕としてはミストナイトの件も含めてずっと見守りたいと思っています」
僕はとても穏やかな気持ちでそう告げた。
ディーン:ティアがウィリアムの言葉に気恥ずかしくなっている一方で、ディーンはふむふむとうなずいている。
「確かにティアは一族のなかでもかなりの器用さを持っているからね。儀式に使用するレリーフを作ってもらっていたことがあるよ」
そしてディーンはパンを食べ終えてしまう。
「うん、美味しいパンだった」
それから顔を引き締めて
「ティアを見守ってくれるということは、霧の帝都における身元保証人を任せたりしてもいいということかい?」
と尋ねる。いまティアの身元保証人はこのディーンであったが、対人的には同じ人間であるウィリアムのほうがより信頼がおけるだろうという考えから来ているのだろう。
ティア:ティアはそれよりも「ずっと」という言葉が気になっていた。いまは問題ないけれど、将来的には故郷に戻り婚約者でもある従兄と結ばれることになっている。さすがにそのときが来たらミストナイトからは辞さなければならなくなるだろう。そのことをウィリアムに告げるべきか迷ってしまう。
ウィリアム:「僕でよろしければ喜んで」
即答した後
「でも、僕みたいな若輩者でよろしいのでしょうか? 信頼に足る、と思って頂けたなら幸いですが、彼女の背負うものの重さすらちゃんと知らない僕でよいのですか?」
でももしその信頼を受けたなら、決して裏切るまいと思った。
ティアの躊躇うよう表情に、首を傾げる。
「ティアさんは、嫌かな?君の意志に反するようなことはしたくないのだけれど」
気づかわしげに問うた。
ティア:「あ、いいえ。なにかあるごとに兄さんを呼びつけるのは気がひけるから、ウィリアムが身元保証人になってくれればうれしいです」と返す。
ディーン: 「うん。タイミングが悪いと来るのに数日かかってしまうこともあるからね。近隣の信頼がおける人物にもお願いしておきたい」
とディーンが付け加え、それから
「ティアは必ず故郷に戻らなければいけないと思っているね? 前も言ったけれど、こちらのことは気にしなくていいよ。言い方は悪いけれど、ティアが不在であるほうが上手く片付く案件もあるから」
と言ってきた。これは次代に一族を束ねることになる者としての意見だろう。
「ええと、薬を……、あ。」
「すまない、ティア。水飴を買い忘れてしまっていたから、変わりに買ってきてもらっていいかい?」
ティア:そうディーンが言ってお金を渡してきたので頷き、何号室であるかを確認してからその場をいったん辞した。ついでにおかわりのパンを買ってこようと思う。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます